大学時代#6アメリカ編「サンフランシスコの格差問題」

 

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 海外旅行をする上で「ビザの取得」ほど、避けて通りたい作業はないと思います。2014年の夏に、アメリカへ短期留学する時も、たくさんの根気を費やしました(「確定申告」よりも負けない気持ちと折れない勇気が必要でした)。

 

 僕の場合、アメリカへ行くことを決断するのが遅かったので学校のプログラムに申し込む事ができず、現地の語学学校とのやり取りやビザ取得はすべて個人で行いました。とっても大変でした(思い出したくありません)。結果として、語学留学プログラムに参加できたわけですが、中でもアメリカのビザ取得にはとても滅入りました(次回は高額であってもエージェントに頼みます。ゼッタイ)。

 

 本当にビザの申請が上手くいかず(手際も悪かったのですが)、出国の3日前にビザが届きました。今振り返ると、本来なら(学校で申し込めば)エージェントが行ってくれる留学の手続きの全てを、自分で行ったことは貴重な体験だったなと思います(達成感はありました)。それに加えて、個人でプログラムに応募して良かったなと思う事がもうひとつあります。それは、出国日と帰国日を自由に決めることができたという点です(航空券も自分で手配するのですから、当然です)。

 

 アメリカ編の後半戦です。カリフォルニア大学デービス校での1か月の短期留学を終え、北米大陸を一人旅しました。

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*サンフランシスコ・ゴールデンゲートブリッジ

 

  • 真夏のアメリカは、寒い

 せっかく渡米したので、短期留学後に北米大陸を放浪しました。サンフランシスコ、ニューヨーク、トロント(カナダ)をフラフラしました(韓国にも寄りました)。

このアメリカ旅(留学中も含め)は、全体を通してとても寒い思いをしました。当時、大学1年生で8月、9月の気温に対して南国・宮崎の基準しか持ちあわあせていなかったので(宮崎では10月中旬ごろまで半袖短パンです)、当然のようにアメリカにも半袖短パンしか持っていきませんでした(カリフォルニアなんて年中常夏のイメージでしょ!)。

 

 ところが、カリフォルニアは8月でも朝晩は冷え(サンフランシスコは日中でも寒い時があった)、暑い日中の室内の冷房温度は肉厚なアメリカ人の基準で決定されているので、痩身の僕(日本人)にはまるで南極のようでした(NY国連本部の皆さま、国民の肥満防止が冷房の過剰な低温使用対策ならびに地球温暖化対策になるのではないでしょうか、と思ってしまいます)。

 

 

  • サンフランシスコで見えた格差

 北米大陸を旅する中で、サンフランシスコで違和感を得ました(僕はサンフランシスコに約1週間しか滞在していません。あくまで、感覚として得た違和感です)。

 

 サンフランシスコの中心部は、ホームレスやアルコール依存者(もしくは、正常な判断のできそうにない人)で溢れていました。想定していたよりも、多くのそういった人たちが街の中心部の至る所にいたので、驚きました。それまで、欧州をはじめとする8か国を旅していたので、ある程度の想定はしていたのですが、想像を超える多さでした。

 一方で、海沿いに行くと綺麗に整備された高所得者向けの高級住宅街や観光客向けのエリアが広がっていて、僕が見る限りでは、まるで社会階層によって「住み分け」が行われているように見え、違和感を得ました(実際はどうかわかりません。僕は、そのように感じました)。この違和感は、純粋な疑問を生みます。「アメリカの社会保障って大丈夫なの?」。

 ある街角では、その日の食べ物さえも満足に手に入れる事ができない人たちがいる。その傍らで、綺麗に整備された海沿いの公園で余暇を楽しみ、好きな時に好きなものを食べる人たちがいる。このような同じ街に存在する大きなギャップ(格差)に、僕の中で「なんか、違和感」という感情が生まれたし、自己責任論の結末を見たような気分になりました(アメリカに長期滞在されていた方は、また別な見方をするのかもしれません)。

 

 ちなみに、ここでの格差とは、サンフランシスコ(アメリカ社会)で目に見える形で存在していた格差(低所得者高所得者の生活の質など)に直面して感じた、それぞれの社会に存在する広い意味での「格差(問題)」をさしています。

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*サンフランシスコはとにかく坂の多い街です。大陸の隆起した場所に街がある、という感じです

 

 

  • 自分に対する違和感

 サンフランシスコを歩き回って得た違和感は、自分に対する違和感へと変わっていきました。もっと具体的に言うと、自分の旅のあり方について疑問に思い始めたのです。

 

  • 経験主義の限界

 12歳から一人旅を始め、「経験第一」を掲げ様々なところへ行きました。ですが、サンフランシスコで格差というものを目にし、経験主義に基づいた自分の旅に限界を感じました。

 

 まず、格差問題に直面し「この状況ってダメでしょ」とは思うものの、何が原因なのか、どんな取り組みを行えば改善されていくのかなどについて全くアイデアが思い浮かびませんでした。

 つまり、それまで新聞や本を読んで様々な情報を得ることや、色んな社会問題について日々情報を取り入れ考えるということをしていなかった(経験さえすれば良いと思っていた)ので、格差という社会問題に経験を通して直面したものの、その先の思考へと繋がらず経験自体が無意味なものとなってしまいました。この点に、自分の旅のあり方の不甲斐なさ(虚無感)を強く感じました。

 

 そして、何のテーマも持たずに、好きな場所へ自由気ままに旅をする自分もまた、サンフランシスコにおける格差問題の(僕たちの社会で生じている諸問題の)傍観者に過ぎず、情けないなと思いました(大学生になっても、何も考えずに旅をするスタイルでいいのか、いやダメなんじゃないか、と疑問に思いました)。

 

  • アウトプットだけでなく、インプットしよう

 アメリカで目に見える格差を感じた体験は、僕が自分自身に問題提起をするきっかけを作ってくれました。それは、社会問題について考える前に、自分自身の物事の考え方を見直す機会となりました。それまで、情報を取り入れるインプットの作業が、とても苦手でしたが、本を読み始めるきっかけにもなりました(本を読むことや様々な事象を知る事が、旅をより豊かな体験に形作ってくれる事に気づきました)。

 

 

 1年後、「平和と教育」をテーマとして旅を行い、一人旅体験を伝える活動を始めることになるのですが、アメリカでの体験が、旅のスタイルをはじめとする自分自身について見つめなおす大きな大きな機会となりました。