【イスラエル旅】テルアビブ、エルサレム、ナザレ。旅行前に知っておきたい、イスラエルのおすすめホステル(中東中米旅#6)
イスラエルの宿泊は、ぜんぶ「Abraham HOSTELS」のドミトリールーム(10名)を利用しています。ここは、「宿代は低く抑えて旅行したい」という人におすすめ。1泊3000円前後(シーズンによって異なる)と、イスラエルの物価としては安めの価格。ホテル予約サイトBooking.comで、テルアビブの店舗をみつけて宿泊したのですが、気に入ったのでエルサレムでもここに泊まっています。「アタリ」の宿をみつけて嬉しかったので、お気に入りのポイントを紹介しますね。
1 国内3店舗だからできる「バスサービス」
ここは、テルアビブ、エルサレム、ナザレの3都市にあります。ぼくは、滞在先のテルアビブとエルサレムで利用しています。そして、「移動で疲れたくないタイプ」のぼくが嬉しいと思ったのが、ドアtoドアの「バスサービス」。これはチェックアウト後に、玄関から次の滞在地の玄関まで送迎してくれるサービスです。曜日や都市によって1日の本数は異なりますが、公共交通がストップ(本数が減って)してしまう土曜日(イスラエルの安息日)も運行しているので助かります。それにホステルのサービスなので、値段をごまかされたりよくわからないポイントで下ろされたりしないので安心です。疲れません。
ちなみに、死海やマサダ国立公園、近隣都市へのツアーも多く用意されているので、このホステルで「宿泊・観光・移動」を完結させることもできます。
【バス料金】(2018.02.15現在)
テルアビブ⇔エルサレム 25NIS(約800円) /45分
エルサレム⇔ナザレ 40NIS(約1250円)/3時間
テルアビブ⇔ナザレ 40NIS(約1250円)/2時間
2 清潔感のある「バスルーム」
ドミトリーだと、「水回り」が気になります。シャワー室の足元がヌルっとしていたら、もう嫌です。この点もクリアしていて、むしろ最低限以上の清潔感があります。各フロアに男女共同のバスルーム(シャワー室とトイレ)があるのですが、ゲストとして嬉しいのは各部屋にもバスルームがあるところ。夜中にトイレに行きたいとき、わざわざ部屋から出なくて良いので便利です。ちなみに、見ている限りだと毎日の掃除が徹底されていて、バスルームだけでなく部屋やキッチン、Barなどのフロアも使い心地が良いです。
3 野菜が充実した「朝食」
旅行の目的はそれぞれにありますが、ぼくは宿泊費だけでなく食費もケチるタイプ。イスラエルのような、ドイツやフランスレベルの物価だと、毎食長くて硬いパンをかじっています。だからこそ栄養がとれる朝食があると、体調を崩すことなく滞在できるのです。イスラエルの物価は安くはないものの、現地の人によると野菜は比較的安く手に入るそうです。そういうわけもあるのか、ホステルの朝食(無料)は野菜が充実しています。緑、赤、黄の野菜が、旅先での体調を整えてくれます。もちろん、パンやチーズ、シリアルもあるので、お昼の分までおなかを満たすことができますよ。インスタントではなく、マシンが作ってくれるコーヒーも飲めて、朝の目覚めもばっちりです。
いつも「できるだけ安い宿」に泊まっているので、はじめからサービスにはあまり期待していません(屋根のある場所で、眠ることができれば十分なのです)。けれど安い宿でもサービスが充実していると、その場所での滞在がさらに楽しいものになります。イスラエルには、ほかにもたくさんの宿がありますが、「探すのがめんどくさいタイプ」の人はAbraham HOSTELSに即決しても損はないと思います。
【イスラエル旅】旅行前に知っておきたい、イスラエルのWi-Fiやインターネットの利用状況(中東中米旅#5)
イスラエルでは、大学やカフェ、ホステルなど様々な施設でフリーWi-Fiを利用しています。もし、インターネットの利用頻度が定期的な連絡のチェック程度であれば、ポケットWi-Fiなどを借りなくても十分なネット環境だと思います。ただ、どうしても常にネット環境が必要なのであれば「世界データ定額」が便利です。
ぼくは、エルサレム旧市街やベツレヘム観光の様子をリアルタイムでSNSにUPしたかったので、auの「世界データ定額」を利用しました。これは、980円で24時間ネットに接続できるサービス。24時間が経過すると、自動更新することなく契約が終了するので、知らないうちに追加料金が発生することは無く安心です。また事前の申し込みではなく、アプリ上で渡航先の国・地域を選択し「利用開始」をタップするだけなのでスムースに使うことができます。特に、旅先で「1日だけ使いたい!」なんてときにはお得です。
アプリさえダウンロードしておけば、インターネットに接続されていない状況で「利用開始」できるので、旅先での非常時には心強い味方となってくれます。ドコモやソフトバンクも同様のサービスがあるので、チェックしてみてください。
【イスラエル旅】嘆きの壁、岩のドーム、聖墳墓教会。聖地「エルサレム」を観光、ガイドはヘブライ大学留学生(中東中米旅#4)
バスの中で目を覚ますと、あえて“着くずした”かのような街並みが広がっていた。それは大都市の建物群のように、洗練されて常に新しい状態を保っているものではなかった。だけど、その朽ち果てそうな風体こそが、ぼくに街の歴史と魅力を感じさせていた。
ぼくは予定を1週間も早めて、エルサレムに到着した。
・オリーブ山からはじまる、旧市街めぐり
「ここから一望できる旧市街は、アルメニア人、ユダヤ人、アラブ人、キリスト教の4つの地区に分かれています」
ていねいに街の歴史を教えてくれるのは、エルサレムのヘブライ大学で歴史学を専攻する光永(ミツナガ)さん。新市街の路面電車の駅で待ち合わせ、「はじめまして」の挨拶を終えると、まずは標高825メートルと街を見渡すことのできる「オリーブ山」に連れて行ってくれた。そして、旧市街を眺めながら、エルサレムの全体的な歴史を教えてくれた。
「山の中腹に見えるのは、ユダヤ人墓地。そして、旧市街側に見えるのは、アラブ人墓地です。それぞれに埋葬された遺骨は、足を向けあって横たわっています。ユダヤ教側は、死者が復活しエルサレムへと行きやすいように、アラブ側はその聖地への入場を阻むために、という意味がこめられています」
光永さんは、奈良の大学に2年通ったのち、ヘブライ大学にある予科学校(学部試験の準備やヘブライ語を学ぶ教育機関)でヘブライ語を学び始めた。はじめは1年間だけと思っていた留学だったけれど、いつの間にか学部3年目も半ばにさしかかっているらしい。現地で学んだ「生きたガイド」を聞きながら、このオリーブ山から旧市街めぐりがはじまった。
・嘆きの壁(西の壁)
オリーブ山をくだり、旧市街へと入場していく。数千年にわたり多くの人が歩いた石畳は、気を抜いているとヨレヨレの運動靴ではすべってしまうほど、つるつるにすり減っている。海外にきたことを知らせる香りが漂うアラブの市場「スーク」を抜けていくと、大きな広場が見えてきた。
「ユダヤ教の聖地“西の壁”(嘆きの壁)です。ここではユダヤ教の人々が、24時間絶えずお祈りをしています。なので、夜はライトアップもされていて観光客も多いです」
壁に手をあててお祈りをしている人たちのなかに、多くの観光客もまざっている。「信仰」と「世俗」は聖地では分断されているのかと思いきや、意外と一緒になってひとつの場所を共有しているらしい。
無料で貸し出しされているユダヤ教の民族衣装「キッパ」を頭にのせて、壁に近づいていった。つるつるになった壁のすき間には、たくさんの紙切れが挟まれている。長い年月をかけて多くのユダヤ教の人々が祈りをささげたことから、今では願い事を書いた紙を壁のすき間にはさむと、願いが叶うという言われがあるらしい。
「壁をつくっている石の大きさが、列によって違うのわかりますか?この場所は、時代によってさまざまな国家や王朝が支配し、壁を高くしていきました。だから、石の大きさによってどの時代に積み上げられたものなのかっていうのが分かるんですよ」
セキュリティチェックを通過して、イスラム教のエリアへと入っていく。ゆったりとした広場の中心にあるのは「岩のドーム」。オリーブ山から旧市街を眺めたときに、真っ先に視界に飛び込んでくる黄金色のドームが特徴的な建物である。
15歳のころ、グラナダ(スペイン)のアルハンブラ宮殿で、はじめて本格的なイスラーム建築を目にした。建築のことを何も知らないぼくでさえも、「なんか、スゴイ」と心をざわつかせる建物の造りを見て以来、イスラーム建築が好きになった。
幾何学模様と、角ばっていながらもしっかりとひとつの空間に収まっている(ぼくにはそう見える)岩のドーム。教会の絢爛(けんらん)さでも、寺院の質素さでもない中庸な感じが、ぼくの気持ちを落ち着かせてくれるのだ。入場時間の制限さえなければ、この広場でずっとドームを眺めていたかった。
「あのハシゴ、何だかわかりますか?(笑)」
「えっと、わかりません…」
「あれは“不動の梯子”です(笑)。詳しく説明しますね。この教会は、カトリック教会や東方正教会、コプト正教会など、複数の教派による共同管理になっています。ただし、その共同管理の問題がひとつの要因となって、戦争が勃発したこともあるんです。そういった争いを避けるために、教会の鍵の管理をアラブ人に任せ教会内の物を現状維持にするという勅令がだされました。そしてこの梯子も“現状維持”をしなければならず、150年以上にもわたってここにあるのです。教会の人がバルコニーに降りるために使っていたただの梯子が、聖地エルサレムの政局によって歴史的な産物となったのです」
この聖墳墓教会は、イエスキリストが十字架に磔(はりつけ)にされた「ゴルゴダの丘」のある場所だとされている。教会内には、キリストの墓や磔にされた際の血が付着した(といわれる)岩などがあり、教派を問わず多くの人たちが訪れている。また、ここはアダムの墓があるという説もあり、教会内にあるキリストの磔を描いた絵には十字架の真下にアダムの髑髏(どくろ)が描かれている。
ぼくは、中高時代はキリスト教系のミッションスクールで過ごした。その学校では、定期的なミサや「クリスマスのつどい」といったさまざまな行事が行われていた(クリスマスには、合唱部がよく「ベツレヘムの歌」を歌っていた)。ぼくを含め、多くの友人たちは信仰を持っていたわけではないから、ただ行事に参加し神父さんたちが読む聖書の一節に耳を傾け(多くの中高生には子守歌になっていた)、「今年もこの季節がやってきたか」という知らせを受けている程度の感覚だった。だけど、中高時代という成長の基盤を作る時期にその「教え」の中で生活したことは、少なからず「宗教」や「聖地」といったものに対する関心が醸成されたきっかけだったと思う(現にぼくは今、エルサレムにいる)。
当時は、聖書の一節も学校で感じたキリスト教という宗教も、とても平面的だったけれど、こうやって聖地をめぐることによって少しは立体的なものへと変わった気がする(それは究極的に理解が深まったというわけではなく、公式を暗記して解いていた数学が、公式を導き出してから解けるようになった感覚に似ていると思う)。
半日をかけて、旧市街をめぐった。光永さんのガイドのおかげで、歴史や文化を学びながらめぐることができた。「明日以降時間があれば、ヘブライ大学も案内しますよ」。その優しい提案に甘えるため、テルアビブに戻る16日までエルサレムに滞在することを決めた。
2018年2月12日 エルサレム Abraham Hostel
【イスラエル旅】旅行前に知っておきたい、ユダヤ教の民族衣装「キッパ」とは(中東中米旅#3)
エルサレムの旧市街を観光していると、いくつかの施設で「小さな帽子」を頭部にのせなければいけない場面がありました。
これは「キッパ」とよばれる、ユダヤ教の民族衣装です。「嘆きの壁」をはじめとするユダヤ教の施設(神聖な場所)では、異教徒(旅行者)であってもこれを身に付けることが義務とされています。購入する必要はなく、施設の入口に積まれているキッパ を無料で借りることができます。現地の人によると、キッパでなくても何かをかぶっていれば良いので、ニット帽やキャップでも代替可能とのこと。
また、ユダヤ教の施設は男性と女性で、お祈りをする場所が分かれているので、複数名で観光に行く場合は気をつけておきましょう。
【イスラエル旅】テルアビブの東地中海から感じた「距離感」(中東中米旅#2)
旅先では、できるだけ疲れたくない。ぼくは、このたいへんワガママな希望をもって、いつも旅に出かけている。今のところその希望を叶える方法は、旅先でも「いつもどおり過ごす」ということだと思っている。イスラエル2日目の朝も、いつものようにランニングにでかけた(ぼくは毎朝走ることを日課としている)。
リゾート地の雰囲気で、道も綺麗に整備されたビーチ沿いには、日の出前にもかかわらず犬の散歩やジョギングをする人がいた。それに、地元のおっちゃんたちが忙しそうに釣りをしていた(この光景は日本と変わらない)。朝日を横目に走っていると、ふと初歩的な疑問がうかんだ。
「この海って、何だっけ?」
ホステルに戻ってすぐにGoogle Mapsを開くと、さっきまで自分は「東地中海沿い」を走っていたことが分かった。言われてみれば当たり前というか「まぁそうだよね」くらいの発見だったのだけど、同時にようやく自分と中東との距離感をつかめた気がした。
ぼくの中東という地域のイメージは、小学校低学年の頃(2000年代はじめ)によく目にしていたNHKニュースの中のものだった。そこでは、真面目そうなオジサンが「現地からは以上です」と、現地の政治情勢を何かが差し迫っているかのような表情で伝えていた。ぼくの中東に対する距離感というのは、そこから形作られたことによって、けして身近なものではなくむしろ果てしなく遠いものとなっていた。
ところが、テルアビブは地中海に面しているのである。つまりその先には、イタリアやスペイン、モロッコといったぼくにとって「身近」な国々が並んでいる。それらの国から眺めた海が、このテルアビブにも通じているのである。これらの事実を実感したことによって、やっと地図上の中東とぼくのイメージとしての中東が重なった。この果てしなく遠いと思われがちな地域は、日本と欧州の間、その名の通りMiddle Eastの場所にしっかりとあるらしい。
2018年2月10日 テルアビブ Abraham Hostel
【イスラエル旅】テルアビブのベン・グリオン国際空港から入国した初日(中東中米旅#1)
アジア人が、めずらしいのだろうか。テルアビブに到着し、ベン・グリオン国際空港の入国審査に並んでいると、ユダヤ教の民族衣装である小さな帽子「キッパ」を頭に乗せた人たちにチラチラと見られた(とくに子どもたちにはジロジロと見られた)。
この「見られる」という感覚は、久しぶりのものだった(2011年のスペイン自転車旅以来だと思う)。ぼくの中で「見られない」ことが当たり前になっていたのはここ数年の間、ぼくがドイツや台湾、中国などたくさんのアジア人が訪れている場所にしか行っていないからでもあり、世界中のコミュニティにアジア人(とりわけ中国人)が進出しているからでもあると思う。だからこそ、自分が「異質」であることを気づかされる眼差しを受けるのは新鮮な感覚だった。
「そうか。ぼくはアジア人がめずらしく思われる国に来たのか」
向けられた視線によって、自分がアジア人にとっては王道とは言えない観光地にやってきたことを気づかされた。
入国審査を終えタクシーに乗って、中心部にあるホステルに向かった。木曜日のテルアビブの街中は、イスラエルの安息日前夜ということもあり、多くの人で賑わっていた。海に面したリゾートエリアは綺麗に整備されていて、ハイソサエティな感じがしたけれど、ときおり鳴り響くクラクションと隙あらば先に進もうとする荒い運転が、ぼくに安心を与えてくれた。
2017年2月9日 テルアビブ Abraham Hostel
【イスラエル・キューバ旅】チェ・ゲバラのTシャツと聖書でイメージした、イスラエルとキューバという国(中東中米旅)
物心がついたころには、イスラエルとキューバが「身近」にあった気がする。
ぼくは、中学1年生のころにはじめて聖書を手にした。それはとても外発的な理由で、たんにカトリック系の私立中学校に入学したからである。結局、その聖書をほとんど開くことなく中高6年間を過ごしたけれど(むしろ、大学生になってから読みはじめた)、学校の正面玄関にドンボスコの銅像があるような環境に身を置いたことによって、自発的ではないにせよ普段から「宗教」を感じながら生活することになった。
そして、エコロジストである父は、ぼくが月に何度か行われる朝礼がわりのミサに参加することを余儀なくされた時期に、キューバの革命家チェ・ゲバラの肖像が大きくプリントされた真っ赤なTシャツを好んで着ていた(父は、1990年代後半にキューバを訪問していたのでその当時の写真をよく見せてくれた)。
キリスト教を信仰する学校に身を置き、チェ・ゲバラを信仰する父(正確には、信仰していたかどうかは分からない)がいたという状況は、「イスラエル」や「キューバ」という言葉を常にぼくの頭の片隅に忍ばせていたのである。そして、いつしかその言葉は徐々に大きくなり「いつか行ってみたいな」という思いへと変化していた。
ついに、出発の時がきた。
⚫︎いま見ておくべき国へ
これから、イスラエル・メキシコ・キューバの順に1ヶ月の旅に出る。大学生最後の長期休暇だけれど、行き先は迷うことなく決まった。個人的な思いから、「いま見ておくべき国」に行くことにした。
⚫︎これまでのキューバが変わるらしい
『1959年のキューバ革命以来続いた対立の歴史において、大きな転換点になると期待されている』(2016年3月21日BBC)
2016年3月20日。オバマ米大統領(当時)は、現職の米大統領としては88年ぶりにキューバを訪問した。ぼくが目にした多くのメディアでは、『対立していた米国とキューバの関係性が転換点をむかえている』ということを論じていた。それらを読んで「へぇ~仲良しになるんだ~」となんとなく思っていたのだけれど、同時に良くも悪くもアメリカ資本がキューバへ流入するので「これまでの牧歌的なキューバは今しか見ることができない!!」といった議論も起こっていた(当時、そこそこ多くの人が急いで航空券を購入しキューバへ行っていた)。
当時、すぐさまキューバへ行けるほどの行動力も貯金も無かった(借りてでも行くべきだったのかもしれない)ので、結果的にはオバマ訪問から2年後に行くことになった。でも、その歴史的な流れがあったからこそ「いつか行きたい」から「いま行かなきゃ」という考えに変化したのだと思う。
奇しくも、イスラエルに「いま行かなきゃ」と考えるようになった理由も米大統領のニュースが関係している。
『(トランプ米大統領は)エルサレムではユダヤ教の聖地「嘆きの壁」を現職の米大統領として初めて訪れ、オバマ前政権で冷え込んだイスラエルとの関係改善を強調~』(2017年5月23日朝日新聞)
2017年5月22日。トランプ米大統領は、初外遊でイスラエルを訪問した。このニュースもまた、多くのメディアで取り上げられていた。
このニュースを知ったときに、ぼくの中でキューバとイスラエルへ行くことが決まった気がする。それは、政治的な関心というよりも、アメリカとの関係性が「特殊な」ふたつの国々を同時に訪問すると、どんな発見ができるのだろうといった、好奇心のようなものだと思う。
ひとつの旅の中で、大きな枠組みでは共通するけれど根本的には違いのあるものの両方を見ることは、それまで知らなかった新しい感情が生まれることに繋がる。ここ数年でアメリカの大統領が訪問しているイスラエルとキューバに行くと、どんな「感情」が生まれるのだろうか。10年以上も前から、「身近」に感じていた国に行ける日がやってきた。
2018年2月8日 成田空港第1ターミナル