Running and Thinking 松本唯人ブログ

12歳から一人旅を始め、日本全国・海外20数カ国を旅した松本唯人(23)のブログ。台湾自転車旅やイスラエル、キューバ旅など、旅先での情報や日本人留学生のインタビュー記事を不定期で更新しています。近況はinstagram(@yuito.mtmt)で更新中。普段は株式会社TABI LABOでライターとして働いています。

【台湾一周自転車旅】「Are you Japanese?」。環島の途中で声をかけられたのは、台中の「地元」へ足をのばしたからだった(Day8)

横目に通り過ぎた商店が、気になった。わざわざ止まるのは面倒に思ったけれど、「地元へ、もっと足をのばそう」と誓ったからには、気になったお店に行こうと思った。ほどよい下り坂で加速していたスピードを緩め、通り過ぎたお店へ引き返した。
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嘉義のホステル。台湾でも、「インスタ映え」で集客を狙っているお店を多く見かける
そこで、たずねられた。

「Are you Japanese?」
 
 
嘉義から台中へ
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今朝は、5時過ぎに嘉義のホステルを出発した。毎朝早朝に出発するのは、午前中のうちに100kmを走行しておくと、午後を楽に迎えることができるからだ。朝早く出発し、ゆっくり休憩をとりながら走ることが、連日続く長距離サイクリングで大切な「体のいたわり方」なのである。
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嘉義=台中間も、平たんな国道を走り続ける。台中の市街地まで「12km」の標識を確認し、ラストスパートの小高い丘をのぼっていく。台湾には、自転車がノロノロと坂道を上っていても、車やバイクに邪魔にならないほどの自転車レーンがあるから、ゆっくりとマイペースに走ることができる。「もう、台中まで来たのか」とここまでの道のりを懐かしんでいると、丘のてっぺんにさしかかった。顔をあげると、台中の街が広がっていた。
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●「地元」に足をのばして生まれたコミュニケーション
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台中の市街地に到着する20km手前の地点で、自転車から降りた。時刻は、1030分。昼食にはまだ早かったけれど、なぜか見逃せなかった地元の食事処があったのでそこへ立ち寄った。「鴨肉麺」(薄味のスープに入った麺の上に鴨肉がのっているもの)を食べながら、Google Mapsで台中までのルートを確認していると、声をかけられた。

Are you Japanese?」
 
僕は、必ずと言っていいほどに韓国人か中国人に間違えられるので、「日本人ですか?」とたずねられて(台湾では、初めて間違えられなかった)日本人としてのアイデンティティを取り戻したかのように元気よく「Yes!!I’m from Japan!!」とこたえた。すると、日本語の会話が始まった。
 

「私、日本に留学していたことがあるんですよ」
 
声をかけてきたのは、僕が立ち寄ったお店で働いている店員さん。彼女は、6年前に大阪天王寺の専門学校に通っていて、4年間日本に住んでいたらしい。どうりで、日本語が上手なわけだ。まさか、田舎のお店で日本語を話せる人に出会うとは思っていなかったので、たくさん質問した。
 
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「“冬粉”。ずっと気になってたんですけど、これは何の料理ですか?」
 「あぁ、それは“はるさめ”ですね。日本にもあるでしょ」
 
 「台中で、台湾ならではの食べ物を食べられるお店を知ってますか?」
 「台中のことはあまり詳しくないけど、1km先に台湾のお菓子を売っているお店があるから、行ってみてください。そこは、私の実家なので私が作ったお菓子もあるんですよ」
 
「へ~、そうなんですね!ちょうどそっちの方面に行くので、寄り道します!」
 
昼食にしては、おしゃべりに時間を使い過ぎてしまった。でも、平凡で他愛ない会話が、一人で旅をしている僕の心を満たしてくれた。もし、横目に通り過ぎていくこのお店を見逃していたなら、このコミュニケーションは生まれなかったし、そもそも彼女とも出会わなかっただろう。「地元へ、足をのばそう」。ちょっとした心がけで、こんなにも旅の質がかわるのかと、改めて感じた出来事だった。
 
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彼女とお別れし、台中の市街地を目指した。ラストスパートは、ちょっとした上り坂。体のふしぶしに、700km分の疲労を感じながらふんばっていく。「残りの旅、気をつけていってらっしゃい」。見送りの言葉を思い出すと、少しだけひざの痛みが軽くなった気がした。
 
11/2 嘉義=台中 100km 5h00m  総走行距離715km

【台湾一周自転車旅】「環島」で感じた、自分の甘さとは(Day7)

台湾人の朝は、はやい。
 
 
 
3日間滞在した高雄のホステルを、午前5時に出発し「嘉義」へ走り始めた。辺りは暗く、街も静か。だけど、朝食屋さんはすでに開店しお客を待ち構えている。早朝の出発で、ホステルの朝食が食べられなくてもエネルギーを摂れるから、ありがたい。
 
 
 
国道からひとつ入った路地裏で、せっせと働くおばちゃんが出してくれた鶏肉と出汁がかかったごはん1杯を胃の中にかきこみ、日がのぼってくる前に自転車にまたがった。
 
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●平坦でほこりっぽい西側の「環島1号線」
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高雄から嘉義までは、一直線の道を走る。都市の中心部を通り過ぎると、まんべんなく人口とお店が分散した、日本の地方都市に似た「国道沿い」の雰囲気になる。交通量が多く、マスクを着用しないと走れないほど排気ガスも多い。花蓮や台東など、景観を楽しみながら走っていた東側の旅を恋しく思いながらも、極端な上り坂も爽快な下り坂もない、平坦な道のりを淡々と進んでいった。
 
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●台湾を走りながら思う、自分の「甘さ」
 
 
 
「甘いな、自分」。
 
台湾で、何度も自分に喝を入れた。そのワケは、台湾に数多くある日系のコンビニを「当たり前」のように使いそうになっているからだ。
 
 
 
海外の自転車旅で大変なのは、水分と食料の定期的な確保である。ヨーロッパの自転車旅なんかでは、山間地域へ入る前に貴重な物資を提供するお店を見逃してしまうと、いろんな意味で大変な山越えになってしまう。
 
しかし、先進国で過ごす日々の便利な生活から放たれ、僕たちが本来持っている嗅覚が研ぎ澄まされる瞬間(「ここで栄養補給しないと、とんでもないことになるかもしれない」といったことが本能的にわかる瞬間)こそが、ある種の快感だったりする。
 
 
 
台湾には、ファミマやセブンなど、たくさんのコンビニが出店されている。サイクリストにとっては、ありがたいし便利なことなのだが、当たり前のようにコンビニを利用してしまいそうになる自分の「甘さ」にはうんざりしてしまう。
 
 
 
 ●「当たり前」を選びすぎると、「新しいモノ」が閉ざされる
 
 
せっかく台湾に来ているのだから、地元のものに触れて、新しいモノを知ることが大切だと思う。しかし、見慣れているコンビニがあるということから、新しい価値観に触れようとする主体性が弱まり、コンビニを利用するという「現状維持」を選んでしまう。
 
 
 
台湾を自転車で一周するという大枠の中で、現地の文化にどっぷりとつかることをためらい、コンビニという「合理的な手段」を選ぼうとする中身の薄っぺらさは、最近の自分が、いかに「主体性」を忘れて日々を過ごしていたかを象徴していると思う。
 
 
 
 
 
「甘さからの、脱却」。
 
どこかで聞いたことのあるフレーズは、残り数日の自転車旅のマニフェストである。達成するために、まずはコンビニで水分以外の購入をやめることにした。食事を地元の商店でとれば、時間はかかるかもしれないけれど、そこでのコミュニケーションから何か生まれるかもしれない。
 
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高雄で生活する日本人留学生たちから、新しいことに触れる主体性や積極性をわけてもらい、残りの数日間で自分の「甘さ」を脱ぎ捨ててしまおうと決意した。
 
 
 
11/1 高雄=嘉義 120km 5h20m 総走行距離615km

【台湾一周自転車旅】台北から高雄まで500キロメートル!/「環島」の前半まとめ(Day6)

台湾を訪れ、1週間が経過しました。台北を出発し、東回りで500kmを走りました。第二の都市・高雄に到着してから、休憩と日本人留学生へのインタビューを兼ねて3日間滞在しています。早くも、台湾自転車旅の半分が終了です。これまでの旅を、振り返ってみましょう。
 
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●台湾のサイクリングロード
 
(1)道路状況
 
日本よりも、自転車道路あるいは道路の側道の幅が広く、走りやすかったです。
 
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台湾を自転車で1周するにあたって、懸念していたのは東側の道路状況でした。台湾には、「環島1号線」という自転車道路があり、サイクリングで1周できるようになっています。とはいえ、人口の多くが住む西側とそうではない東側では、道路状況が異なるのではないかと思っていたのです。
 
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しかし、それは無駄な心配でした。東側の宜蘭=花蓮間を除くすべての1号線は、自転車道路があり、日本国内よりも十分に走りやすかったです。ちなみに、宜蘭=花蓮間は断崖絶壁でトンネルも多く道幅も狭いため、安全なサイクリングができるとは言い難く、宜蘭の中心部から10kmほど南下した郊外にある蘇澳新駅から電車での移動になります。
 
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ここでは、サイクリングツーリズムの観点からサイクリストへの配慮がなされていて、蘇澳新駅=花蓮駅間(約80分)の電車は特別な事情がない限り自転車をそのまま持ち込めます。日本のように、どんなに田舎の駅でもわざわざ自転車をバラさなくて良いのは、とても便利です。
 
 
 
 
また、台湾には日系のコンビニ(特に、セブンイレブンファミリーマート)が多く出店されていて、東側も例外ではありません。国をあげてサイクリングツーリズムを推進しているため、「かゆいところに手が届く」といった絶妙な位置にコンビニが配置されています。1度見逃すと数十キロもお店がないといったことは基本的にはないので、いざという時には便利です。
 
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ただし、宜蘭=花蓮間や台東=車城の寿峠で峠越えをする時は、ふもとにあるコンビニなどで食糧や水分を余分に補充してから上り始めることをおすすめします(旅終了後に、「台湾自転車旅のしおり」として、改めて台湾のサイクリング事情についてまとめます)。
 
 
 
●日本人留学生から学んだこと
 
台北と高雄で、4名の日本人留学生と会い、台湾での生活についてお話を聞きました。それぞれに、台湾へ留学に来た理由があり物語がありましたが、全員に共通していたことは、知らない土地へ足を踏み出す「行動力」だと思います。
 
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日本の大学に進学するという、既存のレールからはずれ台湾進学を選択する行動力を持った留学生たちの話は、聞いている側の僕も「帰国してから何か新しいことをはじめなきゃ」と思わせてくれるような、熱っぽさがありました。
 
 
 
500キロメートルという「尺度」
 
台北から高雄まで、約500kmでした。途中、電車に乗り120kmをショートカットしたとはいえ、「意外と、これくらいの距離か」といったところではないでしょうか。
 
 
 
500kmといえば、僕が一人暮らしをしている東京渋谷からだと大阪の辺りまで、地元の宮崎市からだと広島市辺りまでといったところです。このように考えると、九州ほどの大きさと言われている台湾島の大きさを、より現実的に把握することができます。
 
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そういった距離を、実際に自転車で走ってみることによって、500kmという距離を自分がどれくらいの時間をかけて移動できるのかという「尺度」を得ることができます。そして、この尺度は自分が何か新しい事柄に足を踏み入れようとするときに、距離としての尺度だけでなく、もっと普遍的で大きな枠組みの「ものさし」として、自分を後押ししてくれるのです。
 
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「旅で何をするか」を考えながら走った、前半が終了しました。台北へ折り返す旅の後半は、「帰国後に何をするか/始めるか」を考えながら、自転車で走っていこうと思います。
 
10/31日 高雄のユースホステルにて

【台湾一周自転車旅】「自分を変えたい」。宮崎・日向学院の男子高校生は、その思いを胸に台湾へ渡った/日本人留学生インタビュー×高雄・義守大学(Day5・特別編)

LINE電話の受信音に、叩き起こされた。現地時刻は、午前3時。アメリカのカリフォルニアに滞在していた3年前の夏休み、大学1年生の夏を地元で過ごしていた中学時代からの親友が、久しぶりに会った同級生たちの近況を連絡してきた。その中で、ずっと気になっていた「近況」があった。

「あいつ、半年間で中国語を習得して、これから台湾の大学に行くらしいよ!」

 

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親友によると、僕たちの高校時代の同級生が日本の大学ではなく海外の、それも台湾の大学に進学するというのだ。時差をまったく気にしない親友からの連絡を、半分眠りながら聞いていたのだけれど、物静かな同級生の衝撃的な「近況」を聞いてパッと目が覚めた。

それ以来、なぜ彼が台湾の大学へ進学したのか、ずっと気になっていた。そして今回、ようやく彼に再会することができた。
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●「日本人留学生インタビュー×義守大学・福井達貴くん」

宮崎県で過ごした高校時代の同級生、福井達貴(たつき)くんは台湾第二の都市「高雄」の義守大学に留学している大学4年生。高校卒業後、日本の大学ではなく台湾の大学へ進学した。どうして彼は、その進路を選択したのか。3年半ぶりに再会し、お話を聞いた。


●海外へ進学するキッカケ、そしてなぜ「台湾」なのか

松本:お久しぶりです。台北からチャリを500kmこいで、あなたに会いに来ました(笑)

福井:ありがとう(笑)。せっかく来てくれたから、今日はたくさん聞いてね。
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さっそくだけど、台湾に進学するキッカケを聞かせて。大学1年生のころに、福井くんの進路を聞いてから、ずっと気になってた。

 

一番のキッカケは、「環境を変えて、自分を成長させたい」と思ったことかな。自分に自信が持てない性格を、変えたくて。何かに挑戦するという選択肢として、「海外留学」を選びました。

そこで意外なのが、選んだ留学先。どうして「台湾」だったの?

理由はたくさんあるけど、大きく分けてふたつ。中学時代に、中国語の授業があって言語だけでなく中国語圏の文化に触れる機会が多くて、ずっと興味を持っていたから。それに、僕が在籍している義守大学の国際ビジネス学部は、中国語の授業だけでなく英語での授業も活発で、中国語と英語の両方を学べるのが魅力的だったからかな。
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見切り発車の決断と留学までの過酷な「缶詰め生活」

福井くんは日本の大学進学を目指して、受験勉強をしていたイメージがあったのだけど、いつ頃「台湾進学」を決めたの?

高校3年生の2月(笑)

げっ!卒業間際!!(笑)どうして?

進学先を国内か海外にするかで迷っていたから、高校3年生の11月ころに「海外留学」について調べ始めた。情報を集めていると、どんどん留学したい気持ちが強くなって、12月には国内の国立大学の受験に落ちたら台湾へ行こうって決めた。たぶん、この時点で自分の意識は台湾留学に向いていたと思う。結果的に、良くも悪くも国立大学に落ちたので、すぐに台湾へ行こうと思った。

留学を決めて、どのように中国語を勉強したの?

茨城県守屋にある「台湾留学サポートセンター」で、寮生活をしながら、いわゆる予備校生活を始めたよ。3月後半から入学試験までの約半年間、文字通りの「缶詰め生活」で、毎日12時間以上勉強する日々だった。寮は中国語しか使えない規則で、最初は自分の言いたいことが全く伝えられず、ストレスと将来への不安とで、毎晩布団の中で泣いてた(笑)

それでも「台湾に行く」と決めたからには、妥協はできないから、毎日抜け毛や血尿と闘いながら(笑)、頑張りました!数か月間、中国語を必死に勉強して、予備校からの「指定校推薦」の試験に合格し、義守大学へ進学することになったよ。
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予備校からの進学は、「指定校推薦」が一般的なの?

国立でも私立でも、「指定校推薦」での進学が一般的。推薦とはいえ、中国語の授業についていくための語学力、その他にも英語や数学などの教科も勉強しないといけなかったから、大変だった。でも、予備校での努力が自分への「自信」に繋がったので良かったと思う。ただ、もう二度と戻りたくはないかな(笑)

●初心に戻り続ける、留学生活

過酷な予備校生活を終えて、いよいよ留学生活が開始。異国の地での生活に、最初は慣れない部分も多かったと思うけど、自分に自信をつけてやってきた台湾での生活はどうでしたか?

授業初日から、予備校で培った「自信」が見事に打ち崩されました。教授が何を言っているのかも分からないし聞き取れない。友達にも自分の気持ちが伝えきれない。ストレスで、抜け毛と血尿と夜泣きが、また始まった(笑)

でも、僕はかなりの負けず嫌いだから、「負けたくない」という気持ちで、必死に勉強してまずは言語の壁を乗り越えました。
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「諦める」のではなく、試練を乗り越えるために「努力する」ことができる福井くんのモチベーションはどこからやってくるの?僕が同じ状況なら、「諦める」を選択しちゃうかもしれない(笑)

ツラい時は、いつも「初心に戻る」ことを心がけてるかな。「自分を変える」ために留学を選択したという原点を思い出して、「もっと頑張ろう!」と自分を鼓舞する。これを繰り返して、なんとか乗り切ったよ。でも、1年生のころなんかはSNSで同級生たちが日本で楽しそうに遊んでいる写真をみて、「台湾に来たのは間違っていたのではないか」と心が折れそうになったこともたくさんあるけどね(笑)

言語の壁以外には、何か困ったことはあった?

台湾人の主張の強さには、戸惑ったね。特に、僕は自分の意見を主張できるタイプではないから、最初は他人の意見ばかりを受け入れすぎててストレスが溜まった。ある時、我慢が限界に達して、台湾人の同級生と大ゲンカをしてしまった。相手からしてみると、これまで意見を言わなかったのに、突然怒り出されても困惑しちゃうよね。

そんな失敗があったから、今では相手の意見を聞いて、それに対する自分の意見もしっかり伝えるようにしている。少しずつ、自分の意見を言えなかった部分が変わりつつあるかな。

●学校生活と生活費用

留学生活では、授業のない休みの日は何をして過ごしているの?

サッカー部に所属しているから、休みの日は練習や試合に参加することが多いかな。それに、日本の大学生と同じようにカラオケやボーリングで遊んだりもするよ。
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以前は、勉強もかねて中国語を日本語に翻訳するアルバイトをしていた。かなり大変だったけど、台湾でしかできないアルバイトのひとつだったから、とても良い経験になったよ。ちなみに、給料は7時間働いて1500 元(約5500円)。時給が約400円の台湾では、「稼ぐ」ことのできるアルバイトだったかな。

東京で一人暮らしの身としては、生活費が気になります

生活費は、毎月8500元(約3万円)。これに、光熱費込みの寮費が8000円だから、全部で約4万円かな。僕の寮は、ランクが一番低いから一番安い。義守大学の寮には4階級あって、月の家賃は8000円~4万円。最上級の4万円の寮は、大学内にあるホテルの部屋を借りることになるから、そう考えると日本よりも格段と安いかな。
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ここまできたら、全部聞きます。学費も、教えてください(笑)

学費は、年に約30万円。僕の大学は私立だから、国立だともう少し安くなると思う。大学によっては、留学生への給付型奨学金制度があるので、留学の費用としてはそんなにかからないよ。

●4年間の留学を経た、今後の進路

ここまで約1時間、インタビューにこたえてもらいました。高校卒業から今に至るまでの「これまでの話」を聞いたわけですが、「これからの話」を聞かせてください。来年6月に卒業みたいだけど、4年間の台湾留学を終えた後の進路はどうするの?

実はまだ、明確には決めていないけれど、選択肢としては「日本で就職活動」か「コミュニティカレッジで英語の勉強」のふたつかな。

留学後は、日本へ帰国する予定なので、中国語を活かせる企業での就職活動を視野に入れてる。ただ、中国語だけでなく英語習得にも挑戦したいので、英語圏コミュニティカレッジという教育機関で語学学習をしたいという考えもある。

これまでの留学生活を経て様々な環境に触れ、「もっと成長したい」という気持ちが強くなっているので、残りの大学生活でより良く「自分が変われる」選択肢を考えていきたいと思っています。

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●最後に一言

今回、インタビューをさせてもらったキッカケのひとつに、後輩の高校生から「海外の大学生活について知りたい」という要望を受けたということがあります。僕たちの地元の学校でも、福井くんみたいに中高時代から海外留学に興味を持つ後輩たちも増えているようです。

最後に、そんな中高生たちに留学経験者として一言お願いします。

めげない心を用意して、海外留学へ行ってください!(笑)

海外で大学生活を送ることは、ぼんやりと日本の大学に進学するより、絶対に良いと思います。これまで過ごしてきた環境が変われば、自分の視野も広がります。それに、目的を持って留学をすれば、目的を持って留学に来た人たちにも出会うことができ、刺激的な学校生活を送ることができます。

泣く日々の方が多くなるかもしれませんが、「自分を変えたい」「挑戦したい」「成長したい」を求める人には、おすすめです。まずは、自分が何の目的を持って行動するのか、考えてみてください。
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【プロフィール】

福井達貴(ふくい たつき)。宮崎出身。高校卒業後、半年間の中国語予備校生活を経て、台湾・高雄の「義守大学国際ビジネス学部」に進学。現在、4年生。趣味は、サッカー、旅行、レートの変動を毎日見ること。大学では、台湾国内で強豪のサッカー部に所属し、FWとして活躍。卒業後は、日本での就職か英語圏コミュニティカレッジへの進学を考えている。

 

10/30 高雄・義守大学キャンパスにて

【台湾一周自転車旅】車城で早朝に連れ出された理由は、台湾人サイクリストの「やさしさ」だった(Day4)

朝起きると、相部屋だった台湾人のサイクリストに言われた。
 
 
 
「おはよう。僕のBOSSが待っている」
 
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台湾島西側の街「車城」でも、知らない人と相部屋のホステルに宿泊した。今日は、この街から台湾第二の都市「高雄」まで走る予定だった。早朝5時に起床し、出発前の準備をしていると、前の夜に自転車の話で盛り上がったサイクリストの林さんに声をかけられた。「僕の上司が待っている。すぐ近くだから、荷物をまとめて自転車でついてきて」。高雄までは約90kmと短い距離だったので少しは出発が遅れてもいいかなと思い、言われるままに林さんについていった。宿泊先の近くの広場で、僕を待っていたのは「BOSS」だけではなかった。
 
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林さんに連れ出された先には、約50名のサイクリストたちが準備運動をして待機していた。どうやら、林さんは台湾のサイクリングクラブのメンバーらしい。何が起こるのかと思っていると、僕の自転車を指さして言った。
 
 
 
「新しいボトル入れを、プレゼントするよ」
 
 
 
僕の自転車には、プラスチック製のボトル入れが装備されている。いつもは、そこに水分を入れたボトルをさして、走行中にすぐ水分をとれるようにしている。しかし、自転車旅を行う上で重要なボトル入れが、台湾へ出国する日に破損していた。ガムテープで補強していたものの、ボトルの重さを支えきれず使い物にならなくなっていた。それをみかねた林さんが、クラブの上司に頼んで替えのボトル入れを準備してもらっていたのだ。
 
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思いがけないやさしさに、何度も「謝謝(ありがとう)」と言っていると、林さんは「サイクリストの気持ちは、僕もよく分かるから」と言ってニコリと笑った。そして、みんなで記念撮影をして、大所帯の親切なサイクリストたちは一足先に「高雄」へと出発した。
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人口が少なく未開発の東側の旅を終え、ようやく西側へとやってきた。「車城」からの平坦な道のりを進んでいくと、遠くに台湾第二の都市「高雄」の巨大なビル群が見えてきた。
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「もう少しで、到着」。台湾人サイクリストたちの優しさを感じながら、ボトルを手に取り粉塵でザラザラした口の中を流した。目の前に立ちはだかる高層ビルを見上げると、まるで砂漠の中に突如として現れたかのような近代的な街の空は、晴れているのに灰色にかすんでいた。
 
 
 
10/29 車城=高雄 90km 4h20m 総走行距離495km

【台湾一周自転車旅】台東の海岸沿いの景色は、慣れ親しんだ宮崎・日南海岸のようだった(Day3)

東の街を抜けると、そこは「日南」だった。

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(台東以南の「太麻里郷」からの景色)
 
台湾島の、東側から西側へと向かう。早朝6時にホステルを出発し、峠のふもとに向かって海岸沿いを走る。
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台湾へやってきて4日目、ようやくここが「沖縄より南の島」であることが分かってきた。目の前を流れていく景色は、熱帯気候のもとで育まれる特有の自然。気温は、11月になろうとしているのに20度を超える。そして、なによりも日差しが強い。コートが必要なほどに寒くなった東京からやってきた僕は、この時期でも台湾が「真夏の気候」であるということを、すっかり忘れていた。
 
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日焼け止めクリームを一人暮らしのアパートに忘れたことを悔やみつつも、海を横目に先へと進む。上下左右にぐねぐねと曲がった海岸沿いを走っていると、そこから見える景色がどこか見慣れたものであることに気づいた。
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(宮崎県・日南海岸の景色)
 
台東から南下する海岸沿いは、まさに地元・宮崎県の「日南海岸」と同じような、常夏の景色が広がっていたのだ。砂浜にぶつかる波の音、ゆるやかに曲がる海岸線、そして真っ青な空。それらは幼いころから慣れ親しんだ、日南そのものだった。「そういえば、僕のチャリラーとしての長距離デビューは、日南海岸65kmだったな」。9歳の夏に、たくさんの大型トラックが通る国道の狭い側道を必死で走ったことを思い出しつつ、新しく舗装された堤防にぶつかりはじける高く大きな波のしぶきを受けながら、遠くに見える海岸線を目指した。
 
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60kmの海岸沿いの道のりを終えて、峠を上った。約20kmの「寿峠」は、台北=宜蘭間の峠とは比にならないほどのキツさ。急こう配かつ長距離の、山道だった。峠に到着すると、メインの道路からはずれ、昔ながらの村を通る道へと入っていった。哀愁を感じる村落を抜けて、西側最初の街である「車城」に到着した。
 
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10/28 台東=車城 125km 7h30m

【台湾一周自転車旅】台湾・花蓮から台東の自然を走り抜けて感じた「父の思い」(Day2)

「まだ、起きたくない」
自転車旅では「自分との闘い」に勝っているはずなのに、睡眠欲求を主張する自我には勝てない。今日は、そんな朝を迎えた。予定よりも2時間遅れの7時過ぎに、花蓮のホステルを出発し、台東を目指した。
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 台湾島東側の中部を縦断するこの道のりは、上ったり下ったりを繰り返し、ずっと景色が変わらない北海道にある広大な農道のようなルートだった。快晴の空のもと、山肌が見えないほどに緑色の草木に包まれた壮大な山や黄金色に輝く稲作の畑を眺めていると、父のことを思い出した。
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●美しい自然に囲まれて、走る
 
進行方向の右側に山、左側に田んぼ。数時間、景色が変わらない。しかも、スムースには進まないけれど、体力を消耗するほどこがなくてもいいような、若干の向かい風。こういう時は自己暗示をかけ、「なんてすばらしいそよ風。きっと私に何かを語ろうとしているのだわ」と、ディズニー映画のヒロインのような精神性になるしかない。
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大自然の中を走っていると、ふと父のことを思い出した。
 
 
 
●「環境を守ることの意味は、とてもシンプルなのかもしれない」
 
僕の父は、「エコロジスト」の肩書きで、環境問題の講演会や大学での講義を行っている。自転車で海外135ヵ国を旅してきた、先輩チャリラーでもある。
 
 
 
そんな父を持ってしまったがために、僕は幼いころから「エコ息子」として生きてこざるをえなかった。中学生になった頃にはエコな生活には慣れてしまったが、それまでは「環境を守ること」を耳にタコができるほど言われている自分が気の毒で仕方なかった(友達みたいに、ファストフードを食べたかったし、豆腐ハンバーグじゃなくて牛肉ミンチたっぷりのそれを食べたかった)。中学生以降は、そんな父の方針を受け入れ今では自らエコ息子としての役割に従事しているわけだが、台湾を自転車で走っていて改めて「環境を守ること」の理由について考えさせられた。それは、国連が提唱するなんちゃらかんちゃらのように複雑ではない、いたってシンプルなものだった。
 
 
 
「この景色、いつまでも見ていたい」
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僕の心を和ませ、感動を与える美しい自然をこれから先もずっと見ていたいと思ったのだ。そして、僕より何倍も多くの自然の中を走ってきた父もまた、この感覚を原点にしているのではないかと思った(僕なりの予測に過ぎないけれど)。これまでの自転車旅では、自然を見て美しいと思うことは幾度となくあったけれども、「父」を思い浮かべることはなかった。子や孫の世代にも見てほしいと思えるほどの台湾の景色が、僕に旅を通して教育をしてくれた父の本質的な「思い」を気づかせてくれたのかもしれない。
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 夕暮れと同時に最後の上り坂を越え、日が暮れ真っ暗になった18時に台東に到着した。「明日は、時間通りに出発しよう」。街外れの洒落たホステルの扇風機で、風呂上りの日に焼けた肌を冷ましながら、ぼんやりと誓った。
 
10/27 花蓮=台東 170km 8h20m