【台湾一周自転車旅】台湾・花蓮から台東の自然を走り抜けて感じた「父の思い」(Day2)
「まだ、起きたくない」
自転車旅では「自分との闘い」に勝っているはずなのに、睡眠欲求を主張する自我には勝てない。今日は、そんな朝を迎えた。予定よりも2時間遅れの7時過ぎに、花蓮のホステルを出発し、台東を目指した。
自転車旅では「自分との闘い」に勝っているはずなのに、睡眠欲求を主張する自我には勝てない。今日は、そんな朝を迎えた。予定よりも2時間遅れの7時過ぎに、花蓮のホステルを出発し、台東を目指した。
台湾島東側の中部を縦断するこの道のりは、上ったり下ったりを繰り返し、ずっと景色が変わらない北海道にある広大な農道のようなルートだった。快晴の空のもと、山肌が見えないほどに緑色の草木に包まれた壮大な山や黄金色に輝く稲作の畑を眺めていると、父のことを思い出した。
●美しい自然に囲まれて、走る
進行方向の右側に山、左側に田んぼ。数時間、景色が変わらない。しかも、スムースには進まないけれど、体力を消耗するほどこがなくてもいいような、若干の向かい風。こういう時は自己暗示をかけ、「なんてすばらしいそよ風。きっと私に何かを語ろうとしているのだわ」と、ディズニー映画のヒロインのような精神性になるしかない。
大自然の中を走っていると、ふと父のことを思い出した。
●「環境を守ることの意味は、とてもシンプルなのかもしれない」
僕の父は、「エコロジスト」の肩書きで、環境問題の講演会や大学での講義を行っている。自転車で海外135ヵ国を旅してきた、先輩チャリラーでもある。
そんな父を持ってしまったがために、僕は幼いころから「エコ息子」として生きてこざるをえなかった。中学生になった頃にはエコな生活には慣れてしまったが、それまでは「環境を守ること」を耳にタコができるほど言われている自分が気の毒で仕方なかった(友達みたいに、ファストフードを食べたかったし、豆腐ハンバーグじゃなくて牛肉ミンチたっぷりのそれを食べたかった)。中学生以降は、そんな父の方針を受け入れ今では自らエコ息子としての役割に従事しているわけだが、台湾を自転車で走っていて改めて「環境を守ること」の理由について考えさせられた。それは、国連が提唱するなんちゃらかんちゃらのように複雑ではない、いたってシンプルなものだった。
「この景色、いつまでも見ていたい」
僕の心を和ませ、感動を与える美しい自然をこれから先もずっと見ていたいと思ったのだ。そして、僕より何倍も多くの自然の中を走ってきた父もまた、この感覚を原点にしているのではないかと思った(僕なりの予測に過ぎないけれど)。これまでの自転車旅では、自然を見て美しいと思うことは幾度となくあったけれども、「父」を思い浮かべることはなかった。子や孫の世代にも見てほしいと思えるほどの台湾の景色が、僕に旅を通して教育をしてくれた父の本質的な「思い」を気づかせてくれたのかもしれない。
夕暮れと同時に最後の上り坂を越え、日が暮れ真っ暗になった18時に台東に到着した。「明日は、時間通りに出発しよう」。街外れの洒落たホステルの扇風機で、風呂上りの日に焼けた肌を冷ましながら、ぼんやりと誓った。