宮城県女川町で『道程』を朗読したお話
初めて詩の朗読会に誘われたのは1年前でした。当時は大学3年生。翌年から始まる就職活動のレールに乗るため、企業のサマーインターンの選考会に奔走していました。
「インターンがあるので…参加できません…」
せっかくのお誘いでしたが、就職活動を「いち早く始めいち早く終える」をモットーにしていたのでお断りしました(結果的には、いち早く始めどの就活生よりも長引いています。笑えません)。
さて、あれから1年が経過しました。「来年は参加したいです」と伝えていたおかげか、今年もお誘いがありました。
「就活が終わっていません。でも、行きます!」
即答でした。自分はずっと同じ場所にとどまっているより、移動をすることによって新しい風景や出会う人々からたくさんの事を見聞きし物事を考えた方がポジティブになることができるし、結果的に何かを生み出せるタイプなのではないかと改めて思ったからです。就職活動を開始し1年が経過しました。これまでは金銭的にも時間的にも「移動」という手段を封印してきましたが、就活1クール目が失敗に終わり肩の荷が下りた(本来、下ろしてはいけないのかもしれませんが)ので、これからはこの手段を解禁していこうと思っています。
8月8日から、宮城県女川町に滞在しています。
- 第26回「光太郎祭」に参加
2011年の東日本大震災による津波で大きな被害(町全体の約66%が全壊)を受けた宮城県女川町。彫刻家であり詩人の高村光太郎が紀行文をつくるために訪れた、光太郎ゆかりの地でもあります。平成4年から毎年1回「光太郎祭」という、高村光太郎の詩の朗読会が開かれています。今年で、26回目。僕は『道程』の朗読役として参加しました。
- 国語の先生に呆れられた中学時代
高村光太郎の詩を最後に目にしたのはいつのことでしょう。中学時代の教科書に「レモン哀歌」や「智恵子抄」が掲載されていた記憶があります(とても曖昧な記憶ですが)。ただ、暗唱テストがあった事だけはしっかりと覚えています(クラスで一番苦戦したからです)。
“詩を覚えるくらいなら、外で遊びたい”
僕は、そんな中学生でした。何度テストをしてもひとつとして覚えてこない(僕としては、詩に全く共感できなかったので暗記できなかった)ので、国語の先生が怒りを通り越して呆れた表情で僕を見つめていたのを鮮明に覚えています。中学生ながら「この先生に呆れられるなんてよっぽどだな」と少しだけ反省し、無理やり暗記してクラスで最後にテストに合格した気がします。
- 高村光太郎『道程』に自己を投影する
「朗読会に参加します!」と威勢よく言ったものの、中学時代に詩に全く共感せず、詩を避けていた僕には詩の素養なんてひとつもありません。これぞ、Mr.行き当たりバッタリです。まずは、手を挙げてみる。後の事は、後になって考える。さて、今回はどのように乗り切りましょう。ひとつだけ意識したのは「僕なりの朗読をしよう」でした。つまり、松本唯人が朗読するわけだから、松本唯人にしかできない朗読をしようという、非常に独善的かつ主張強めの答えにたどり着きました。そこで、高村光太郎の中で最も自己を投影できる詩を探します。せっせと探します(嘘です。僕を誘ってくださった方に「君にはコレがおすすめだよ」と教えていただきました)。ありました。『道程』です。
『道程』。こんな詩です。
『道程』
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
- “僕の前に道はない”
僕(内定ゼロの就活生)が読むと、とてもリアルな1行です。ポジティブにとらえると、とてもリアルだからこそ読む価値のある1行なのかもしれません。これまで、何度も詩を読んでも頭に入ってきませんでした。でも、今回は違いました。『道程』に自己投影をしようという思いのもと、詩を読みます。そうすると、1行1行と自分のイメージが交差を始めます。僕の現状や尊敬する父への思い、そして自分自身への鼓舞。ゆっくりと読んでいくうちに、「あ、詩ってこうやって読むのかな?」と少しだけ分かっていく気がしました。作者の気持ちも大切だけれど、まずは自分がどう感じるかが大切なんだろうなと気がつきました。
- 『道程』を読んで
励まされました。“僕の後ろに道は出来る”のです。先の事は決まっていなくても、僕のこれまでの歩みは少なくとも僕自身が現在地まで通ずる道を形成してきたのです。そしてこれから先は“遠い道程”なのです。何かに失敗しても成功しても、私たちは長く長く続いている道のりにポツンと立っているのだと思います。人それぞれ、時に早く時にはゆっくりと自分の配分で歩んでいけば良いのだと感じました。
初めて詩に共感が生まれました。女川という場所で読んだからかもしれません。あるいは、震災後も高村光太郎の朗読会を通して「詩が私たちに与えてくれる精神的な豊かさ」を伝えようとする女川の人たちの熱意を受けたからかもしれません。「光太郎祭」だけでなく、詩を朗読するに至るまでのプロセスが、とても充実した時間になりました。「OOだから、できない(行けない)」ではなく「OOだけど、できる!(行く!)」という選択が良い結果になったのだと思います。
次は、どこへ「移動」するか。構想中です。