白神山地レポート

 

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 水しか出ない。「時すでに遅し」を思い知らされた瞬間でした。

 

 2年前の夏。その日は大雨の中、滋賀県甲賀市から神戸市内まで100kmの道のりを自転車で走りました。日に300km以上を走ることもあるので100kmなんて朝飯ならぬ昼飯前。お昼前には神戸市内にある中学時代の友人(彼は、絵を描く)のアパートに到着しました。ポストから鍵を取って、アルバイト中の友人に「ありがとう」と心の中で呟きながら部屋に入りました(そして、群を抜いて散らかっていると聞いていた部屋に1泊することの覚悟を決め、入室しました)。

 

 ずぶ濡れの荷物と泥だらけの自転車を、持ち込むことさえ気にならないくらいの散らかり具合。洗われるべきタイミングを失ってしまった食器や埃を身にまとった姿見が大雑把に置かれた部屋。至る所に散乱した絵の具、使いかけの筆、無数の色が混ざったバケツの中の水。そして、四方八方に置いてある完成した絵。典型的な男部屋に「絵」や「芸術」という要素が加わるだけで、どうしてこんなにも落ち着く空間が出来上がるのかと不思議に思いました(散らかってはいるものの、なぜか不快には感じませんでした)。

 

 律儀にも、友人は手作り料理を用意してくれていましたが、まずはシャワーです。夏とはいえ、土砂降りの中を走りました。体は冷え、温かい湯を求めています。さっそく、汗と雨で濡れたウェアを脱ぎ捨てお風呂場へ突入しました。「やっと体を温めることができる」。安心してシャワーヘッドを手に取りました。

 

 いくら待っても、水しか出ません。ここは、モロッコ・タンジールのボロ宿ではありません、大都市・神戸です(早朝4時から大音量でコーランの朗読が始まるモスクに隣接したボロ宿では、春先の寒い時期にも関わらず冷たい水がチョロチョロとしか出ませんでした)。日本でお湯が使えない都市圏があるなんて聞いたことはありませんから、大混乱です。お湯が出ない原因が分かりません。家主(友人)も不在で、数分前に初めて部屋にやってきた僕にはどうしようもありませんでした。仕方なく、冷たい水を浴びながら「大丈夫。温水シャワーのない日は今日だけ、今日だけだ。頑張れ、自分」と言い聞かせ気合と根性でその場をしのぎました(アルバイトから帰ってきた友人に聞いたところ、夏の季節は節約のためガスを止めているとのことでした。凝っていて美味しい「牛筋の赤ワイン煮込み」は用意してくれているのにガスはないなんて、想像の範疇をはるかに超えています)。

 

 まさか、「温水のない日」が再びやってくるとは、神戸で寒い思いをした僕は思いもしませんでした。先週末は、大自然の「沢」で身も心もきれいに洗い流しました。6月30日~7月3日まで、自転車を担いで青森県へ行ってきました。今回の主な目的は「白神山地で1泊2日すること」でした。

 

  • 小学生の頃からの夢

 ブナの原生林、世界遺産…。小学生の頃に社会科の教科書をパラパラめくっていると、僕が生活していた九州とは真逆の日本列島に「神々しい名前の山地」があるという事を知りました。そう、それが白神山地でした。「名前に“神”がついてるって、スゲー」。初めて白神山地の存在を知った時は、それくらいの印象でしたが、東北の大地に広がるブナの原生林(“原生林”って、強そうでかっちょいい言葉だなとも思っていました)を想像するにつれて「いつか行ってみたい場所」になっていました。

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白神山地は『もののけ姫』の舞台になったと言われています。

 

 今回、白神山地では「又鬼(またぎ)」のご夫婦にお世話になりました。「又鬼」。聞き慣れない言葉です(僕も初めて聞きました)。とても簡単に言うと、「白神の大自然に精通した案内人」のような方々です。名前の由来は諸説あります。又鬼の中では熊を狩猟する事が神聖な行為とされているらしいのですが、その際に「心を鬼にして熊を殺めなければならない」そして「また再び、心を鬼にして狩猟を行わなければならない」という事から「又鬼」という名前が付いたという言われもあるようです(又鬼の文化や歴史はとても奥深く、僕には一言では説明できません)。

 

 白神山地の山奥にあるマタギ小屋(木の皮で作った小屋)の周辺にテントを張り、そこを拠点に沢登りや白神の探索へ出かけました。たった1泊2日でしたが、人があまり入らない奥地での生活は、普段の生活について改めて考える事の出来る貴重な体験となりました。

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*暗くて上手く写っていませんが奥にマタギ小屋があります。手前は、僕のテントです。

 

  • 電波もなければ、時間もない空間

 もちろん、電波なんて通っていません。白神山地に入ったと同時にスマホはリュックの奥へとしまいます。そして、「時間の概念」もないように感じました。

 

 時間の概念がないというのは、大げさかもしれませんが、白神に滞在した2日間は時間を気にすることはありませんでした(普段、肌身離さず時計をつけている僕ですら「今、何時」という事が気にならない2日間でした)。そこでは、決められた時間に何かをする必要はありません。日が昇り始めたら起きればいいし、日が暮れ始めたら探索をやめ拠点へと引き返せばいいのです。時計の針を気にするのではなく、自然の状況を見て「自分はどうしたいか」を考え行動するのです。

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*「汗を流したい」。そう思えば、飛び込めば良いのです。

 

 時間を気にするのは、日常生活の中で欠かせない(欠くとなんらかの支障が生まれてしまう)感覚です。授業を受けていれば「この授業はいつ終わるのか」と思って何度も時計へ目を向けてしまうし、友達と会う約束をしていれば時間を逆算して集合場所へ向かいます。そのような普段当たり前のように身に着けている感覚を忘れるというのは、とても新しい感覚でした。

 

 鳥の鳴き声に耳を傾けたのは、いつぶりだったでしょうか。日が暮れると、やることは限られてきます。焚き火をまじまじと眺めるか、木々の隙間から見える夜空を見上げるか、鳥や虫の鳴き声、自然が風に揺られる音を聞くか、くらいです。森という「時間」から分離された空間では、1分1秒がとても長く感じられました。その時の流れの長さは、友人の到着を首を長くして待っている時のような長さとは違います。じっくりと自然の音に耳をかたむけるという行為を通して、ゆっくりだけれど着実に進んでいる時間を貴重なモノとして享受しているように感じました。

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 僕は、超自然派のデジタルデトックス推進者ではありません(僕の場合、日に数時間はスマホを置いて外出したりするので、森に籠ってデジタル離れをする必要性は特にありません)。ただ、白神山地の自然は、「たまには森へ行こうよ」と誰かに進めたくなるほどに素晴らしいものでした(言葉で上手く表現できないのがもどかしいです)。

 

 山奥での1泊2日を通して「温水のない日」もいいものだなと思いました(たった1泊2日の体験に過ぎませんが)。人がまだ一度も踏んでいないフカフカ腐葉土が敷き詰められた道とも言えない山道を登り、豊かな自然を体感し、汗をかいたら冷たい川に飛び込み汗と疲れを流す。短い時間でしたが、自分の時間が大自然の中で循環するという体験は、普段は味わう事のできない贅沢で素敵な体験でした。