大学時代#2「社会学とのふれあい」

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 時はゴールデンウイーク。どこへ行っても人だらけ。今日も、とあるビルの定員オーバーを知らせるブザーが鳴りそうなギュウギュウのエレベーターに乗った。全ての会話内容が筒抜けの超個室空間で、大声で話しかけてくる連れもいないので、快適な上階への旅がスタートする。ふと、周りを見ると、皆が視線を上に向けて電光掲示板を見ている。クスクス。この何気ない状況(エレベーター内で皆が視線を上に向ける状況)を、楽しめるようになったのは、大学1年生の半分が過ぎた頃だったと思う。

 

 前回から、大学時代についてお話しています。就活(面接)での主なネタは、大学時代の事についてなので、長くなるかもしれません(分かりません)。とにかく、書いてみます。

 

  • 様々なきっかけ

 大学入学から今現在に至るまで、様々なきっかけがありました。そのひとつが「社会学を知った事」だと思います。

 

 公共空間における何気ない行為を見ながら、ニヤニヤするようになったのは、アメリカの社会学者E.ゴフマンの「儀礼的無関心」について知ったせいです。

 儀礼的無関心とは、何でしょうか。例えば、1人で電車に乗っているとしましょう。みなさんは隣に座っている、赤の他人に挨拶をするでしょうか。近くにいる人の、スマートフォンの画面を覗き見るでしょうか。おそらく、多くの人がそんな事はしないと思います(そう信じる事にしましょう)。このように公共空間において、他者に対してあえて(故意的に)無関心を装い、公共空間での規則(他者が不快になるような行為をやらないなど)を守る行為を儀礼的無関心と呼びます。呼ぶらしいです(とても解説力不足なので、詳しく知りたい方は有斐閣社会学』のP27~33辺りを読んでください)。

 エレベーター内での出来事も皆が(無意識のうちに)儀礼的無関心を行ったといえます。満員のエレベーター内では、よく知らない人たちとの物理的な距離がとても近いといえます。そこで「こんなにも近いけれど、あなたに興味は持っていませんよ~」と、私たちは態度で示すために電光掲示板を見つめ続けるわけです。仮にジロジロ見てくる人がいたとしたら、それはとても不快に感じる行為でしょう。なぜならば、それがエレベーター内という公共空間における規則(他者をジロジロ見てはいけないなど)に反した行為だからです。

 

 さて、ダラダラと儀礼的無関心について説明しましたが(稚拙でゴメンナサイ)、私たちの日々の何気ない行動が「儀礼的無関心」という言葉で説明されてしまうというのは、とても面白いとは思いませんか。僕は初めてこれらの事(社会学の簡単な記述)について知った時、自分の中で革命が起きた気がしました。

 

  • 日常生活が言葉で表せる楽しさ

 大学入学までは、社会学なんて単に幅広く社会について学べる学問としか思っていませんでした。僕は社会学科の単なる4年生に過ぎませんが、社会学に関する知識がゼロ(大学入学以前)よりも、社会学についてなんらかの知識(知識と呼ぶには初歩的な記述に過ぎませんが)を知るという事は、目の前の淡々と過ぎていく日常がパァっと明るく開け、新たな面白みや楽しさが日常生活から飛び出してくるような感覚になりました(エレベーターに乗るだけでワクワクします)。

 加えて、それまでは特に気にもせずに無意識のように行っていた行為が、社会学の初歩的な記述(「儀礼的無関心」を始めとする多くの記述)を知る事によって、言葉で言い表せてしまう心地よさに、引き込まれていきました。

 

  • 東京の人は冷たい?(いえいえ、そんなことはありません)

 例えば、コレです。

 僕は18年間、宮崎県で生まれ育ちました。東京で一人暮らしを始めて不思議に思った事のひとつに(たくさんあるうちのひとつ)、近所の小道ですれ違った人たちが挨拶を交わさないという事がありました。

 宮崎では、家の近くの道ですれ違った人には必ず挨拶をしていました。相手が知り合いでも初見の人でも、挨拶する事が当たり前と思っていましたし、それは礼儀正しくて良い行為だと思っていました。ですが、東京ではみんな無言ですれ違います。むしろ、すれ違いざまに目が合うと、とても気まずそうな顔で通り過ぎていきます。

 当初は人との繋がりの薄さに「これが都会砂漠か」や「東京の人は冷たいな」なんて思っていました。ですが、社会学を少し知ると、そういった行為もまた儀礼的無関心の一種だという事を知り、面白いなぁと思いました(都会は人が多すぎるため、わざわざ一人一人に挨拶なんてしていると日が暮れてしまいます。だから、都会の人たちは相手の事を思い、あえて無関心を装うという見方になります)。

 

 

 平均的な成績の僕が、知ったように社会学について話すと、読んでいる人は困惑するかもしれません(していることでしょう)。ですが、知識が全くのゼロだったからこそ、微々たる情報について知った時に、それまでのモノの考え方や周りを見る視点が大きく変わったのだろうと思います。それほどにまで、社会学に触れた事は、僕にとってはとてつもないプラスの影響があったのではないかと思います。