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柔軟な考え方

 

 知らない他者に声をかけ、瞬時に仲良くなる能力にたけた友達がいます。世間では、フランクなコミュニケーション能力をひとつの分野に集中的に注ぎ込み、多くの異性と仲良くなる彼のような人を、「ナンパ師」もしくは「ネオン街では話しかけられたくないタイプの人」と呼びます(僕もそう思います)。

 

 僕は、気軽に不特定多数の人たちに声をかけ交友関係を広げていくことのできる彼の能力(彼は、多くの人から無視されても気にしない鋼のハートも持っている)をとても羨ましいなと思っているし、コツコツと地道に声をかけていく彼の野心的な強い意志(それはまるで無人島で生き残るための生命力のような強さです)を尊敬しています。

 彼のような人を見ていると、僕の場合は世間的にポジティブな意味での「ナンパ力」を身につけたいなと日々思っています(彼にとっての「ナンパ力」を世間的にネガティブな意味と言うのは、日本で培った価値観を基準としてナンパ力を判断してしまう、一方的な偏見なのかもしれません)。

 

 僕たちは、日常生活の中でいくつかの(場合によっては、無数の)社会集団の中で生きています。そして、ひとつの社会集団で共有されている価値観(そこに所属している人たちの興味や関心)は基本的には似ています(全くの同じというわけではなく、方向性が似てくるという意味です。例外もあります)。

 

 例えば、仮に僕が朝から晩まで授業のある忙しく勤勉な大学生だとしたら、僕は多くの時間を大学という社会集団の中で過ごすことになります。そして、その社会集団を形作るのはOO大学の大学生という、一定の似た価値観を持った人たちです。多くの大学生は、友達が企業説明会に参加し始めたら「自分も参加しなきゃ」と思うし、内定をもらった先輩がインターンシップには参加すべきと言っていたら「インターンに応募しなきゃ」と思うはずです。

 

 僕は、柔軟な視点から物事を見て考える事ができる人に憧れます(ここでの柔軟さとは、男尊女卑のような極端に固定的な考え方に縛られない価値観のことです)。様々な状況でマイノリティ(少数派)に位置付けられている人たちが、差別や偏見で排除されている状況は改善されるべきだし、自分がマイノリティになってしまう可能性を考えることのできる発想力は必要だと思います。

 

 では、柔軟に物事を考えることができるためには、何が必要なのでしょうか。多くの人(それも、いろんな社会集団で生活している人)に会っておしゃべりをする事は、とても大切なポイントだと思います。

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*2015年夏・ドイツ。電車内で知り合った大学研究員で博識なシーワーさんは、 たくさんの事を「知る」ことの大切さを教えてくれました

 

  • アメリカンなテンション

 2014年の夏に、2か月間アメリカへ行っていました。そこで、内気な少年(僕)は、いわゆるアメリカ的なテンションとフランクさを身につけました。

 今では多くの場面において気軽に声をかけたりしない日本人に戻ってしまいましたが(謙虚さを重んじる日本社会の価値観に組み込まれてしまいました)、帰国した直後は本当に誰にでも声をかけてしまうくらいにフランクになっていました(さぞ、ウザかったことでしょう)。

 そんな時期に、大学キャンパスのベンチに座っていた人(その日は休日だった)に、声をかけた事があります。その法学部の先輩(僕がウザいくらいにフランクでなければ知り合ってなかったであろう人)とはなぜかとても仲良くなり、以降その先輩の紹介で大学という枠を超えて様々な人たちと知り合う事になります(紹介で知り合った一人の理系の大学院生には、2016年の春に宮崎県の中学校で研究発表をしてもらいました)。

 その予期せぬ形で知り合った人たちは、アメリカ旅を経て自分の旅の在り方や経験主義的な物事の考え方に疑問(虚無感)を感じていた僕に、たくさんのアドバイスを与えてくれました。

 

  • 知らない社会へ

 僕が自転車を使って旅をするのも、ある意味、道端で僕を見かけた人たちをナンパしたいからなのかもしれません。

 大きな荷物を荷台に乗せて田舎道を自転車で走っていると、誰かしら声をかけてくれます。広大な農業地帯が広がる北海道の田舎道だったら、軽トラに乗った農家のおじいちゃんがスイカを分けてくれたついでに農家の現状について教えてくれたし、広島城を横目に広島市内を走っていると30年前に欧州を自転車で1周したというレトロな自転車に乗った(そのチャリで1周したらしい)チャリンコ紳士が声をかけてくれました(普段とは違う社会集団の人たちとおしゃべりをすることは、未知の社会を知るきっかけになります)。

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*2016年春インド・コルカタ。路地でカレーを作る陽気なオジサンたち

 

  • ナンパ力を身につけたい

 僕の場合、旅をしていると必然的にフランクな性格になっているようです(特に、海外では誰にでも話しかけます)。しかし、日常生活ではなかなかそうはいきません。同じ授業を履修している学生に声をかけることすら、一世一代の勇気を振り絞るくらいに苦労します。

 旅の時だけでなく、普段の生活でもいろんな人に声をかけおしゃべりをする事ができれば、淡々とした日常生活で大きな発見や刺激的な一コマを生むことができるのではないかと思うのですが、それらのことに躊躇してしまう自分がもどかしくなってしまいます。

 だからこそ、とてつもないナンパ力を武器として日々切磋琢磨しているお友達を見ていると、「僕もナンパ力を身につけなきゃ」と思ってしまいます。

 

 

 ナンパ力が世界を救う、なんていう、まさに軟派な標語で宣言したくありませんが、ナンパ力は様々な社会集団をつなぐ架け橋になるのではないかと思います。

 コーヒー一杯が1000円もするカフェで、隣に座ったオジサンに話しかければ、コーヒー一杯が1000円もするカフェで休憩するような社会集団に所属するオジサンが考えている事を知ることができるし(僕が利用するドトールは一杯220円だ)、帰省した時に実家の近所の小学生たちと話せば、イマドキの小学生の感覚を知ることができる(彼らは『トリビアの泉』や『エンタの神様』なんて知らない)。

 ナンパ力を駆使して手に入れた他者とのコミュニケーションは、僕たちが自分とは異なる社会集団に所属する人たちの考え方や立場を理解する手助けになると思います。それに、新しい価値観を知ることは、自分にとっても物事をより多面的に考える資源になるのではないでしょうか。

 

 久しぶりに会った、ナンパな彼とおしゃべりをしていると、改めて「ナンパ力」の大切さを思い出しました。