Running and Thinking 松本唯人ブログ

12歳から一人旅を始め、日本全国・海外20数カ国を旅した松本唯人(23)のブログ。台湾自転車旅やイスラエル、キューバ旅など、旅先での情報や日本人留学生のインタビュー記事を不定期で更新しています。近況はinstagram(@yuito.mtmt)で更新中。普段は株式会社TABI LABOでライターとして働いています。

大学時代#11「協賛を得て旅へ1 自分にできる事は何か」

 

 最近、叫んでいません。高校卒業以来、思い切り叫ぶ機会が極端に減りました。小中学生の時は野球部だったので、毎日のようにグランドで叫んでいたし、高校生の時は廊下で友達とすれ違うたびに叫び合っていました(女子高生が会話の中でイケメン俳優の名前が出ただけで金切り声を上げるのと同じ現象です。それらには何の意味もありません。ただただ叫ぶのです)。

 

 叫ぶという行為は、自分と地球(大自然)との繋がり(関係性)を確かめる方法のように感じます。私たちは、富士山の山頂に到着したら思い切り叫ぶだろうし、北海道・釧路湿原の中心に一人で立っていたら北の大地に向かって何かしら大声を出したくなるのではないでしょうか。多くの人は満員電車の中で突然叫ぼうとは思わないし、大勢の買い物客が行き交う週末の商店街で大声を出そうとは思わないでしょう。私たちは、日々生活する中で「叫ぶ」という行為を自発的に封印しているのはないでしょうか。僕は、叫ぶことなく静かに生活することによって、どっぷりと社会に溶け込んでいる気がしています。しかし、時には叫ぶという人間としての本来の力を発揮しているような行為を通して、馴染んでいた社会から抜け出し、自分の立っている位置を確認することも必要なのではないかと思います(僕たちは年齢を重ねるにつれて、叫ぶという行為から遠ざかっているのではないでしょうか)。

 

 大学2年生の夏は、たくさん叫びました。豪雨の箱根山では雨に打たれながら怒りをぶつけるようにたくさん叫んだし、鈴鹿山脈の孤独な坂道でも大声をあげました(僕の声が届いたのか、大きなクマさんに遭遇しました)。自転車で旅しながら、あてもなく叫ぶ。とても漠然とした感覚ではあるけれども、当時は「今自分がどこに存在しているのか」をしっかりと把握できていたように思います(近々、久しぶりに叫びたいなと思います)。

 

f:id:yuitoHitoritabi:20170627060537j:plain

*2015年夏・東京~宮崎1500km自転車旅。箱根のてっぺんで大雨の洗礼を受けながら寒さに耐えつつ撮った自撮り写真。表情からも分かる通り、かなりうなだれています。

 

 2015年の夏に「ヨーロッパ・西日本エコツアー」と題して、企業や個人の方々から協賛をいただいて旅に出た事があります。今振り返ると、あの出来事が僕の大学生活の基盤を築いた全ての始まりだったのではないかと思います。

 

f:id:yuitoHitoritabi:20170627061006j:plain

*2015年夏・滋賀県甲賀市柏木小学校。人生初授業。これを機に、これまで20か所以上で授業をさせていただきました。これ以降、最も改善されたのは「丁寧な字で板書する」という点です。

 

 

 では、なぜ「協賛を得て旅に出る」という発想に至ったのか。そして、なぜ協賛を得てまで旅に出ようと思ったのか。いくつかの理由がありました。

 

  • 知らなかった、子供の貧困

 大学1年生も後半に差し掛かった頃、週刊・東洋経済の貧困特集を目にし、ボランティアへの参加を決めました。主に日本における「子供の貧困」問題が取り上げられていたのですが、初めてそのような社会問題が存在している事を知り、驚きました(発展途上国の記事かと思っていたら、先進国・日本の記事でした)。日本社会に貧困問題が存在している事にも驚いたし、自分が生まれ育った国で起きている貧困問題を知らなかった自分の社会問題に対する関心の薄さにも、危機感を覚えました。そこで、記事を読んだだけでは分からないので、ボランティアを通して子供の貧困にはどのような問題があるのかを知ろうと思い、足を運びました。

 

  • 子供食堂ボランティア

 大学1年生の終わり頃から、子供食堂のボランティアに参加するようになりました。子供食堂とは、家庭の事情で食事を十分にとることができていない家庭の子供たちを対象に晩ご飯を提供しみんなで食事をするという活動です。東京都豊島区でNPO法人が活動を行っていたので、ボランティアとして参加するようになりました。

 

  • 当事者にはなれない。自分にできる事は、何か

 子供食堂へやってくる子供たちとコミュニケーションを取る中で、今の自分にできる事は何かを考えるようになりました。そこには、様々な家庭環境の子供たちがやってきていたのですが、僕は子供の貧困における当事者にはなれないと痛感しました。事実として、僕は当事者ではなかったし、事実がそうである以上、彼らに寄り添いたいなんていう軽い言葉は言えないと思いました。ただ、同じ日本社会で過ごしている以上、自分たちが生活を営んでいる社会に存在する問題について考えていかなければいけないと思いました。

 僕自身、たまたま雑誌の特集記事を目にするまでは、貧困問題が日本に存在しているなんて知りもしませんでした。自分の無知さには呆れましたが、何はともあれまずは「知る事」が必要だなと思いました。社会問題でも何でも、まずはそれらが存在しているという事を、私たちひとりひとりが知らないと解決に向けての議論なんてできません。そこで、私たちの社会で起こっている問題について「知る場」を作りたいなと思いました。ですが、僕は日本全国津々浦々にいる単なる大学生の一人です。人を動かすことのできる圧倒的な政治力なんて持っていません。では、今の(当時の)自分にできることは何だったのでしょうか。まず考えたのは、自分の強み(他の多くの大学生とは違う部分)は何かということです。

 

 僕は、12歳から一人旅を始めました。そして、12歳の時からドイツの環境先進都市・フライブルクの車のない街づくり政策や環境政策に関心を持っていました。つまり、「旅」と「ドイツの環境政策」に長く関心を抱いているという部分は、何か行動をする上で自分の強みやテーマになるのではないかと思いました。

 当時、日本全国と海外12か国を自転車で旅していたのですが、これだけでは自分を知らない人たちの興味を引くことができないと思っていました。なぜなら、20歳前後という僕の年代にもなると、すでに100ヵ国近い国を旅した経験を持つ人は普通にいるので、12か国という数字は量的には特に大したものではありません。ただ、小学生の頃から自転車で日本全国を旅していたという点は十分に自分の強みになると思っていたし、社会問題について知る場を作るにあたって(どのように作るのか、当時は全く思いついていませんでした。ただ、「何か行動しなければ!」という思いだけで突っ走っていた気がします)自分ならではの切り口として「自転車一人旅」という経験に対して「ドイツの環境政策」という関心を付加すれば、僕ならではのテーマが出来上がるのではないかと思いました。

 

 子供の貧困問題を目の当たりにし「これではダメだ!」と思い、「何か行動しよう!!」と漠然と思い始めました。当時は、気持ちだけが先行し考えるよりも先に行動していた気がします(僕の人生の大半は考えるよりも行動が先です。単に頭が弱いだけなのかもしれません)。自分の強みとして「自転車一人旅」と「ドイツの環境政策(街づくり政策)」を発見したわけですが、数か月後の夏休みに(「何か行動しよう」と思い立ったのは2015年の5月頃)旅に出て物事を考え、さらに改めてドイツを訪れ環境先進都市・フライブルクの街づくり政策や環境政策について学ぼうと考えました。

 

 では、これらの考えを実行に移すためには何が必要なのでしょうか。僕なりの考えには至ったものの、目の前にはいくつかの障壁が出てきました。特に、費用をどのように準備すればよいのか、とても悩みました。

 

(次回に続く)