大学時代#9「自動車学校での異文化交流2」

 

 やんちゃな同世代たちと過ごした10日間は、僕にとってはとても不思議な体験でした。なぜなら、同じ日本人ではあるけれども、僕と彼らの価値観は大きく違っていたからです。それぞれの価値観に優劣があるという事ではありません。事実として、僕と彼らが日常生活において当然のように用いていた生活する上でのルール(物事の価値判断の基準)が、異なっていたのです。

 

 そういった意味で、自動車学校の免許合宿というひとつの枠組みの中では、様々な興味や関心、価値観を持った人たちと一緒に過ごしたことは面白い体験でした。

 

 

  • 彼らと僕

 僕は、大学入学前に宮崎県の自動車学校で免許合宿を行いました。そこでは、福岡県からやってきていた7名のやんちゃな同世代と生活を共にしました。

 

 おそらく、同じ自動車学校に通わなければ、僕は人生の中で金色の髪をツンツンさせた同世代からビッグスクーターに乗るカッコ良さを毎晩のように熱弁される事はなかっただろうし(そもそも僕の通っていた中高はバイク禁止だった)、彼らも自分たちの所属する集団ではビッグスクーターを所有する事に大きな優位性があるという価値観について、キョトンと首をかしげる僕のような同世代と関係性を構築することはなかったと思います(あったとしても、それはとても小さな可能性のように思います)。

 彼らの中で当たり前のルールが僕には伝わらず、僕の中で当たり前と思っていたルールが彼らには伝わらないことが何度もありました。なぜそのような事態が生じているのか、当時の僕には意味不明だったし、彼らにとっても僕とのコミュニケーションはとても奇妙なものに感じただろうと思います。

 

 彼らの所属する社会集団の中には、師弟関係や兄貴制度みたいなルールが存在しているようでした。おそらく、僕が彼らと似たような雰囲気をまとい自動車学校内を闊歩していたなら彼らは自分たちと僕を何らかの方法で格付けし、集団内の序列をつけたのではないかと思います。

 

  • 文化の違い

 当時は、なぜ彼らと僕の間に価値観の違いがあるのだろうかと不思議に思っていましたが、前回の記事でご紹介したP.ブルデューの言葉を用いると生まれ育った環境における「文化資本」の違いが価値観の違いに繋がったのだと思います。

 

  • 清楚な女の子、とは

 ある日、彼らと一緒に合宿所の近所にあるスーパーに行きました(合宿所は四方八方が田んぼで、近所のスーパーはひとつしかありませんでした)。

 

 清楚で可愛らしい女の子が、近所のスーパーで働いていると彼らが騒いでいたので、「片田舎にも橋本環奈や本仮屋ユイカみたいな清楚な女の子がいるのか…」なんて心を躍らせていたのですが、ここでも彼らの「清楚な女の子」という認識と僕のソレには大きな違いがありました。

 

 スーパーへ行くと、噂の清楚な女の子はいませんでした。今日はお休みなのだろうと思っていたのですが、彼らは「いた!いた!」と騒いでいます。彼らの指さす方向を見てみると、そこには控え目に言って、とてもやんちゃそうな同年代の女性店員さんがいました。

 

  • 茶髪は、黒髪

 彼らが「清楚」と呼ぶ女性店員さんは、「茶髪のねーちゃん」でした。女性店員さんを見つけて、ワイワイと騒ぐ彼らを見ながら、とても困惑してしまいました。僕の価値基準と照らし合わせると、明らかに派手な女性店員さんを、彼らは何の疑いもなく清楚だと言っているからです(女性は清楚であるべきだ!なんて、ジェンダー警察に現行犯逮捕されるような意見を主張しているわけではありません。「清楚さ」を判断する価値基準が、文化によって異なっていて絶句するほど驚いたという事をお伝えしたいのです)。

 

 「あの店員さんって、茶髪だよね?」。念のため、彼らに聞いてみました。「は?あれはどう見ても黒髪でしょ!」。金髪をツンツンさせた同世代たちは、僕の質問を笑い飛ばしました。

 

 互いに日本で生まれ育ったにも関わらず、こんなにも異なった価値観を持って生きているらしい。でも、なぜ僕たちの価値観はこんなにも違っているのだろう。まだ、社会学に出会っていない僕にとっては、言葉で説明がつかない価値観の違いは、とても衝撃的で不思議な体験となりました。

 

  • 異文化交流in Japan

 さて、自動車学校での体験を振り返ると、思う事があります。それは、海外に行き外国人とコミュニケーションをとるだけが、異文化交流ではないという事です。むしろ、僕たちが同じ文化と価値観を共有していると思い込んでいる「日本人」との交流こそが、最も驚く異文化を発見する可能性を秘めていると思います。

 

 僕たちは、知らない間に日常生活で多くの時間を費やしている集団の中での価値観を基準としています。例えば、東京で生まれ育った人は、初めて地方に行った時に、都会的な感覚で物事を判断してしまい、1時間以上待ってもやってこない電車にイライラを爆発させるだろうし、宮崎で生まれ育った人は、都会で生活を始めると、宮崎の郊外にあるイオンモールにはジャージで行けるけど(むしろ、いかに宮崎的に“お洒落な”ジャージを着るかがステータスとなっている)、新宿のルミネにはジャージで行くとある種の罰ゲームでしかないという事に気づくのです。

 

 国境を越えなくても、様々な異文化はそこら中に存在しています。地方出身の僕にとっては、都会で生まれ育った人たちが共有している価値観は、十分に異文化だったし、小学校から高校まで学校文化の中で過ごしてきた人にとっては、中学校あたりから学校文化から逸脱を始めたやんちゃな人たちの価値観もまた異文化なのです。

 

 自動車学校でやんちゃな同世代たちと過ごした体験は、日常生活の中でいろんな社会へ飛び出すことの大切さを教えてくれた気がします。海外ばかりに目を向け、自分が普段生活している日本の中の様々な社会には目を向けようとしない「グローバル志向・空洞化人材」になってしまうのは面白くないと、彼らは教えてくれたのかもしれません。