Running and Thinking 松本唯人ブログ

12歳から一人旅を始め、日本全国・海外20数カ国を旅した松本唯人(23)のブログ。台湾自転車旅やイスラエル、キューバ旅など、旅先での情報や日本人留学生のインタビュー記事を不定期で更新しています。近況はinstagram(@yuito.mtmt)で更新中。普段は株式会社TABI LABOでライターとして働いています。

僕のキーワード その3「エコ息子」

 

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*いつも携帯しているマイ箸。入れ物は笛にもなる(演奏はスキル的な問題でできない)。

 

 

 僕には、あだ名がない。全くなかったかと言えば嘘になるけれど、これといって定着したあだ名はない。呼ばれる時は決まって、「松本君」「ゆいと」「ゆいちゃん」(…あ、これがあだ名なのかもしれない)と呼ばれる。

 あだ名で呼ばれている人を見かけると「どんなタイプ(人間性)の人が、あだ名で呼ばれるのだろう」と素朴な疑問として真剣に考えてきた(もっと他の事を真剣に考えるべきだと思う)。

 イマドキの「社員と語り合う系」の就活イベントでは、決まって白紙の名札が渡される。「フルネームとニックネーム(あだ名)を記入してください」という言葉も添えられる。先日、リクルートという会社の就活イベントに参加した。学生3人と社員1人がひとつの班になり、それぞれの未来について話すイベントだった。そこでも、みんなあだ名を持っていた。「ヨシコ―」「エイミー」…。久しぶりに「あだ名問題」について、真剣に考えた。

 

 先週、小学校時代の友達(4人)に会った。彼らと話していると、「あだ名問題」の行方に大きな影響を及ぼす事実が発覚した。

 僕にもあだ名があったことを思い出したのだ。正確に言うと、「小学時代」「中学時代」「高校時代」…と、一貫して定着したわけではないが、それぞれの時代でふと友達から言われたことのある呼び名があった。

 

「エコ息子」

 

 これまで、あだ名なのか遠回しの嫌味なのか分からない、このあだ名で呼ばれた事が何度もあった。なぜだろう。友達はこう言っていた。

 

「親父がエコロジストだから」(事の発端だと思う)

「お弁当が玄米と煮干しだったから」(友達にとって、玄米を食べていたインパクトはかなり強かったらしい。僕のお弁当のことについて、僕より鮮明に覚えていた)

「お店で、レジ袋をいつも断っていたから」

「マイ箸を持ち歩いているから」

 

 

 久しぶりに会った友達がこんな事を言っていたので、自分の「エコ息子歴」について考えていると、小学時代までは「親父が~」「お弁当の内容が~」のように自分の選択ではないエコ活動による「受身的なエコ息子」だったけれど、中学時代以降は「レジ袋を~」「マイ箸を~」といった自らエコ活動を志す「主体的なエコ息子」へと変化していったと思う(正しくは、小学時代に「エコ」を受けすぎて、無意識のうちに「エコ的な行動や思考」が身についてしまったという感じだ)。エコ息子という枠組みの中にも、「抑圧型」と「解き放つ型」があるらしい。

 僕は、中学から私立の学校へ通ったため、小学校の友達の僕に対する記憶は、ほとんどが約10年前の「松本唯人」でストップしていて更新されていない。そんな彼らと話していると、昔の自分について客観的に振り返ることができたと思う。エコ息子を忘れずにいてくれた彼らの優しさに、「ありがとう」と感謝したい。

 

 

 今日は、僕のキーワードのひとつである「社会問題」についてお話します。

 

 

  • ここでもやはり、父の影響

 僕の「社会問題」への関心が生まれ始めたのは、小学生の頃だった。賢い小学生だった…わけではない(残念ながら)。自分が置かれた環境的に、意識せざるを得ない状況だったのだと思う。では、具体的なきっかけは何か。それは、父が環境問題に関わる仕事をしていて、その講演会の手伝いを小学校3年生の時から始めたからである(そう思っている)。

 つまり、父と自転車で日本全国を旅しながら、環境問題の講演会の手伝いをするという状況に置かれた事が、「環境問題」という、みんなで考えて解決していかないといけないらしい問題に接する機会となり(父のセリフを覚えるほどに、毎日講演会を聞いていた)、結果的に社会問題という事柄に目を向ける要因になったのだと思う。

 

 

  • 「抑圧型」から「解き放つ型」へ

 小学生時代は、基本的に「抑圧型」としての環境問題への関心だった。そもそも、父の仕事の手伝いも圧倒的な上(父)からの命令(大声では言えないが)だったし、90分(時に120分)の講演会でずっと座って、合図が送られるたびにスライドのボタンを押すという長丁場のお手伝いは、10歳の野球少年にとって、全ての欲を抑え我慢を追い求める修行としか思えなかった。

 そんな「抑圧型」から、自ら環境問題(社会問題)に関心を向ける「解き放つ型」へと変化した(進化した?)のは、小学校6年生も終わりに近づいた時期だったと思う。

 

 

「唯人、ドイツへ行くぞ」

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*当時はドイツと言えば、サッカーかソーセージくらいしかイメージできなかった。ドイツ・フライブルクにて撮影(2011) 

 

 

 お察しの通り、父の一言だ。いつもなら、暗い気持ちになり、大淀川(宮崎市に流れる一級河川)に向かって叫びたくなる所だが、どういうわけか今回は違った。

 「ドイツ」。いつもとは違った響きだった。能登半島・輪島、北海道・長万部、福岡・飯塚…じゃなくて、「ドイツ」。なんか、イメージが湧かない。頭をかしげながら、小学校の図書室へ足を運んだ。