Running and Thinking 松本唯人ブログ

12歳から一人旅を始め、日本全国・海外20数カ国を旅した松本唯人(23)のブログ。台湾自転車旅やイスラエル、キューバ旅など、旅先での情報や日本人留学生のインタビュー記事を不定期で更新しています。近況はinstagram(@yuito.mtmt)で更新中。普段は株式会社TABI LABOでライターとして働いています。

宮城県女川町で『道程』を朗読したお話

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 初めて詩の朗読会に誘われたのは1年前でした。当時は大学3年生。翌年から始まる就職活動のレールに乗るため、企業のサマーインターンの選考会に奔走していました。

 

インターンがあるので…参加できません…」

 

せっかくのお誘いでしたが、就職活動を「いち早く始めいち早く終える」をモットーにしていたのでお断りしました(結果的には、いち早く始めどの就活生よりも長引いています。笑えません)。

 

 

 さて、あれから1年が経過しました。「来年は参加したいです」と伝えていたおかげか、今年もお誘いがありました。

 

「就活が終わっていません。でも、行きます!」

 

即答でした。自分はずっと同じ場所にとどまっているより、移動をすることによって新しい風景や出会う人々からたくさんの事を見聞きし物事を考えた方がポジティブになることができるし、結果的に何かを生み出せるタイプなのではないかと改めて思ったからです。就職活動を開始し1年が経過しました。これまでは金銭的にも時間的にも「移動」という手段を封印してきましたが、就活1クール目が失敗に終わり肩の荷が下りた(本来、下ろしてはいけないのかもしれませんが)ので、これからはこの手段を解禁していこうと思っています。

 

8月8日から、宮城県女川町に滞在しています。

 

 

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  • 第26回「光太郎祭」に参加

 2011年の東日本大震災による津波で大きな被害(町全体の約66%が全壊)を受けた宮城県女川町。彫刻家であり詩人の高村光太郎が紀行文をつくるために訪れた、光太郎ゆかりの地でもあります。平成4年から毎年1回「光太郎祭」という、高村光太郎の詩の朗読会が開かれています。今年で、26回目。僕は『道程』の朗読役として参加しました。

 

  • 国語の先生に呆れられた中学時代

 高村光太郎の詩を最後に目にしたのはいつのことでしょう。中学時代の教科書に「レモン哀歌」や「智恵子抄」が掲載されていた記憶があります(とても曖昧な記憶ですが)。ただ、暗唱テストがあった事だけはしっかりと覚えています(クラスで一番苦戦したからです)。

 

“詩を覚えるくらいなら、外で遊びたい”

 

僕は、そんな中学生でした。何度テストをしてもひとつとして覚えてこない(僕としては、詩に全く共感できなかったので暗記できなかった)ので、国語の先生が怒りを通り越して呆れた表情で僕を見つめていたのを鮮明に覚えています。中学生ながら「この先生に呆れられるなんてよっぽどだな」と少しだけ反省し、無理やり暗記してクラスで最後にテストに合格した気がします。

 

 

 「朗読会に参加します!」と威勢よく言ったものの、中学時代に詩に全く共感せず、詩を避けていた僕には詩の素養なんてひとつもありません。これぞ、Mr.行き当たりバッタリです。まずは、手を挙げてみる。後の事は、後になって考える。さて、今回はどのように乗り切りましょう。ひとつだけ意識したのは「僕なりの朗読をしよう」でした。つまり、松本唯人が朗読するわけだから、松本唯人にしかできない朗読をしようという、非常に独善的かつ主張強めの答えにたどり着きました。そこで、高村光太郎の中で最も自己を投影できる詩を探します。せっせと探します(嘘です。僕を誘ってくださった方に「君にはコレがおすすめだよ」と教えていただきました)。ありました。『道程』です。

 

『道程』。こんな詩です。

 

 

『道程』

 

僕の前に道はない

 

僕の後ろに道は出来る

 

ああ、自然よ

 

父よ

 

僕を一人立ちにさせた広大な父よ

 

僕から目を離さないで守る事をせよ

 

常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ

 

この遠い道程のため

 

この遠い道程のため

 

  • “僕の前に道はない”

 僕(内定ゼロの就活生)が読むと、とてもリアルな1行です。ポジティブにとらえると、とてもリアルだからこそ読む価値のある1行なのかもしれません。これまで、何度も詩を読んでも頭に入ってきませんでした。でも、今回は違いました。『道程』に自己投影をしようという思いのもと、詩を読みます。そうすると、1行1行と自分のイメージが交差を始めます。僕の現状や尊敬する父への思い、そして自分自身への鼓舞。ゆっくりと読んでいくうちに、「あ、詩ってこうやって読むのかな?」と少しだけ分かっていく気がしました。作者の気持ちも大切だけれど、まずは自分がどう感じるかが大切なんだろうなと気がつきました。

 

 

  • 『道程』を読んで

 励まされました。“僕の後ろに道は出来る”のです。先の事は決まっていなくても、僕のこれまでの歩みは少なくとも僕自身が現在地まで通ずる道を形成してきたのです。そしてこれから先は“遠い道程”なのです。何かに失敗しても成功しても、私たちは長く長く続いている道のりにポツンと立っているのだと思います。人それぞれ、時に早く時にはゆっくりと自分の配分で歩んでいけば良いのだと感じました。

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初めて詩に共感が生まれました。女川という場所で読んだからかもしれません。あるいは、震災後も高村光太郎の朗読会を通して「詩が私たちに与えてくれる精神的な豊かさ」を伝えようとする女川の人たちの熱意を受けたからかもしれません。「光太郎祭」だけでなく、詩を朗読するに至るまでのプロセスが、とても充実した時間になりました。「OOだから、できない(行けない)」ではなく「OOだけど、できる!(行く!)」という選択が良い結果になったのだと思います。

 

次は、どこへ「移動」するか。構想中です。

 

 

白神山地レポート

 

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 水しか出ない。「時すでに遅し」を思い知らされた瞬間でした。

 

 2年前の夏。その日は大雨の中、滋賀県甲賀市から神戸市内まで100kmの道のりを自転車で走りました。日に300km以上を走ることもあるので100kmなんて朝飯ならぬ昼飯前。お昼前には神戸市内にある中学時代の友人(彼は、絵を描く)のアパートに到着しました。ポストから鍵を取って、アルバイト中の友人に「ありがとう」と心の中で呟きながら部屋に入りました(そして、群を抜いて散らかっていると聞いていた部屋に1泊することの覚悟を決め、入室しました)。

 

 ずぶ濡れの荷物と泥だらけの自転車を、持ち込むことさえ気にならないくらいの散らかり具合。洗われるべきタイミングを失ってしまった食器や埃を身にまとった姿見が大雑把に置かれた部屋。至る所に散乱した絵の具、使いかけの筆、無数の色が混ざったバケツの中の水。そして、四方八方に置いてある完成した絵。典型的な男部屋に「絵」や「芸術」という要素が加わるだけで、どうしてこんなにも落ち着く空間が出来上がるのかと不思議に思いました(散らかってはいるものの、なぜか不快には感じませんでした)。

 

 律儀にも、友人は手作り料理を用意してくれていましたが、まずはシャワーです。夏とはいえ、土砂降りの中を走りました。体は冷え、温かい湯を求めています。さっそく、汗と雨で濡れたウェアを脱ぎ捨てお風呂場へ突入しました。「やっと体を温めることができる」。安心してシャワーヘッドを手に取りました。

 

 いくら待っても、水しか出ません。ここは、モロッコ・タンジールのボロ宿ではありません、大都市・神戸です(早朝4時から大音量でコーランの朗読が始まるモスクに隣接したボロ宿では、春先の寒い時期にも関わらず冷たい水がチョロチョロとしか出ませんでした)。日本でお湯が使えない都市圏があるなんて聞いたことはありませんから、大混乱です。お湯が出ない原因が分かりません。家主(友人)も不在で、数分前に初めて部屋にやってきた僕にはどうしようもありませんでした。仕方なく、冷たい水を浴びながら「大丈夫。温水シャワーのない日は今日だけ、今日だけだ。頑張れ、自分」と言い聞かせ気合と根性でその場をしのぎました(アルバイトから帰ってきた友人に聞いたところ、夏の季節は節約のためガスを止めているとのことでした。凝っていて美味しい「牛筋の赤ワイン煮込み」は用意してくれているのにガスはないなんて、想像の範疇をはるかに超えています)。

 

 まさか、「温水のない日」が再びやってくるとは、神戸で寒い思いをした僕は思いもしませんでした。先週末は、大自然の「沢」で身も心もきれいに洗い流しました。6月30日~7月3日まで、自転車を担いで青森県へ行ってきました。今回の主な目的は「白神山地で1泊2日すること」でした。

 

  • 小学生の頃からの夢

 ブナの原生林、世界遺産…。小学生の頃に社会科の教科書をパラパラめくっていると、僕が生活していた九州とは真逆の日本列島に「神々しい名前の山地」があるという事を知りました。そう、それが白神山地でした。「名前に“神”がついてるって、スゲー」。初めて白神山地の存在を知った時は、それくらいの印象でしたが、東北の大地に広がるブナの原生林(“原生林”って、強そうでかっちょいい言葉だなとも思っていました)を想像するにつれて「いつか行ってみたい場所」になっていました。

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白神山地は『もののけ姫』の舞台になったと言われています。

 

 今回、白神山地では「又鬼(またぎ)」のご夫婦にお世話になりました。「又鬼」。聞き慣れない言葉です(僕も初めて聞きました)。とても簡単に言うと、「白神の大自然に精通した案内人」のような方々です。名前の由来は諸説あります。又鬼の中では熊を狩猟する事が神聖な行為とされているらしいのですが、その際に「心を鬼にして熊を殺めなければならない」そして「また再び、心を鬼にして狩猟を行わなければならない」という事から「又鬼」という名前が付いたという言われもあるようです(又鬼の文化や歴史はとても奥深く、僕には一言では説明できません)。

 

 白神山地の山奥にあるマタギ小屋(木の皮で作った小屋)の周辺にテントを張り、そこを拠点に沢登りや白神の探索へ出かけました。たった1泊2日でしたが、人があまり入らない奥地での生活は、普段の生活について改めて考える事の出来る貴重な体験となりました。

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*暗くて上手く写っていませんが奥にマタギ小屋があります。手前は、僕のテントです。

 

  • 電波もなければ、時間もない空間

 もちろん、電波なんて通っていません。白神山地に入ったと同時にスマホはリュックの奥へとしまいます。そして、「時間の概念」もないように感じました。

 

 時間の概念がないというのは、大げさかもしれませんが、白神に滞在した2日間は時間を気にすることはありませんでした(普段、肌身離さず時計をつけている僕ですら「今、何時」という事が気にならない2日間でした)。そこでは、決められた時間に何かをする必要はありません。日が昇り始めたら起きればいいし、日が暮れ始めたら探索をやめ拠点へと引き返せばいいのです。時計の針を気にするのではなく、自然の状況を見て「自分はどうしたいか」を考え行動するのです。

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*「汗を流したい」。そう思えば、飛び込めば良いのです。

 

 時間を気にするのは、日常生活の中で欠かせない(欠くとなんらかの支障が生まれてしまう)感覚です。授業を受けていれば「この授業はいつ終わるのか」と思って何度も時計へ目を向けてしまうし、友達と会う約束をしていれば時間を逆算して集合場所へ向かいます。そのような普段当たり前のように身に着けている感覚を忘れるというのは、とても新しい感覚でした。

 

 鳥の鳴き声に耳を傾けたのは、いつぶりだったでしょうか。日が暮れると、やることは限られてきます。焚き火をまじまじと眺めるか、木々の隙間から見える夜空を見上げるか、鳥や虫の鳴き声、自然が風に揺られる音を聞くか、くらいです。森という「時間」から分離された空間では、1分1秒がとても長く感じられました。その時の流れの長さは、友人の到着を首を長くして待っている時のような長さとは違います。じっくりと自然の音に耳をかたむけるという行為を通して、ゆっくりだけれど着実に進んでいる時間を貴重なモノとして享受しているように感じました。

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 僕は、超自然派のデジタルデトックス推進者ではありません(僕の場合、日に数時間はスマホを置いて外出したりするので、森に籠ってデジタル離れをする必要性は特にありません)。ただ、白神山地の自然は、「たまには森へ行こうよ」と誰かに進めたくなるほどに素晴らしいものでした(言葉で上手く表現できないのがもどかしいです)。

 

 山奥での1泊2日を通して「温水のない日」もいいものだなと思いました(たった1泊2日の体験に過ぎませんが)。人がまだ一度も踏んでいないフカフカ腐葉土が敷き詰められた道とも言えない山道を登り、豊かな自然を体感し、汗をかいたら冷たい川に飛び込み汗と疲れを流す。短い時間でしたが、自分の時間が大自然の中で循環するという体験は、普段は味わう事のできない贅沢で素敵な体験でした。

 

白神山地レポート

 水しか出ない。「時すでに遅し」を思い知らされた瞬間でした。

 

 2年前の夏。その日は大雨の中、滋賀県甲賀市から神戸市内まで100kmの道のりを自転車で走りました。日に300km以上を走ることもあるので100kmなんて朝飯ならぬ昼飯前。お昼前には神戸市内にある中学時代の友人(彼は、絵を描く)のアパートに到着しました。ポストから鍵を取って、アルバイト中の友人に「ありがとう」と心の中で呟きながら部屋に入りました(そして、群を抜いて散らかっていると聞いていた部屋に1泊することの覚悟を決め、入室しました)。

 

 ずぶ濡れの荷物と泥だらけの自転車を、持ち込むことさえ気にならないくらいの散らかり具合。洗われるべきタイミングを失ってしまった食器や埃を身にまとった姿見が大雑把に置かれた部屋。至る所に散乱した絵の具、使いかけの筆、無数の色が混ざったバケツの中の水。そして、四方八方に置いてある完成した絵。典型的な男部屋に「絵」や「芸術」という要素が加わるだけで、どうしてこんなにも落ち着く空間が出来上がるのかと不思議に思いました(散らかってはいるものの、なぜか不快には感じませんでした)。

 

 律儀にも友人は、手作り料理を用意してくれていましたが、まずはシャワーです。夏とはいえ、土砂降りの中を走りました。体は冷え、温かい湯を求めています。さっそく、汗と雨で濡れたウェアを脱ぎ捨てお風呂場へ突入しました。「やっと体を温めることができる」。安心してシャワーヘッドを手に取りました。

 

 いくら待っても、水しか出ません。ここは、モロッコ・タンジールのボロ宿ではありません、大都市・神戸です(早朝4時から大音量でコーランの朗読が始まるモスクに隣接したボロ宿では、春先の寒い時期にも関わらず冷たい水がチョロチョロとしか出ませんでした)。日本でお湯が使えない都市圏があるなんて聞いたことはありませんから、大混乱です。お湯が出ない原因が分かりません。家主(友人)も不在で、数分前に初めて部屋にやってきた僕にはどうしようもありませんでした。仕方なく、冷たい水を浴びながら「大丈夫。温水シャワーのない日は今日だけ、今日だけだ。頑張れ、自分」と言い聞かせ気合と根性でその場をしのぎました(アルバイトから帰ってきた友人に聞いたところ、夏の季節は節約のためガスを止めているとのことでした。凝っていて美味しい「牛筋の赤ワイン煮込み」は用意してくれているのにガスはないなんて、想像の範疇をはるかに超えています)。

 

 まさか「温水のない日」が再びやってくるとは、神戸で寒い思いをした僕は思いもしませんでした。先週末は、大自然の「沢」で身も心もきれいに洗い流しました。6月30日~7月3日まで、自転車を担いで青森県へ行ってきました。今回の主な目的は「白神山地で1泊2日すること」でした。

 

  • 小学生の頃からの夢

 ブナの原生林、世界遺産…。小学生の頃に社会科の教科書をパラパラめくっていると、僕が生活していた九州とは真逆の日本列島に「神々しい名前の山地」があるという事を知りました。そう、それが白神山地でした。「名前に“神”がついてるって、スゲー」。初めて白神山地の存在を知った時は、それくらいの印象でしたが、東北の大地に広がるブナの原生林(“原生林”って、強そうでかっちょいい言葉だなとも思っていました)を想像するにつれて「いつか行ってみたい場所」になっていました。

 

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 今回、白神山地では「又鬼(またぎ)」のご夫婦にお世話になりました。「又鬼」。聞き慣れない言葉です(僕も初めて聞きました)。とても簡単に言うと、「白神の大自然に精通した案内人」のような方々です。名前の由来は諸説あります。又鬼の中では熊を狩猟する事が神聖な行為とされているらしいのですが、その際に「心を鬼にして熊を殺めなければならない」そして「また再び、心を鬼にして狩猟を行わなければならない」という事から「又鬼」という名前が付いたという言われもあるようです(又鬼の文化や歴史はとても奥深く、僕には一言では説明できません)。

 

 白神山地の山奥にあるマタギ小屋(木の皮で作った小屋)の周辺にテントを張り、そこを拠点に沢登りや白神の探索へ出かけました。たった1泊2日でしたが、人があまり入らない奥地での生活は、普段の生活について改めて考える事の出来る貴重な体験となりました。

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*暗くて上手く写っていませんが、奥にマタギ小屋があります。手前は、僕のテントです。

 

  • 電波もなければ、時間もない空間

 もちろん、電波なんて通っていません。白神山地に入ったと同時にスマホはリュックの奥へとしまいます。そして、「時間の概念」もないように感じました。

 

 時間の概念がないというのは、大げさかもしれませんが、白神に滞在した2日間は時間を気にすることはありませんでした(普段、肌身離さず時計をつけている僕ですら「今、何時」という事が気にならない2日間でした)。そこでは、決められた時間に何かをする必要はありません。日が昇り始めたら起きればいいし、日が暮れ始めたら探索をやめ拠点へと引き返せばいいのです。時計の針を気にするのではなく、自然の状況を見て「自分はどうしたいか」を考え行動するのです。

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*「汗を流したい」。そう思えば、飛び込めば良いのです。

 

 時間を気にするのは、日常生活の中で欠かせない(欠くとなんらかの支障が生まれてしまう)感覚です。授業を受けていれば「この授業はいつ終わるのか」と思って何度も時計へ目を向けてしまうし、友達と会う約束をしていれば時間を逆算して集合場所へ向かいます。そのような普段当たり前のように身に着けている感覚を忘れるというのは、とても新しい感覚でした。

 

 鳥の鳴き声に耳を傾けたのは、いつぶりだったでしょうか。日が暮れると、やることは限られてきます。焚き火をまじまじと眺めるか、木々の隙間から見える夜空を見上げるか、鳥や虫の鳴き声、自然が風に揺られる音を聞くか、くらいです。森という「時間」から分離された空間では、1分1秒がとても長く感じられました。その時の流れの長さは、友人の到着を首を長くして待っている時のような長さとは違います。じっくりと自然の音に耳をかたむけるという行為を通して、ゆっくりだけれど着実に進んでいる時間を貴重なモノとして享受しているように感じました。

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白神山地は『もののけ姫』の舞台になったと言われています。

 

 

 僕は、超自然派のデジタルデトックス推進者ではありません(僕の場合、日に数時間はスマホを置いて外出したりするので、森に籠ってデジタル離れをする必要性は特にありません)。ただ、白神山地の自然は、「たまには森へ行こうよ」と誰かに進めたくなるほどに素晴らしいものでした(言葉で上手く表現できないのがもどかしいです)。

 

 山奥での1泊2日を通して「温水のない日」もいいものだなと思いました(たった1泊2日の体験に過ぎませんが)。人がまだ一度も踏んでいないフカフカ腐葉土が敷き詰められた道とも言えない山道を登り、豊かな自然を体感し、汗をかいたら冷たい川に飛び込み汗と疲れを流す。短い時間でしたが、自分の時間が大自然の中で循環するという体験は、普段は味わう事のできない贅沢で素敵な体験でした。

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大学時代#11「協賛を得て旅へ1 自分にできる事は何か」

 

 最近、叫んでいません。高校卒業以来、思い切り叫ぶ機会が極端に減りました。小中学生の時は野球部だったので、毎日のようにグランドで叫んでいたし、高校生の時は廊下で友達とすれ違うたびに叫び合っていました(女子高生が会話の中でイケメン俳優の名前が出ただけで金切り声を上げるのと同じ現象です。それらには何の意味もありません。ただただ叫ぶのです)。

 

 叫ぶという行為は、自分と地球(大自然)との繋がり(関係性)を確かめる方法のように感じます。私たちは、富士山の山頂に到着したら思い切り叫ぶだろうし、北海道・釧路湿原の中心に一人で立っていたら北の大地に向かって何かしら大声を出したくなるのではないでしょうか。多くの人は満員電車の中で突然叫ぼうとは思わないし、大勢の買い物客が行き交う週末の商店街で大声を出そうとは思わないでしょう。私たちは、日々生活する中で「叫ぶ」という行為を自発的に封印しているのはないでしょうか。僕は、叫ぶことなく静かに生活することによって、どっぷりと社会に溶け込んでいる気がしています。しかし、時には叫ぶという人間としての本来の力を発揮しているような行為を通して、馴染んでいた社会から抜け出し、自分の立っている位置を確認することも必要なのではないかと思います(僕たちは年齢を重ねるにつれて、叫ぶという行為から遠ざかっているのではないでしょうか)。

 

 大学2年生の夏は、たくさん叫びました。豪雨の箱根山では雨に打たれながら怒りをぶつけるようにたくさん叫んだし、鈴鹿山脈の孤独な坂道でも大声をあげました(僕の声が届いたのか、大きなクマさんに遭遇しました)。自転車で旅しながら、あてもなく叫ぶ。とても漠然とした感覚ではあるけれども、当時は「今自分がどこに存在しているのか」をしっかりと把握できていたように思います(近々、久しぶりに叫びたいなと思います)。

 

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*2015年夏・東京~宮崎1500km自転車旅。箱根のてっぺんで大雨の洗礼を受けながら寒さに耐えつつ撮った自撮り写真。表情からも分かる通り、かなりうなだれています。

 

 2015年の夏に「ヨーロッパ・西日本エコツアー」と題して、企業や個人の方々から協賛をいただいて旅に出た事があります。今振り返ると、あの出来事が僕の大学生活の基盤を築いた全ての始まりだったのではないかと思います。

 

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*2015年夏・滋賀県甲賀市柏木小学校。人生初授業。これを機に、これまで20か所以上で授業をさせていただきました。これ以降、最も改善されたのは「丁寧な字で板書する」という点です。

 

 

 では、なぜ「協賛を得て旅に出る」という発想に至ったのか。そして、なぜ協賛を得てまで旅に出ようと思ったのか。いくつかの理由がありました。

 

  • 知らなかった、子供の貧困

 大学1年生も後半に差し掛かった頃、週刊・東洋経済の貧困特集を目にし、ボランティアへの参加を決めました。主に日本における「子供の貧困」問題が取り上げられていたのですが、初めてそのような社会問題が存在している事を知り、驚きました(発展途上国の記事かと思っていたら、先進国・日本の記事でした)。日本社会に貧困問題が存在している事にも驚いたし、自分が生まれ育った国で起きている貧困問題を知らなかった自分の社会問題に対する関心の薄さにも、危機感を覚えました。そこで、記事を読んだだけでは分からないので、ボランティアを通して子供の貧困にはどのような問題があるのかを知ろうと思い、足を運びました。

 

  • 子供食堂ボランティア

 大学1年生の終わり頃から、子供食堂のボランティアに参加するようになりました。子供食堂とは、家庭の事情で食事を十分にとることができていない家庭の子供たちを対象に晩ご飯を提供しみんなで食事をするという活動です。東京都豊島区でNPO法人が活動を行っていたので、ボランティアとして参加するようになりました。

 

  • 当事者にはなれない。自分にできる事は、何か

 子供食堂へやってくる子供たちとコミュニケーションを取る中で、今の自分にできる事は何かを考えるようになりました。そこには、様々な家庭環境の子供たちがやってきていたのですが、僕は子供の貧困における当事者にはなれないと痛感しました。事実として、僕は当事者ではなかったし、事実がそうである以上、彼らに寄り添いたいなんていう軽い言葉は言えないと思いました。ただ、同じ日本社会で過ごしている以上、自分たちが生活を営んでいる社会に存在する問題について考えていかなければいけないと思いました。

 僕自身、たまたま雑誌の特集記事を目にするまでは、貧困問題が日本に存在しているなんて知りもしませんでした。自分の無知さには呆れましたが、何はともあれまずは「知る事」が必要だなと思いました。社会問題でも何でも、まずはそれらが存在しているという事を、私たちひとりひとりが知らないと解決に向けての議論なんてできません。そこで、私たちの社会で起こっている問題について「知る場」を作りたいなと思いました。ですが、僕は日本全国津々浦々にいる単なる大学生の一人です。人を動かすことのできる圧倒的な政治力なんて持っていません。では、今の(当時の)自分にできることは何だったのでしょうか。まず考えたのは、自分の強み(他の多くの大学生とは違う部分)は何かということです。

 

 僕は、12歳から一人旅を始めました。そして、12歳の時からドイツの環境先進都市・フライブルクの車のない街づくり政策や環境政策に関心を持っていました。つまり、「旅」と「ドイツの環境政策」に長く関心を抱いているという部分は、何か行動をする上で自分の強みやテーマになるのではないかと思いました。

 当時、日本全国と海外12か国を自転車で旅していたのですが、これだけでは自分を知らない人たちの興味を引くことができないと思っていました。なぜなら、20歳前後という僕の年代にもなると、すでに100ヵ国近い国を旅した経験を持つ人は普通にいるので、12か国という数字は量的には特に大したものではありません。ただ、小学生の頃から自転車で日本全国を旅していたという点は十分に自分の強みになると思っていたし、社会問題について知る場を作るにあたって(どのように作るのか、当時は全く思いついていませんでした。ただ、「何か行動しなければ!」という思いだけで突っ走っていた気がします)自分ならではの切り口として「自転車一人旅」という経験に対して「ドイツの環境政策」という関心を付加すれば、僕ならではのテーマが出来上がるのではないかと思いました。

 

 子供の貧困問題を目の当たりにし「これではダメだ!」と思い、「何か行動しよう!!」と漠然と思い始めました。当時は、気持ちだけが先行し考えるよりも先に行動していた気がします(僕の人生の大半は考えるよりも行動が先です。単に頭が弱いだけなのかもしれません)。自分の強みとして「自転車一人旅」と「ドイツの環境政策(街づくり政策)」を発見したわけですが、数か月後の夏休みに(「何か行動しよう」と思い立ったのは2015年の5月頃)旅に出て物事を考え、さらに改めてドイツを訪れ環境先進都市・フライブルクの街づくり政策や環境政策について学ぼうと考えました。

 

 では、これらの考えを実行に移すためには何が必要なのでしょうか。僕なりの考えには至ったものの、目の前にはいくつかの障壁が出てきました。特に、費用をどのように準備すればよいのか、とても悩みました。

 

(次回に続く)

ドコモバイクシェア初乗りの感想

 

 チャリンコ乗りの悪い癖なのでしょうか。僕は、出発地点から目的地まで、ある程度の直線距離で移動しないと、とても大きな損をしているような気持ちになってしまいます。距離としては2~3kmしか離れていないのに、電車を使って行こうとすると、最寄り駅の立地の問題で、何度も乗り換えをしなければいけなかったり、遠回りをして目的地の最寄り駅へ向かう必要が出てくる事があります(特に、東京都内ではそのようなケースがとても多い気がします)。短い距離なのに直線距離で目的地へ向かえないケースに遭遇すると、電車は使わずに徒歩で向かいます。多少の時間の犠牲はありますが、徒歩で向かう方が距離的な損はないように思うし、混雑した電車に乗る不快感は得ないので、精神的にもプラスになります。

 

 とはいえ、今の時期は数キロも歩くと汗だくになってしまうので、できるだけ歩きたくありません。昨日、目的地まで3キロ。ただし、電車は使いたくないし徒歩で汗をかきたくもないという状況がありました。そこで、以前から利用しようと思っていたドコモバイクシェアのサービスを使って目的地へ向かう事にしました。

 

  • ドコモバイクシェアとは

 以前「ドコモバイクシェア」という記事で紹介しました。(株)ドコモバイクシェアが、都内6区を中心に行っている自転車レンタルサービスです。都内6区に設置されている計215ヵ所(2017年1月17日現在)のポート(専用の自転車置き場)にある自転車を借りて、移動ができるサービスです。詳しくは、公式HPをご覧ください(http://www.d-bikeshare.com/)。

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上智大学付近にあるポート。ネットでID登録を行い利用します。サイトで利用する自転車の番号を選択すると、番号がメールで送られてくるのでそれをパネルで入力し開錠します。

 

  • 便利なアシスト機能

 初めてサービスを利用し、良かった点はふたつ。簡単な登録と便利なアシスト機能です。僕は、クレジットカード払いを選択したので、ユーザーIDとカード番号の登録をスマホで済ませて利用しました。登録はとても簡単で、この手の登録がややこしいとすぐに放棄してしまう僕のような性格でもスムースに行うことができました。そしてなにより、アシスト機能付き、つまり電動自転車だったという点が、とても便利でした。

 

  • 快適な自転車移動

 初めて、アシスト機能付きの自転車に乗りました。自転車乗りとしての存在意義を問われかねないので、あまり大きな声では言えませんが、僕のロードバイクにも装着しようかと思いました。それくらい、快適でした。

 

  • 「発進」の良さ 

「発進」がとてもスムースでした。交通量の多い都内では、信号待ち後の「発進」をスムースに行えるのは安全面でとても重要です。なぜなら、発進でノロノロしていると左折しようとする車から圧をかけられるし(場合によっては接触してしまいます)、荷物が重いとある一定の速度を保てない発進でフラフラしてしまうので転倒の恐れがあります。ですが、アシスト機能があることによってどんな年代でも、バイクと同様のスムースな発進ができ、車の運転手から睨まれることもなく、また転倒しそうになることもなく、走行できます(そもそも、なぜ自転車に乗るという究極のエコ活動を行っているのに車の運転手に睨まれなければいけないのでしょうか。車優位の日本社会ならではの現象です)。

 

  • 気持ちの良い、移動

 アシスト機能によって、一定の速さを保ちつつ(基本的には約20キロの速さでした)程よい運動量で移動が可能です。この時期、自転車で移動すると汗びっしょりとなってしまい、人と会う約束で目的地へ行ったのに「こんな状態じゃ、もう人になんて会いたくない」となってしまいますが、アシスト機能がついているとせっせと足を動かさなくても前へ進むので、汗だくにならずとっても助かりました(この点は、本当にありがたいと思います)。また、昨日は目的地が皇居周辺にあったため、皇居周辺の緑の中を通って移動できたのは、ちょっとしたサイクリング気分も味わえて心地よかったです。

 

 

 

 目的地まで18分。電車の待ち時間や乗り換え時間を考えると、電車利用時と一緒か少し短い時間で移動できたのではないかと思います。費用も150円で電車よりも安い料金で移動できました。サービスにおいては特に不便に感じる事はありませんでしたが(今後も頻繁に利用したいと思います)、日本においてはサービスの向上以上に、自転車道路整備などの面が必要不可欠なのではないかと思います。自転車に慣れているとはいえ、時速20キロの速さで交通量の多い車道の側道を走るのは少し怖いなと思いました。今後、バイクシェアのサービスが広がっていく中で、自転車交通に対する理解が深まっていき、より快適に走行できる環境が整備されれば良いなと思います。

 

 

 

大学時代#10「アルバイト経歴」

 

 オチはなくても、ツカミが良ければ、ほとんどの会話は円滑に進んでいくと思います。僕のお話には、基本的に劇的に面白いオチはありませんが(平凡なオチすら見当たりません)、人並み以上のツカミはあるのではないかと勝手に思っています。

 

 先日の集団面接でこんな質問がありました。「アルバイトでの成功体験と失敗した事を教えてください」。さて、この質問でのツカミとはなんでしょうか。おそらく、「どんなアルバイトを行ってきたか」が面接官の関心を引く最大のツカミなのではないでしょうか(僕はそのように思いました)。

 

  • 謎のアルバイト・速読塾インストラクター

 成功体験はすぐに見つかりました。僕は、速読塾インストラクターのアルバイトを行っています。速読塾。つまり、活字をより早く読む訓練を行う塾です。新聞の広告などで昼下がりの主婦をモデルとして「1か月ゼロ冊から10冊の読書家に!」などと謳った、世間的に少しばかり胡散臭いアレです(僕がインストラクターを務めている速読塾は、理論に基づいてトレーニングを行っているので決して怪しいヤツではないのですが…)。速読塾の社会的地位や正当性についてはここではさておき、僕はインストラクターになるために研修を受けて1分間に1万字以上を読む事ができるので(日本人の平均は分速500字)、それをネタに「活字情報の処理速度が劇的に早くなりました~」とか「1か月に15冊は読書してます~」などとアピールしました。面接官の反応は、飲食店アルバイトの体験を話している他の学生よりは良かったのではないかと思います。

 

  • 意外と無い、失敗談

 問題は、失敗談です。アルバイトで、学んだ事は多いかもしれないけれど、キャッチーな失敗談はなかなかありません。大学1年生の時、お寿司屋さんのアルバイトで、寿司7貫をオジサンにぶっかけてしまった事があります。食事のぶっかけ事故は、飲食店アルバイトでは最大のミスのひとつなのですが、これでもツカミは弱いと思いました。まず、飲食店アルバイトという時点で、他の学生とネタが被ってしまう可能性が高いです。それに、お寿司を浴びせてしまったという程度では、ぶっかけ事故の中でもネタが弱いからです(親しい先輩は、3度も牛鍋のタレをスーツ男性に頭からぶっかけてしまいとんでもない事態を引き起こしていました。これと比べると、いくらの軍艦巻きやまぐろの握りのぶっかけは可愛らしいくらいです。とても反省しています)。そこで、失敗談よりもツカミを重視しました。

 

  • 究極の肉体労働

 僕のアルバイト経歴の中で、速読塾インストラクター以外にもうひとつ、聞き慣れないものがあります。養豚場の清掃員です。そう、豚さんのお世話係です。高校卒業後の上京前に、地元宮崎で短期間の養豚場清掃員のアルバイトを行った事があります。

 吉祥寺のお洒落なカフェバイト、ルミネのアパレル店員、そして養豚場清掃員。都会の学生たちが柑橘系のフレッシュな香りが漂ってくるような肩書きを並べる中で、これはレアなツカミになったのではないかと思います。

 また、養豚場では私たちの食卓へと運ばれてくる数多くの食用の豚さんたちと1日を共にするので、「命」について考える機会にもなりました(僕の実家ではペットとしてミニブタを飼っているのですが、そのペットのブタと比べて食用の豚たちの目には自らの意志のようなものが薄いように感じました。言葉では形容できないのですが、どこか機械的な目が印象的でした)。

 実際に、そこそこの失敗(いや、とても大きな失敗)をやらかしていたこともあり、ここではツカミと内容だけでなく質問に対するしっかりとしたオチもつける事ができました(おかげでその集団面接は通過しました)。

 

  • アルバイト収入を一人旅へ

 大学生になって、6つのアルバイトを経験しました。ほとんどが飲食店のアルバイトです。理由はただ一つ、まかない付きだからです。「旅費はどうしているの」とよく質問される事があります。実は、僕がするような貧乏旅行なら、アルバイトのまかないで食費を浮かせ(豊富な栄養を摂取し)、毎日学校にお弁当を持参するなどの「徹底的な食費削減」を行えば、アルバイト収入だけで旅に出る事は難しくありません(ただ、日々の生活はかなり質素になります)。

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*インド・バラナシ。中国東方航空で成田→ニューデリー間往復約5万円で行く事ができます。1泊50~200円で宿泊可能なので、1か月滞在しても滞在費は2~3万円で済みます(節約すれば、もっと安くで滞在できるはずです)。

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 *中国・蘇州の宿。中国は、上海や北京などの大都市や観光地を除くと、まだまだ物価の安い国です。地理的に日本から近いので、欧州と比べると航空券も安く、比較的低価格で旅ができると思います。自転車に乗る方は、上海~南京(350km)のサイクリングはオススメです(マスクは持参しましょう)。

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*「マスクは持参しましょう」

 

 

 ですが、1度だけ自分のアルバイト収入だけではどうしても遂行できない、旅計画がありました。2015年の夏の出来事です。その時は「ヨーロッパ・西日本エコツアー」と題して協賛を募り、企業や個人の方々からの支援をいただいて旅に出たわけですが、なぜそのような事を行ったのでしょうか。これは、ここ数年間の自分史を語る上で外す事のできないエピソードであり、僕自身が持つ物事の考え方の基盤を形作ってくれた機会でもあります。次回から数回にわたって、これらの体験について書いていくことにしましょう。

就活シーズン終盤、今後について

 

 なぜ、マイノリティ(少数派)が排除されることのない、寛容な社会が必要なのでしょうか。「そんな社会は理想に過ぎない」と言い放つ方もいると思いますが、僕としては、執拗にマイノリティが敵視され排除されることのない社会で生活したいし、自分自身も少しでも他者に対して寛容な人間になっていきたいなと思います。なぜなら、私たちは誰もが、突然起こる様々な出来事によって「マイノリティになる可能性」を持っているからです。

 私たちは、いつでも自然災害の被災者になり得るし、他者によって引き起こされた交通事故やケアレスミスによって、それまでとは180度異なった生活を余儀なくされる可能性を持っています。僕は、自分に降りかかるかもしれない、ゼロではないそれらの可能性を想像すると、できる限り様々な人たちに配慮の行き届いた社会が創出されれば良いなと思います。

 

 さて、大変です。早くも7月が近づいてきています。日がたつにつれて、大学内のコミュニティでは僕のような内定ゼロの就活生はある種のマイノリティとなっていくのです。一般的に考えると、この時期になっても内定ゼロの就活生は、社会的にとても複雑な位置に立たされているようです(ゼミ合宿の予定を立てる同級生に「配慮」されるのはとても複雑な気持ちになるし、仮に合コンに行ったとしたらたぶんモテません。複雑です)。 

 

  • 昨年より1か月早い選考

 リクルートキャリアによると、2018年春卒業予定の大学生の6月1日時点の就職内定率は61%だそうです(6月9日・日経新聞電子版)。

 

 経団連に加盟する大手企業の選考解禁日は6月1日なので、多くの企業が経団連の方針よりも前倒しで選考を行っているということになります。また、1日の時点で61%なので、6月も後半に差し掛かった現在は、もっと高い数値になっているのではないかと思います。

 

  • 僕の現状

 内定ゼロ、です(6月21日18時現在)。これまで、新聞社3社、旅行会社1社の計4社を受けました。結果としては、新聞社は全滅で、旅行会社は最終選考の結果待ちという状況です。

 

  • これからの事を考えましょう

 6月も後半になり、周囲の就活生が夏の旅行予定などを立て始め、内定ゼロという結果の実感がわいてきます。「あ、内定がない。卒業後はどうなるのだろう」。内定がないというのはつまり、面倒を見てくれる会社に所属するための切符を持ってないということなので、大学卒業後の道筋をどうにか自分で開拓しなければならないということです。あるいは、内定をもらうために何をすればよいのかを考えなければなりません。

 

では、今の僕にはどのような選択肢があるのでしょうか。考えてみましょう。

 

  • いくつかの選択肢

 まず、前提として2018年の3月には大学を卒業する予定です。就活浪人するのであれば、大学に籍を置いたまま既卒ではなく新卒として就活を行う事がより良いとされています。ですが、様々な理由(本当に、様々な理由)から大学は4年で卒業したいなと考えています(今の段階ではこのように考えています)。なので、就活浪人を選択するのであれば、既卒として再び就活を行う事になるでしょう。

 

 次に、夏ごろから秋にかけて一部企業で行われる、秋採用や二次募集にエントリーする手段が挙げられます。

 

 そして、三つ目として、来月以降からウェブメディア等で実務的で中長期的なインターンシップ(就業体験)を行うという選択肢が挙げられます。今の自分の状況を鑑みると、これが最も適切な選択肢なのではないかと思っています。

 

 

 

 就活を始めて1年が経過しました。就活を始めた当初は、僕は誰からも就活を行うだろうとは思われていませんでした(多くの人は「NPOで活動する」や「休学してどこか遠い所へ行く」などといった、立派な固定観念を僕に対して抱いていたようです。困ります)。だからこそ、早い時期から企業説明会へ行きインターンシップに参加し…といった、就活の既定路線にガッチリ乗ったつもりだったのですが、本選考においては結果として何も生み出すことができませんでした。もちろん、インターンシップなど本選考に向けた準備段階で出会った多くの同世代たちからは、これまでにない刺激やモチベーションを与えてもらう事ができたので、内定という結果は伴わなかったけれど、今日に至るまでのプロセスではとても良い時間を送ることができたと思っています。

 

 今日は今後について少し考えてみました。さて、今後はどうなっていくのでしょうか。僕自身も、さっぱりわかりません。ただ、4月初旬に第一志望に落ちて以来、様々な物事が停滞していたので、それぞれを少しずつ前に進めていこうと思います。