【台湾一周自転車旅】 「台湾に進学した女の子がいるよ」。宮崎に住む母の紹介で会ってみたら、「ふつう」の20歳だった/日本人留学生インタビュー×台北・銘傳大学(Day11・特別編)
「すみません~、遅れました~」
夜市がにぎわい始めた台北の繁華街で、女子大生を待っていた。彼女とは、初対面。「高校卒業後、台湾へ進学」。このフレーズが、僕の中での留学生像を形作っていた。どんなアグレッシブでストイックな子が来るのだろうと身を構えていたら、こちらが拍子抜けをしてしまうほどに穏やかな子がやってきた。少し戸惑いながらも(相手は、久しぶりの自転車旅で目をキラキラさせていた僕に、もっと戸惑っていたかもしれない)、台湾でも日本と変わらぬ心の持ちようで日常を過ごしているような「ふつう」の女子大生について行った。
●日本人留学生インタビュー×銘傳大学
今回の旅では、台北に4日間滞在した。そして、観光の案内役をしてくれたのが、佐々木みどりさん。市内にある、銘傳大学に通う大学2年生だ。同じ宮崎出身で、互いの母親が知り合いということで繋がった彼女に、留学生活についてお話を聞いた。
松本:3日間の台北観光では、お世話になりました!改めて、お話を聞かせてください。
佐々木:はい!よろしくお願いします。
●台湾を選んだ理由は「住みたい!」
3日間たくさん話したけど、改めて順を追って聞かせてください。しつこくて、すみません(笑)。まずは、台湾留学を決めたキッカケを教えてください。
大丈夫ですよ。たくさん聞いてくださいね(笑)
きっかけ、ですね。私が留学に興味を持ち始めたのは、小学生のころです。父が学生時代にイギリス留学を経験していて、その話をよく聞いていました。なので、昔から「大きくなったら、留学するんだろうな~」と漠然と思っていました。その時は、英語圏のつもりでしたが(笑)
佐々木さんは、高校卒業後すぐに台湾へ進学したわけだけれど、どうして台湾だったの?
「住みたい!」と思ったからです(笑)高校2年生のとき、所属していた吹奏楽部の演奏会で、初めて台湾を訪れました。台湾の文化や人々に触れて、いつか住んでみたいと思うようになりました。それが、「台湾」が留学先の候補になったキッカケですね。
当時は中国語がさっぱりわからなかったので、ボディランゲージや通訳の人を通して、現地の人とコミュニケーションをとっていました。その体験から、もし中国語を習得して台湾の人たちとお話ができたら、より直接的で深いコミュニケーションがとれて楽しいだろうと思うようになり、中国語をマスターしたいという気持ちが芽生えました。
それで、台湾留学を決めたのですか?
いえ、違います。決め手は、母の一言でした。
●背中を押された、母の一言
高校2年生の時期って、大学のオープンキャンパスに行ったりして、自分の志望校を決めますよね?
はい。僕も関西の大学を中心に、いくつか行きました。結局、1度も行ったことのない大学に進学しましたが(笑)
私は、実家が宮崎ということもあり、福岡の大学を中心にオープンキャンパスへ足を運びました。でも、私にとってはどこもしっくりこなかったんです。血が騒ぐような大学が、国内ではみつかりませんでした。志望校が決まらず、モヤモヤしている。だけど、台湾にはいつか住みたいと何度も言っている。そんな私を見て、母が言ったんです。
「じゃあ、行けば」って。
衝撃的ですね。
その通り、衝撃的でした。私にとっては、進学先が決まらないことと台湾に住みたいということは、結びついていませんでした。でも、母は「台湾に住みたいなら、向こうの大学に進学すれば良いじゃん」って。その一言で、海外留学への扉が開きました。日本の大学に進学してから留学するのではなく、初めから留学するという選択肢もあるんだというように。突然、高校卒業後の視野が広がった気がしました。そして、その一言をうけて「台湾へ行くんだ」と決意しました。
高校卒業後は、例の予備校に通ったんですか?
そうです。例の予備校です(笑)半年間の予備校生活を経て、銘傳大学ラジオテレビ学科に進学しました。
*「例の予備校」とは、茨城県にある台湾留学サポートセンターのこと。ここでの生活については、高雄・福井くんや嘉義・諸喜田さんのインタビューをご覧ください。
●台湾での大学生活と今後の進路
台湾で始まった大学生活は、いかがですか?
化粧、はじめました!(笑)高校時代は校則で禁止されていたので、お勉強中です。
化粧ですか、まさかそんなポップな返事が来るとは思いませんでした(笑)。佐々木さんって、留学生のイメージを壊すほどに「ふつう」の女子大生というところが良いですよね。僕の友達にも留学経験者が多いのですが、彼女たちはとても強い(笑)。
それ、よく言われるんです(笑)
「留学だ!決戦だ!!」みたいな海外留学への強い思いと気合いがあり、彼女たちと話していると、日々を生き抜く力を与えてもらっている気になります。そんなイメージができあがってるからこそ、佐々木さんは新鮮なタイプです。日本での生活と台湾での生活の間に、境界線を引くことなく、日本の延長線上に台湾での日常がある感じがします。
私としては、留学だからといって、あまり気負う必要はないのかなと思っています。それに、日本や台湾とか関係なく、私にとっては初めての大学生活なので、肩に力を入れることなく楽しもうと思っているんです。
そんな楽しい大学生活も、半分が過ぎようとしています。残り2年間でやっておきたいことはありますか?
短期でも良いので、英語圏に留学したいと思っています。1年生のころは、中国語での授業はほとんど聞き取れなかったし、会話も不自由な時がありました。でも今では、ほとんど聞き取れるようになりました。もっと勉強していく必要はありますが、次のステップとして英語学習に力を入れていきたいなと思っています。
所属は、「テレビラジオ学科」。どんな授業を、受けているのですか?
私の専門は「映像制作」なので、授業では制作のノウハウを学んだり、実際に制作したりしています。この前制作したミュージックビデオでは、主演を任されました。最初はとても不安だったのですが、「みんなでひとつの作品をつくりだした」という完成したときの達成感は、うれしかったです。
映像制作って、クリエイティブ性を求められるイメージがあるのですが、その学科に入って新しく始めたことなどはありますか?
これまで以上に、「海外の人がみる日本」を意識するようになりました。
それは、面白い視点ですね。海外の人からみた日本なんて、考えたこともありませんでした。具体的には、どんなことをしているのですか?
今年の夏、日本人の友達と京都へ行きました。その時に、台湾人は日本のどんなところに興味があるのだろうと疑問に思ったので、事前に「台湾人が京都へ行ったらやりたそうなこと」を書き出して、実際にやってみました。そして、インスタに写真を投稿して、台湾人の友達の反応を確かめるみたいな。私は、あえて台湾人として日本をみることによって、日本をどのように発信していけば、海外の人たちが興味を持ってくれるのだろうという視点を持つようにしています。
最後に、これから、海外への留学を考えている中高生に一言お願いします。
気負わないでください(笑)
留学は、「大変」「キツい」というイメージがあると思います。でも、ただただ「楽しい」側面もあります。まずはやりたいことを見つけて、それを実現するにはどの場所がベストなのかを考えてみることが大切だと思います。
プロフィール
佐々木みどり。宮崎出身。高校卒業後、約半年間の中国語予備校生活を経て、銘傳大学ラジオテレビ学科に進学。休日は、友人と写真を撮りに出かけたり、たまに遠出をして、台北やそれ以外の地域に足を運ぶ。ドラマや映画鑑賞が好きで、趣味は、日本のエンタメを追いかけること。卒業後は、台湾のメディアで経験を積んでから、日本を拠点にアジアで仕事をしたいと考えている。
【台湾一周自転車旅】沖縄から、台湾へ。「日本ではできない経験」を求めて、台湾留学を始めた女子学生/日本人留学生インタビュー×国立嘉義大学 (Day10・特別編)
【プロフィール】
【台湾一周自転車旅】台北から始まった「環島」。台中から台北まで、最後の180キロメートル(Day9)
台北の街は、大粒の雨さえも夜景のアクセントとして取り込み、大きくきらめいていた。自転車で一周した台湾島全土を束ねる最大の都市に、僕はもどってきた。
●小雨の台中
台湾一周「環島(ファンダオ)」の最終日は、小雨だった。これまで天候に恵まれて、快晴の空のもとを走ってきた。「最終日くらいは、雨でも良いか」と自分に言い聞かせながら、真っ暗な午前5時の台中の街を走り去った。
今日の予定は、台中=台北間の180km。距離こそ長くはないけれど、前半の120kmは、新竹の「風の強い地域」といわれている海岸沿いを走るため、大幅なタイムロスを見込んでいた。なんとか、夕暮れ前に到着したい。そんな思いで、新竹を目指した。台中郊外まで走ると、潮の香りをともなった風が、少しだけ吹いてきた。
●新竹までの120キロメートル
まったく、進まない。出発から、10kmほど走った辺りで、心地よい海風は「そう簡単に、台北までは行かせないよ」と言わんばかりに強い向かい風へと一変した。下り坂でも進まないといった事態に「(笑)」と思いながら、気楽に進んでいった。
車とバイクでごったがえし、日系の百貨店もある新竹の中心部に到着したのは、午後3時。ここまで、120km。2時間前には到着するはずだった新竹駅前を通り過ぎ、台北の手前にある都市・桃園を目指した。強い風は、まだ続いていた。
●夕暮れの桃園
この旅最後の山道を越えたとき、「桃園市」の標識が目に入ってきた。タイムロスをしながらも、着実に前に進んでいるのだと感じた。「ここまできたぞ、もう少し!」と、自分を鼓舞しながら進んでいく。桃園の中心部に到着すると同時に、今回の旅ではあまり使わなかったライトを点灯させた。
台北までは、残り55km。なかなかシブい距離だけれど、ここまできたら一気に台北へ行きたかった。台湾を走っているあいだ、「最悪、電車に乗れば台北に到着するよな…」と、保険の選択肢を頭の片隅で考えている自分を脱ぎ捨てたかった。
自転車旅を始めた小学生のころは、「自転車をこがなきゃ目的地へはたどり着けない。必ずこぎきるぞ」と思っていた。それなのに、22歳の大人になった今、「諦めても、目的地へは行ける」という考えを持ちながら自転車に乗っている。そんな自分に気づいたとき、自分の思考というものが進化ではなく、明らかに退化していると感じた。
ここで諦めるか、台北まで走るか。選択によっては、「台湾自転車旅2017」の価値に天と地の差が生まれるのではないかと思った。「絶対に、台北までいこう」。1個20円の大きな餃子を、最後のエネルギー源として食べた。真っ暗になった桃園の街は、帰宅ラッシュの渋滞で混雑していた。そして、小降りだった雨は、大粒の土砂降りに変わった。
●きらめく台北
夜のネオンに照らされた、桃園の市街地。大都市・台北が近づいていることを予感させる賑やかなこの街からの40kmは、すべて下り坂だった。それに、幸か不幸か、大雨の中の走行だったため、安全に走行することに緊張感が向いていて、限界が近づいていたひざの痛みが全く気にならずに走ることができた。最後に、山に沿った真っ暗な自転車道路をかけおりていくと、視界一面にきらめく台北の街が見えてきた。
「もどって、きた」。一気にこみあげてきた高揚感が、自転車の速度をあげた。ひざの痛みも、雨に打たれた体の寒さも、一瞬で忘れた。郊外と中心部をへだてる淡水河に架かる橋を、全速力で越えて台北駅に到着した。達成感にひたりながら、自転車をおりてヘルメットをおいた。深呼吸しながら空に向かって大きく伸びをすると、橋を越えるときまで降っていた雨が、いつの間にかやんでいることに初めて気がついた。
11/3 台中=台北 180km 10h30m 総走行距離895km
【台湾一周自転車旅】「Are you Japanese?」。環島の途中で声をかけられたのは、台中の「地元」へ足をのばしたからだった(Day8)
「Are you Japanese?」
「Are you Japanese?」
僕は、必ずと言っていいほどに韓国人か中国人に間違えられるので、「日本人ですか?」とたずねられて(台湾では、初めて間違えられなかった)日本人としてのアイデンティティを取り戻したかのように元気よく「Yes!!I’m from Japan!!」とこたえた。すると、日本語の会話が始まった。
「私、日本に留学していたことがあるんですよ」
声をかけてきたのは、僕が立ち寄ったお店で働いている店員さん。彼女は、6年前に大阪天王寺の専門学校に通っていて、4年間日本に住んでいたらしい。どうりで、日本語が上手なわけだ。まさか、田舎のお店で日本語を話せる人に出会うとは思っていなかったので、たくさん質問した。
【台湾一周自転車旅】「環島」で感じた、自分の甘さとは(Day7)
【台湾一周自転車旅】台北から高雄まで500キロメートル!/「環島」の前半まとめ(Day6)
【台湾一周自転車旅】「自分を変えたい」。宮崎・日向学院の男子高校生は、その思いを胸に台湾へ渡った/日本人留学生インタビュー×高雄・義守大学(Day5・特別編)
LINE電話の受信音に、叩き起こされた。現地時刻は、午前3時。アメリカのカリフォルニアに滞在していた3年前の夏休み、大学1年生の夏を地元で過ごしていた中学時代からの親友が、久しぶりに会った同級生たちの近況を連絡してきた。その中で、ずっと気になっていた「近況」があった。
「あいつ、半年間で中国語を習得して、これから台湾の大学に行くらしいよ!」
親友によると、僕たちの高校時代の同級生が日本の大学ではなく海外の、それも台湾の大学に進学するというのだ。時差をまったく気にしない親友からの連絡を、半分眠りながら聞いていたのだけれど、物静かな同級生の衝撃的な「近況」を聞いてパッと目が覚めた。
それ以来、なぜ彼が台湾の大学へ進学したのか、ずっと気になっていた。そして今回、ようやく彼に再会することができた。
●「日本人留学生インタビュー×義守大学・福井達貴くん」
宮崎県で過ごした高校時代の同級生、福井達貴(たつき)くんは台湾第二の都市「高雄」の義守大学に留学している大学4年生。高校卒業後、日本の大学ではなく台湾の大学へ進学した。どうして彼は、その進路を選択したのか。3年半ぶりに再会し、お話を聞いた。
●海外へ進学するキッカケ、そしてなぜ「台湾」なのか
松本:お久しぶりです。台北からチャリを500kmこいで、あなたに会いに来ました(笑)
福井:ありがとう(笑)。せっかく来てくれたから、今日はたくさん聞いてね。
さっそくだけど、台湾に進学するキッカケを聞かせて。大学1年生のころに、福井くんの進路を聞いてから、ずっと気になってた。
一番のキッカケは、「環境を変えて、自分を成長させたい」と思ったことかな。自分に自信が持てない性格を、変えたくて。何かに挑戦するという選択肢として、「海外留学」を選びました。
そこで意外なのが、選んだ留学先。どうして「台湾」だったの?
理由はたくさんあるけど、大きく分けてふたつ。中学時代に、中国語の授業があって言語だけでなく中国語圏の文化に触れる機会が多くて、ずっと興味を持っていたから。それに、僕が在籍している義守大学の国際ビジネス学部は、中国語の授業だけでなく英語での授業も活発で、中国語と英語の両方を学べるのが魅力的だったからかな。
●見切り発車の決断と留学までの過酷な「缶詰め生活」
福井くんは日本の大学進学を目指して、受験勉強をしていたイメージがあったのだけど、いつ頃「台湾進学」を決めたの?
高校3年生の2月(笑)
げっ!卒業間際!!(笑)どうして?
進学先を国内か海外にするかで迷っていたから、高校3年生の11月ころに「海外留学」について調べ始めた。情報を集めていると、どんどん留学したい気持ちが強くなって、12月には国内の国立大学の受験に落ちたら台湾へ行こうって決めた。たぶん、この時点で自分の意識は台湾留学に向いていたと思う。結果的に、良くも悪くも国立大学に落ちたので、すぐに台湾へ行こうと思った。
留学を決めて、どのように中国語を勉強したの?
茨城県守屋にある「台湾留学サポートセンター」で、寮生活をしながら、いわゆる予備校生活を始めたよ。3月後半から入学試験までの約半年間、文字通りの「缶詰め生活」で、毎日12時間以上勉強する日々だった。寮は中国語しか使えない規則で、最初は自分の言いたいことが全く伝えられず、ストレスと将来への不安とで、毎晩布団の中で泣いてた(笑)
それでも「台湾に行く」と決めたからには、妥協はできないから、毎日抜け毛や血尿と闘いながら(笑)、頑張りました!数か月間、中国語を必死に勉強して、予備校からの「指定校推薦」の試験に合格し、義守大学へ進学することになったよ。
予備校からの進学は、「指定校推薦」が一般的なの?
国立でも私立でも、「指定校推薦」での進学が一般的。推薦とはいえ、中国語の授業についていくための語学力、その他にも英語や数学などの教科も勉強しないといけなかったから、大変だった。でも、予備校での努力が自分への「自信」に繋がったので良かったと思う。ただ、もう二度と戻りたくはないかな(笑)
●初心に戻り続ける、留学生活
過酷な予備校生活を終えて、いよいよ留学生活が開始。異国の地での生活に、最初は慣れない部分も多かったと思うけど、自分に自信をつけてやってきた台湾での生活はどうでしたか?
授業初日から、予備校で培った「自信」が見事に打ち崩されました。教授が何を言っているのかも分からないし聞き取れない。友達にも自分の気持ちが伝えきれない。ストレスで、抜け毛と血尿と夜泣きが、また始まった(笑)
でも、僕はかなりの負けず嫌いだから、「負けたくない」という気持ちで、必死に勉強してまずは言語の壁を乗り越えました。
「諦める」のではなく、試練を乗り越えるために「努力する」ことができる福井くんのモチベーションはどこからやってくるの?僕が同じ状況なら、「諦める」を選択しちゃうかもしれない(笑)
ツラい時は、いつも「初心に戻る」ことを心がけてるかな。「自分を変える」ために留学を選択したという原点を思い出して、「もっと頑張ろう!」と自分を鼓舞する。これを繰り返して、なんとか乗り切ったよ。でも、1年生のころなんかはSNSで同級生たちが日本で楽しそうに遊んでいる写真をみて、「台湾に来たのは間違っていたのではないか」と心が折れそうになったこともたくさんあるけどね(笑)
言語の壁以外には、何か困ったことはあった?
台湾人の主張の強さには、戸惑ったね。特に、僕は自分の意見を主張できるタイプではないから、最初は他人の意見ばかりを受け入れすぎててストレスが溜まった。ある時、我慢が限界に達して、台湾人の同級生と大ゲンカをしてしまった。相手からしてみると、これまで意見を言わなかったのに、突然怒り出されても困惑しちゃうよね。
そんな失敗があったから、今では相手の意見を聞いて、それに対する自分の意見もしっかり伝えるようにしている。少しずつ、自分の意見を言えなかった部分が変わりつつあるかな。
●学校生活と生活費用
留学生活では、授業のない休みの日は何をして過ごしているの?
サッカー部に所属しているから、休みの日は練習や試合に参加することが多いかな。それに、日本の大学生と同じようにカラオケやボーリングで遊んだりもするよ。
以前は、勉強もかねて中国語を日本語に翻訳するアルバイトをしていた。かなり大変だったけど、台湾でしかできないアルバイトのひとつだったから、とても良い経験になったよ。ちなみに、給料は7時間働いて1500 元(約5500円)。時給が約400円の台湾では、「稼ぐ」ことのできるアルバイトだったかな。
東京で一人暮らしの身としては、生活費が気になります
生活費は、毎月8500元(約3万円)。これに、光熱費込みの寮費が8000円だから、全部で約4万円かな。僕の寮は、ランクが一番低いから一番安い。義守大学の寮には4階級あって、月の家賃は8000円~4万円。最上級の4万円の寮は、大学内にあるホテルの部屋を借りることになるから、そう考えると日本よりも格段と安いかな。
ここまできたら、全部聞きます。学費も、教えてください(笑)
学費は、年に約30万円。僕の大学は私立だから、国立だともう少し安くなると思う。大学によっては、留学生への給付型奨学金制度があるので、留学の費用としてはそんなにかからないよ。
●4年間の留学を経た、今後の進路
ここまで約1時間、インタビューにこたえてもらいました。高校卒業から今に至るまでの「これまでの話」を聞いたわけですが、「これからの話」を聞かせてください。来年6月に卒業みたいだけど、4年間の台湾留学を終えた後の進路はどうするの?
実はまだ、明確には決めていないけれど、選択肢としては「日本で就職活動」か「コミュニティカレッジで英語の勉強」のふたつかな。
留学後は、日本へ帰国する予定なので、中国語を活かせる企業での就職活動を視野に入れてる。ただ、中国語だけでなく英語習得にも挑戦したいので、英語圏のコミュニティカレッジという教育機関で語学学習をしたいという考えもある。
これまでの留学生活を経て様々な環境に触れ、「もっと成長したい」という気持ちが強くなっているので、残りの大学生活でより良く「自分が変われる」選択肢を考えていきたいと思っています。
●最後に一言
今回、インタビューをさせてもらったキッカケのひとつに、後輩の高校生から「海外の大学生活について知りたい」という要望を受けたということがあります。僕たちの地元の学校でも、福井くんみたいに中高時代から海外留学に興味を持つ後輩たちも増えているようです。
最後に、そんな中高生たちに留学経験者として一言お願いします。
めげない心を用意して、海外留学へ行ってください!(笑)
海外で大学生活を送ることは、ぼんやりと日本の大学に進学するより、絶対に良いと思います。これまで過ごしてきた環境が変われば、自分の視野も広がります。それに、目的を持って留学をすれば、目的を持って留学に来た人たちにも出会うことができ、刺激的な学校生活を送ることができます。
泣く日々の方が多くなるかもしれませんが、「自分を変えたい」「挑戦したい」「成長したい」を求める人には、おすすめです。まずは、自分が何の目的を持って行動するのか、考えてみてください。
【プロフィール】
福井達貴(ふくい たつき)。宮崎出身。高校卒業後、半年間の中国語予備校生活を経て、台湾・高雄の「義守大学国際ビジネス学部」に進学。現在、4年生。趣味は、サッカー、旅行、レートの変動を毎日見ること。大学では、台湾国内で強豪のサッカー部に所属し、FWとして活躍。卒業後は、日本での就職か英語圏のコミュニティカレッジへの進学を考えている。
10/30 高雄・義守大学キャンパスにて