Running and Thinking 松本唯人ブログ

12歳から一人旅を始め、日本全国・海外20数カ国を旅した松本唯人(23)のブログ。台湾自転車旅やイスラエル、キューバ旅など、旅先での情報や日本人留学生のインタビュー記事を不定期で更新しています。近況はinstagram(@yuito.mtmt)で更新中。普段は株式会社TABI LABOでライターとして働いています。

【イスラエル旅】嘆きの壁、岩のドーム、聖墳墓教会。聖地「エルサレム」を観光、ガイドはヘブライ大学留学生(中東中米旅#4)

バスの中で目を覚ますと、あえて“着くずした”かのような街並みが広がっていた。それは大都市の建物群のように、洗練されて常に新しい状態を保っているものではなかった。だけど、その朽ち果てそうな風体こそが、ぼくに街の歴史と魅力を感じさせていた。

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ぼくは予定を1週間も早めて、エルサレムに到着した。

 

オリーブ山からはじまる、旧市街めぐり

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ここから一望できる旧市街は、アルメニア人、ユダヤ人、アラブ人、キリスト教の4つの地区に分かれています

 

ていねいに街の歴史を教えてくれるのは、エルサレムヘブライ大学で歴史学を専攻する光永(ミツナガ)さん。新市街の路面電車の駅で待ち合わせ、「はじめまして」の挨拶を終えると、まずは標高825メートルと街を見渡すことのできる「オリーブ山」に連れて行ってくれた。そして、旧市街を眺めながら、エルサレムの全体的な歴史を教えてくれた。

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山の中腹に見えるのは、ユダヤ人墓地。そして、旧市街側に見えるのは、アラブ人墓地です。それぞれに埋葬された遺骨は、足を向けあって横たわっています。ユダヤ教側は、死者が復活しエルサレムへと行きやすいように、アラブ側はその聖地への入場を阻むために、という意味がこめられています

 

光永さんは、奈良の大学に2年通ったのち、ヘブライ大学にある予科学校(学部試験の準備やヘブライ語を学ぶ教育機関)でヘブライ語を学び始めた。はじめは1年間だけと思っていた留学だったけれど、いつの間にか学部3年目も半ばにさしかかっているらしい。現地で学んだ「生きたガイド」を聞きながら、このオリーブ山から旧市街めぐりがはじまった。

 

嘆きの壁(西の壁)

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オリーブ山をくだり、旧市街へと入場していく。数千年にわたり多くの人が歩いた石畳は、気を抜いているとヨレヨレの運動靴ではすべってしまうほど、つるつるにすり減っている。海外にきたことを知らせる香りが漂うアラブの市場「スーク」を抜けていくと、大きな広場が見えてきた。

 

ユダヤ教の聖地“西の壁”(嘆きの壁)です。ここではユダヤ教の人々が、24時間絶えずお祈りをしています。なので、夜はライトアップもされていて観光客も多いです

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壁に手をあててお祈りをしている人たちのなかに、多くの観光客もまざっている。「信仰」と「世俗」は聖地では分断されているのかと思いきや、意外と一緒になってひとつの場所を共有しているらしい。

 

無料で貸し出しされているユダヤ教の民族衣装「キッパ」を頭にのせて、壁に近づいていった。つるつるになった壁のすき間には、たくさんの紙切れが挟まれている。長い年月をかけて多くのユダヤ教の人々が祈りをささげたことから、今では願い事を書いた紙を壁のすき間にはさむと、願いが叶うという言われがあるらしい。

 

壁をつくっている石の大きさが、列によって違うのわかりますか?この場所は、時代によってさまざまな国家や王朝が支配し、壁を高くしていきました。だから、石の大きさによってどの時代に積み上げられたものなのかっていうのが分かるんですよ

 

岩のドーム

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セキュリティチェックを通過して、イスラム教のエリアへと入っていく。ゆったりとした広場の中心にあるのは「岩のドーム」。オリーブ山から旧市街を眺めたときに、真っ先に視界に飛び込んでくる黄金色のドームが特徴的な建物である。

 

15歳のころ、グラナダ(スペイン)のアルハンブラ宮殿で、はじめて本格的なイスラーム建築を目にした。建築のことを何も知らないぼくでさえも、「なんか、スゴイ」と心をざわつかせる建物の造りを見て以来、イスラーム建築が好きになった。

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幾何学模様と、角ばっていながらもしっかりとひとつの空間に収まっている(ぼくにはそう見える)岩のドーム。教会の絢爛(けんらん)さでも、寺院の質素さでもない中庸な感じが、ぼくの気持ちを落ち着かせてくれるのだ。入場時間の制限さえなければ、この広場でずっとドームを眺めていたかった。

 

聖墳墓教会

 

あのハシゴ、何だかわかりますか?(笑)

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「えっと、わかりません…」

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あれは“不動の梯子”です(笑)。詳しく説明しますね。この教会は、カトリック教会や東方正教会コプト正教会など、複数の教派による共同管理になっています。ただし、その共同管理の問題がひとつの要因となって、戦争が勃発したこともあるんです。そういった争いを避けるために、教会の鍵の管理をアラブ人に任せ教会内の物を現状維持にするという勅令がだされました。そしてこの梯子も“現状維持”をしなければならず、150年以上にもわたってここにあるのです。教会の人がバルコニーに降りるために使っていたただの梯子が、聖地エルサレムの政局によって歴史的な産物となったのです

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この聖墳墓教会は、イエスキリストが十字架に磔(はりつけ)にされた「ゴルゴダの丘」のある場所だとされている。教会内には、キリストの墓や磔にされた際の血が付着した(といわれる)岩などがあり、教派を問わず多くの人たちが訪れている。また、ここはアダムの墓があるという説もあり、教会内にあるキリストの磔を描いた絵には十字架の真下にアダムの髑髏(どくろ)が描かれている。

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ぼくは、中高時代はキリスト教系のミッションスクールで過ごした。その学校では、定期的なミサや「クリスマスのつどい」といったさまざまな行事が行われていた(クリスマスには、合唱部がよく「ベツレヘムの歌」を歌っていた)。ぼくを含め、多くの友人たちは信仰を持っていたわけではないから、ただ行事に参加し神父さんたちが読む聖書の一節に耳を傾け(多くの中高生には子守歌になっていた)、「今年もこの季節がやってきたか」という知らせを受けている程度の感覚だった。だけど、中高時代という成長の基盤を作る時期にその「教え」の中で生活したことは、少なからず「宗教」や「聖地」といったものに対する関心が醸成されたきっかけだったと思う(現にぼくは今、エルサレムにいる)。

 

当時は、聖書の一節も学校で感じたキリスト教という宗教も、とても平面的だったけれど、こうやって聖地をめぐることによって少しは立体的なものへと変わった気がする(それは究極的に理解が深まったというわけではなく、公式を暗記して解いていた数学が、公式を導き出してから解けるようになった感覚に似ていると思う)。

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半日をかけて、旧市街をめぐった。光永さんのガイドのおかげで、歴史や文化を学びながらめぐることができた。「明日以降時間があれば、ヘブライ大学も案内しますよ」。その優しい提案に甘えるため、テルアビブに戻る16日までエルサレムに滞在することを決めた。

 

2018年2月12日 エルサレム Abraham Hostel