大学時代 #1「五月病」
今年も、五月病の季節がやってきました。僕は、5月が始まるこの時期がとても好きです。青空がまぶしくて、砂浜に腰を下ろして海を眺めていると、とても幸せな気分になれます(地元・宮崎には真っ青な空と太平洋が広がっています)。
一方で、新学期や新生活が始まり1か月が経過し、日本全国で五月病が発症する時期でもあります。五月病とは、新しい生活が始まり、様々な事への期待ややる気が生まれるものの、新しい環境に馴染めずに、メンタル面がマイナスになってしまう症状です。
自分の過去を振り返ってみると、大学1年生のこの時期に、そんな症状をこじらせていたように思います。その頃といえば、東京で一人暮らしを始め、バタバタゴチャゴチャしていた私生活や学校生活がひと段落した時期でした。
しかし、残念ながら、思い描いていたようなキラキラとしたキャンパスライフを上手くスタートさせることはできませんでした(ワイワイガヤガヤしながらサークル活動に明け暮れる予定でしたが、イマイチ色んなものが合わず結局一度も所属することなく4年生になりました)。
- 引きこもっていた大学1年の春学期
九州の田舎で18年間生まれ育ってきた純朴な少年には、東京の田舎とは対極に位置するような生活環境に馴染むには少し時間がかかりました。
都会で生まれ育った(僕にとっては、神奈川や千葉、埼玉だって大都会という認識です。でした)、僕なんかでは比にならない程に秀才な人たちやとても都会的な感覚を持った人たちに囲まれていると、これまで培ってきた自分の中の何か一挙に崩れ落ちていくような気持になりました。つまり、新しい環境の中で自分が何者なのかよくわからなくなってしまったのだと思います(典型的な五月病です)。
- どうやって克服したのか
克服なんてできませんでした。1年生の春学期が終わる頃(7月下旬)までは、自分は何者なのか的モヤモヤを胸いっぱいに膨らませて過ごしていました。
ただ、6月になって8月初旬からカリフォルニア大学デービス校に短期留学をする事が決まり、出発までにそれらの手続きの全てを終わらせなければならないという目標(やるべき作業)があったので、部屋に引きこもりYouTubeをダラダラと眺める生活からは脱却できました(僕個人対現地の語学学校での手続きで、英語を学びに行くための手続きが英語でした。まさに、Why American Agent!!です)。
- 好奇心のはじまり
今振り返ると、これまでとは大きく異なる生活環境で一人暮らしを始め、同じ日本という国で生まれ育ったにも関わらず感覚の異なる(良い悪いではなく、事実として)都会の学生たちと出会った事は、とても良い体験となり、今の自分を形作っているように思います。
そして、自分がそのような(これまでとは大きく異なる環境や交友関係など)状況に置かれた事は、これまで当たり前だった日常や物事が大きく変化することへと繋がり、色んな物事に対して「なぜだろう」といった疑問を持つ考え方が生まれるきっかけになったと思います(小学生時代の好奇心が再起したのかもしれません)。
僕の場合は、五月病(または都会での生活)を経て、今の僕にとって大きな影響を与えた、いくつかの大切な事を得ました(再認識しました)。
それは、「社会学のはじまり」「好奇心の再起」「社会問題(政治)への市民参加の重要性」です。何がどう繋がっていくのか、具体的なエピソードも踏まえながらお話していきます。
ところで、みなさんは知らない人たちで混んでいるエレベーターに乗った時、どこに目線を向けていますか?