大学時代#3アメリカ編「ゲーテッドコミュニティ」

 

 

 中学卒業までに8ヶ国を旅しました。ドイツ、フランス、スペイン、デンマーク…と、その多くがヨーロッパの国々でした。

 それだけが理由ではありませんが、昔から「西洋文化」というとアメリカ文化よりもヨーロッパ文化がパッと思い浮かびました。それに、とても早い時間の流れで移り変わっていく軽やかなアメリカの流行よりも(『めざましテレビ』でよく紹介されている)、歴史の教科書で目にするような中世の建物やお城といった時間の流れと共に生き続けてきた欧州の街並みの方が(『世界の車窓から』でよく紹介されている)、「文化」というどこか重々しそうな言葉にピッタリだなと感じていました。

 中学生の頃から、大学卒業までにはアメリカ本土に行ってみたいなと思っていました(とても漠然と思っていた気がします)。僕のアメリカへのイメージはマック(関西ではマクド)やケンタッキーなどの「大量生産大量消費」で細かい事には目を向けない大柄な感じだったし、ハリウッドスターたちが手にすればすぐにトレンドとなるLAふぁっしょん(よく分からない)やどの過程で材料費が高くなるのか見当がつかない最先端ポップコーン(原宿にありそうなお店)といった、とても固定的なものでした。

 アメリカへのイメージが、とても固定的だったからこそ、実際に行って確かめてみたいなと強く思っていました。だけど、こんなにも早くアメリカへ行く事になるとは予定していませんでした(大学1年の夏は友達と「ウェーイ」とか言って遊びまわる予定でした)。

 

 では、今日からアメリカ編のスタートです。Let’s Go!!

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*アメリカの滞在で最も大変だったのは「食」です。玄米とみそ汁が恋しい毎日でした

 

 

  • どうしてアメリカへ行ったのか

 大学1年生の夏休み(2014年)に2か月間アメリカへ行きました。目的は、短期留学と一人旅のふたつでした。前半の1か月間は短期留学として英語を学び(アメリカ的なオーバーリアクションを学び)、後半の1か月間は好きなように北米大陸を旅しました。

 この2か月間の気ままなアメリカ滞在は、社会で起こる出来事と自分自身の旅の在り方に目を向けるようになったキッカケになったように思います。

 

 

  • UC Davis(カリフォルニア大学デービス校)

 せっかく行くなら、語学プラスαを学べる場所が良いなと思い、カリフォルニアにあるデービスに行きたいと思いました。デービスはポートランドと同様に、アメリカ国内で自転車交通を始めとする公共交通政策が発達している街です。運よく、通っている大学がカリフォルニア大学デービス校と提携していたので、そのプログラムに応募しようとしたのですが、僕がアメリカでの短期留学を決定した頃(5月頃)は、すでに大学の短期留学プログラムの申し込みは終わっていました(何事も早めの決断と行動が必要みたいです)。

 仕方なく、個人的にネットで調べていると「デービスの語学学校的な施設のホームページ」を見つけました(英語表記だったので、よくわかりませんでした)。大学で知り合った帰国子女のスーパーイングリッシュウーマンたちの手助けもあり、そのホームページから申し込めばデービスで英語を学べるという事が判明し、申し込み手続きを始めていきました(助けてくれた友達にとても感謝しています)。

 

 というわけで、アメリカの西海岸へ出発です。

 

 

 語学学校に通う、1か月間はホームステイを選びました。ホストファミリーは、定年退職を迎え悠々自適に生活している(僕にはそう見えた)黒人の夫婦でした。家は、デービスの語学学校までバスで1時間(バス停まで車で1時間弱)もかかるウェストサクラメントという場所のさらに郊外にありました(人生で最も長い通学路でした)。

 夫婦は、いわゆるホワイトカラーで社会階層が高く(家の大きさやホストファザーの学歴、家具などから考えるとそんな感じだった)プロテスタントを信仰していました。

 

  今振り返ると、面白い体験だったなと思う事があります。それは、ステイ先がゲーテッドコミュニティだったという点です。ゲーテッドコミュニティとは、周囲を高い柵(壁)で囲い出入り口にはゲートが設けられて警備員が出入りを監視している住宅街のことで、治安などの面から所得の高い人たちが、お金で安全性を確保しているような所です。

 当時は、「社会学科の教授がゲーテッドコミュニティがなんとかって言ってたなぁ」とか「ココがゲーテッド~かぁ。どの家もお金持ちそうだなぁ」などと思い、日本ではあまり目にすることのない住宅地の在り方について不思議に思っていました(最も不思議だったのは、深刻な水不足といわれているにも関わらず、毎朝どの家庭でもスプリンクラーが大量の水を芝生のお庭にまき散らしていた事です。彼らの庭への愛着については今もなおよくわかりません)。

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*ホームステイ先の近所の公園。ここでも毎朝、大量の水を消費しています

 

 

  • 目に見える格差

 アメリカでの体験を振り返ると、所々に目に見える(あきらかな)格差がアメリカの社会にはあったように思います(たった2か月間の滞在でしたが、そう感じました)。

 ゲーテッドコミュニティもそのひとつです。たしかに、出入りする人たちが監視されていて怪しい(怪しそうな)人は、警備員に止められるシステムは、そこに住む人たち(僕)にとっては安全が確保されていて安心感はあります。ですが、住宅街の周囲に柵(壁)が建っているという物理的な事象は、柵の外に住んでいる人たちにとっては決して愉快ではありません(仮に、僕が外の住人だったら、柵によって隔てられている感覚は不愉快とは言わないまでも、違和感を得ます)。

 僕がイメージしていた、ゴージャスでミーハーなアメリカ文化が存在する一方で、このような、上手く言葉では言い表せられないけれど、明らかに目に見えて存在する格差(僕が滞在していたゲーテッドコミュニティの場合は、所得格差が目に見える形となって実体化していた)を感じ、アメリカ社会に違和感を得ると同時に「格差」について深く考えた事のなかった自分自身への疑問も生まれました(この時の漠然とした違和感は、昨年の米大統領選におけるトランプ支持者が語る不満を聞いた時に、具体的に現実と重なった気がします)。

 アメリカでの滞在では、こういった身の回りで実体化している格差を感じる機会が多かったように思います。

 

 

 今、2516字。大学のレポートではこんなに書けないのに、自分の事になるとスルスルと書いてしまうようです。これ以上書くと、お互いに疲れてしまいそうなので、続きは次回にしましょう。

 

 僕はゲーテッドコミュニティで囲われるために渡米したわけではありません。次回は、語学学校に登校してみましょう。ワクワク・ウキウキ・ルンルンルンで登校するわけですが、登校初日に、驚愕の事実を知らされることになります(オチの弱い深夜ドラマみたいな次回予告ですが、個人的にはホントに驚きました)。

 

 

違和感を大切に

 

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 コンビニ店員の接客態度の悪さに驚いた。ふと名札に目を向けると、そこには東南アジア系の名前が見えた。「外国人の店員さんか。それなら(接客が丁寧でなくても)仕方ないな」と思い、お店の接客指導にクレームをつけることもなく(これまでクレームなんてつけたことはない、と思う)、その場で納得しお店を出た。

 モヤモヤ。お店を出てすぐに、何かしらの違和感が生まれた。「違和感様、あなたはどこからやってきたの?」。どうして彼(あるいは、彼女)が僕のもとへ突然やってきたのか分からなかった(違和感はいつも突然やってくる)。立ち止まって考えていると、違和感の原因が分かった。どうやら、僕は自分自身の考え方に違和感を抱いたらしい。

 そもそも、なぜ僕は店員さんの接客態度に疑問を抱いたのだろう(店員さんは、ちゃんと会計をしてくれたし、お釣りもちゃんとくれた)。たぶん、僕が態度の悪さに対して「これは良くないな」と思ったのは、相手の目を見る・お釣りは両手で渡す・愛想を良くするなどといった、多くの日本人が無意識のうちに共有しているであろう(たぶん。)日本における接客基準(接客する側が最低限守ってくれるであろう態度の基準)を、判断基準としていたからだと思う。

 よくよく考えてみると、ドイツ・ミュンヘンのスーパー店員は買ったばかりの卵を全部割ってしまった直後くらい不機嫌で不愛想だったし(椅子に座ってレジ打ちしているし)、イタリア・ナポリの売店員は音楽のビートに乗るついでに接客していた(ハミングもしていた)けれど、海外で接客を受けた時は店員の態度がなんであれ少しも「なんだ、この態度は!」なんて思わなかったし、むしろたまにお釣りをちょこまかす方もいらっしゃるので「ちゃんと会計し、ちゃんとお釣りをくれればそれだけでVery Good」だと思っていた。

 それに、店員が外国人だから接客態度が悪くても納得したというのも、よくわからない論理だと思う。なぜこのように僕が考えたのかはよく分からないけれど、頭のどこかで「日本人の接客は世界一繊細で丁寧なのだ、ワッハッハ」と勝手にクールジャパンを気取っていたのかもしれないし、これまで海外で受けた接客の経験から「外国人が求める接客サービスと日本人が求めるソレには違いがあるのだから、日本で接客をする外国人はその価値観のズレに気づくのが大変なのだろう」なんて日本人としてのオモイヤリ・オモテナシ精神を勝手に押し付けてしまったのかもしれない。

 いずれにせよ、突然やってきた違和感様は、こんな理由が原因となって生まれたのだと思う。ここまで読んで気づいた人も多いと思うけれど、この長い話に結論はありません(結論に至れないのが、僕の能力的な課題です)。単に、コンビニ店員の態度を疑問に思ったけれど、その疑問に思う事自体を疑問に思っちゃった、っていう話です。理論的な結論にたどり着かなかった点を大きく棚に上げて言うと、このような生活の中で生まれる違和感を大切にする事が大事だと思っています。

 「店員さんの悪い態度に対する違和感」を、怒りと共に吐き出してしまうのではなく、じっくり検討してみる(僕の場合、検討と言うには、あまりに浅い思考力ですが)ことって、必要なのではないかと思います。結論は出なくとも(たまに、何かの発見をする事はあります)、ボーっと考えてみることによって、必然的に時間は流れ瞬時の怒りも消えていきます。もしかすると、生まれ育った環境や文化的な背景が、あの店員さんの接客態度の質と関係しているのかもしれません。そうなると、あの店員さんの出身はどこなのだろうかとか東南アジア系ぽかったけど東南アジア行きたいなとか、全くどうでもいいことまで考えてしまいます。そこまでくると、あとは簡単です。「まぁ、あの店員さんにも色々あるんだな」といった、南国の海岸で目をトロンとさせながら平和的に空を見上げているような気持ちになります。時に、それくらいの気楽さで過ごしてみるのも良いのではないかと、僕は思っています。

 

 さて、「私も違和感を大切にしてみよう。なんか面白そう」と思ってくれた人がいるのであれば、とても嬉しいです。記事を書いてよかったなと思います。ありがとうございます。

 ですが、「今回の記事に対する違和感」を大切にしてしまった人はこう思うでしょう。

 

「松本は違和感についての持論を盾にして、実はネチネチとコンビニ店員の接客態度について愚痴りたいだけだ!そういう部分(性格)、超違和感!!」

 

 違和感を大切にする人が増えれば、少しはゆったりとした優しい社会になるのではないかと思っていました。しかし、どうでしょうか。それはそれで、厄介な社会になってしまいそうな気もします。

 

 

 次回から、2014年夏に行ったアメリカのお話です。まさに、違和感だらけの旅でした。

 

大学時代#2「社会学とのふれあい」

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 時はゴールデンウイーク。どこへ行っても人だらけ。今日も、とあるビルの定員オーバーを知らせるブザーが鳴りそうなギュウギュウのエレベーターに乗った。全ての会話内容が筒抜けの超個室空間で、大声で話しかけてくる連れもいないので、快適な上階への旅がスタートする。ふと、周りを見ると、皆が視線を上に向けて電光掲示板を見ている。クスクス。この何気ない状況(エレベーター内で皆が視線を上に向ける状況)を、楽しめるようになったのは、大学1年生の半分が過ぎた頃だったと思う。

 

 前回から、大学時代についてお話しています。就活(面接)での主なネタは、大学時代の事についてなので、長くなるかもしれません(分かりません)。とにかく、書いてみます。

 

  • 様々なきっかけ

 大学入学から今現在に至るまで、様々なきっかけがありました。そのひとつが「社会学を知った事」だと思います。

 

 公共空間における何気ない行為を見ながら、ニヤニヤするようになったのは、アメリカの社会学者E.ゴフマンの「儀礼的無関心」について知ったせいです。

 儀礼的無関心とは、何でしょうか。例えば、1人で電車に乗っているとしましょう。みなさんは隣に座っている、赤の他人に挨拶をするでしょうか。近くにいる人の、スマートフォンの画面を覗き見るでしょうか。おそらく、多くの人がそんな事はしないと思います(そう信じる事にしましょう)。このように公共空間において、他者に対してあえて(故意的に)無関心を装い、公共空間での規則(他者が不快になるような行為をやらないなど)を守る行為を儀礼的無関心と呼びます。呼ぶらしいです(とても解説力不足なので、詳しく知りたい方は有斐閣社会学』のP27~33辺りを読んでください)。

 エレベーター内での出来事も皆が(無意識のうちに)儀礼的無関心を行ったといえます。満員のエレベーター内では、よく知らない人たちとの物理的な距離がとても近いといえます。そこで「こんなにも近いけれど、あなたに興味は持っていませんよ~」と、私たちは態度で示すために電光掲示板を見つめ続けるわけです。仮にジロジロ見てくる人がいたとしたら、それはとても不快に感じる行為でしょう。なぜならば、それがエレベーター内という公共空間における規則(他者をジロジロ見てはいけないなど)に反した行為だからです。

 

 さて、ダラダラと儀礼的無関心について説明しましたが(稚拙でゴメンナサイ)、私たちの日々の何気ない行動が「儀礼的無関心」という言葉で説明されてしまうというのは、とても面白いとは思いませんか。僕は初めてこれらの事(社会学の簡単な記述)について知った時、自分の中で革命が起きた気がしました。

 

  • 日常生活が言葉で表せる楽しさ

 大学入学までは、社会学なんて単に幅広く社会について学べる学問としか思っていませんでした。僕は社会学科の単なる4年生に過ぎませんが、社会学に関する知識がゼロ(大学入学以前)よりも、社会学についてなんらかの知識(知識と呼ぶには初歩的な記述に過ぎませんが)を知るという事は、目の前の淡々と過ぎていく日常がパァっと明るく開け、新たな面白みや楽しさが日常生活から飛び出してくるような感覚になりました(エレベーターに乗るだけでワクワクします)。

 加えて、それまでは特に気にもせずに無意識のように行っていた行為が、社会学の初歩的な記述(「儀礼的無関心」を始めとする多くの記述)を知る事によって、言葉で言い表せてしまう心地よさに、引き込まれていきました。

 

  • 東京の人は冷たい?(いえいえ、そんなことはありません)

 例えば、コレです。

 僕は18年間、宮崎県で生まれ育ちました。東京で一人暮らしを始めて不思議に思った事のひとつに(たくさんあるうちのひとつ)、近所の小道ですれ違った人たちが挨拶を交わさないという事がありました。

 宮崎では、家の近くの道ですれ違った人には必ず挨拶をしていました。相手が知り合いでも初見の人でも、挨拶する事が当たり前と思っていましたし、それは礼儀正しくて良い行為だと思っていました。ですが、東京ではみんな無言ですれ違います。むしろ、すれ違いざまに目が合うと、とても気まずそうな顔で通り過ぎていきます。

 当初は人との繋がりの薄さに「これが都会砂漠か」や「東京の人は冷たいな」なんて思っていました。ですが、社会学を少し知ると、そういった行為もまた儀礼的無関心の一種だという事を知り、面白いなぁと思いました(都会は人が多すぎるため、わざわざ一人一人に挨拶なんてしていると日が暮れてしまいます。だから、都会の人たちは相手の事を思い、あえて無関心を装うという見方になります)。

 

 

 平均的な成績の僕が、知ったように社会学について話すと、読んでいる人は困惑するかもしれません(していることでしょう)。ですが、知識が全くのゼロだったからこそ、微々たる情報について知った時に、それまでのモノの考え方や周りを見る視点が大きく変わったのだろうと思います。それほどにまで、社会学に触れた事は、僕にとってはとてつもないプラスの影響があったのではないかと思います。

 

大学時代 #1「五月病」

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 今年も、五月病の季節がやってきました。僕は、5月が始まるこの時期がとても好きです。青空がまぶしくて、砂浜に腰を下ろして海を眺めていると、とても幸せな気分になれます(地元・宮崎には真っ青な空と太平洋が広がっています)。

 一方で、新学期や新生活が始まり1か月が経過し、日本全国で五月病が発症する時期でもあります。五月病とは、新しい生活が始まり、様々な事への期待ややる気が生まれるものの、新しい環境に馴染めずに、メンタル面がマイナスになってしまう症状です。

 自分の過去を振り返ってみると、大学1年生のこの時期に、そんな症状をこじらせていたように思います。その頃といえば、東京で一人暮らしを始め、バタバタゴチャゴチャしていた私生活や学校生活がひと段落した時期でした。

 しかし、残念ながら、思い描いていたようなキラキラとしたキャンパスライフを上手くスタートさせることはできませんでした(ワイワイガヤガヤしながらサークル活動に明け暮れる予定でしたが、イマイチ色んなものが合わず結局一度も所属することなく4年生になりました)。

 

  • 引きこもっていた大学1年の春学期

 九州の田舎で18年間生まれ育ってきた純朴な少年には、東京の田舎とは対極に位置するような生活環境に馴染むには少し時間がかかりました。

 都会で生まれ育った(僕にとっては、神奈川や千葉、埼玉だって大都会という認識です。でした)、僕なんかでは比にならない程に秀才な人たちやとても都会的な感覚を持った人たちに囲まれていると、これまで培ってきた自分の中の何か一挙に崩れ落ちていくような気持になりました。つまり、新しい環境の中で自分が何者なのかよくわからなくなってしまったのだと思います(典型的な五月病です)。

 

  • どうやって克服したのか

 克服なんてできませんでした。1年生の春学期が終わる頃(7月下旬)までは、自分は何者なのか的モヤモヤを胸いっぱいに膨らませて過ごしていました。

 ただ、6月になって8月初旬からカリフォルニア大学デービス校に短期留学をする事が決まり、出発までにそれらの手続きの全てを終わらせなければならないという目標(やるべき作業)があったので、部屋に引きこもりYouTubeをダラダラと眺める生活からは脱却できました(僕個人対現地の語学学校での手続きで、英語を学びに行くための手続きが英語でした。まさに、Why American Agent!!です)。

 

 

  • 好奇心のはじまり

 今振り返ると、これまでとは大きく異なる生活環境で一人暮らしを始め、同じ日本という国で生まれ育ったにも関わらず感覚の異なる(良い悪いではなく、事実として)都会の学生たちと出会った事は、とても良い体験となり、今の自分を形作っているように思います。

 そして、自分がそのような(これまでとは大きく異なる環境や交友関係など)状況に置かれた事は、これまで当たり前だった日常や物事が大きく変化することへと繋がり、色んな物事に対して「なぜだろう」といった疑問を持つ考え方が生まれるきっかけになったと思います(小学生時代の好奇心が再起したのかもしれません)。

 

 

 僕の場合は、五月病(または都会での生活)を経て、今の僕にとって大きな影響を与えた、いくつかの大切な事を得ました(再認識しました)。

 それは、「社会学のはじまり」「好奇心の再起」「社会問題(政治)への市民参加の重要性」です。何がどう繋がっていくのか、具体的なエピソードも踏まえながらお話していきます。

 

 

 ところで、みなさんは知らない人たちで混んでいるエレベーターに乗った時、どこに目線を向けていますか?

 

中高時代2

 昔、とても怯えていたことがあります。それは、中学時代に部活を休む事です(野球部でした)。今では、とても不思議に思いますが、当時は1日でも部活を休むことに対して恐れのようなものを抱いていた記憶があります。

 顧問の先生はとても理解のある方で、仮に何らかの事情で休まなければいけなくなったとしても、それを咎めず(ごく当たり前ですが)快く承諾してくれました。しかし、1日でも練習を休むと、試合に出る機会がなくなってしまうのではないか、次に練習に参加した時に上手くプレーができないのではないかなどと思ってしまい、毎日練習に参加していました。

 部活から学んだことは多々あります。むしろ、中学時代に学んだ事といえば部活からの経験くらいです(部活に最も多くの時間をかけた気がします)。しかし、当時を振り返って考えてみると、時には部活を休んで、もっと色んな事に取り組めばよかったなと思います。

 そして、一番の反省点は、部活以外の何かに取り組まなかった点ではなく、部活以外の何かを選択するという発想力が無かった点だと思っています。まさに、部活に参加するという当たり前の事象を疑う事ができませんでした。

 他にも昔の反省点はたくさんありますが、悔やんでも仕方がないので、中学校や高校などで授業をする時に「なぜ毎日部活に足を運んでいるのか」や「宿題を提出しなかった時、なぜこっぴどく怒られなければいけないのか」(宿題はしっかり提出しよう!)などについて中高生に問いかけるようにしています(中には、とても険しい表情をされる先生もいます)。  

 先生たちに反逆せよ、と中高生を煽っているのではなく、普段の生活に対して疑問をぶつけてみる事が、何かの役に立つのではないかと思っているのです。

 

 

 今日は、中高時代についてのお話です。

 

 

  • 日常の中でジタバタしていました

 よく聞かれる事があります。中高時代も旅をしていたのか、という質問です。これも今では反省している点ではありますが、中高時代は外の社会へあまり出て行こうとせずに過ごしていました(基本的に、旅はしませんでした。いくつかの例外はあります)。

 

  • 部活期と受験期

 中高時代を、とても大きな枠組みでバッサリとふたつに分けてしまうのであれば、部活期(部活に囚われていた時期)と受験期(受験に囚われていた時期)に分ける事ができると思っています。中学時代が部活期で、高校時代が受験期です。

 

 中学時代は部活に多くの時間と全ての体力を捧げました(そのわりには、飛躍的な野球スキルは身に付きませんでした)。集団行動の基礎を学べたり、今でも繋がりのある大切な友達を作ることができました。一方で、前述の通り、部活という枠の中に閉じこもり、外の社会へ一歩踏み出していくような行動力や好奇心は小学生の頃に比べて、衰えていってしまったように思えます。

 事あるごとに、部活を理由にして、参加すると有意義であろうイベントや普段とは異なるコミュニティとの交流会などへの出席を拒んでいました(時々、そういったイベント等への参加を親に勧められましたが、頑として行かなかった記憶があります)。

 

 そして、中学校3年生の夏に部活を引退し、高校1年生の冬ごろまでフラフラしました(言葉の通り、フラフラしました)。

 

 高校1年生の冬頃から、受験期に入ります。つまり、モノの価値を受験に関係あるかないかで判断するような、好奇心のカケラもない高校生になっていきました。帰宅部だったので、この頃から学校が終わると予備校の自習室のこもるようになっていきました(今、思い出しましたが、こもった時間のわりには、勉強ができるようにならなかったので、とても悲しい気持ちになります)。

 この時期もまた、事あるごとに受験勉強を理由にして、多くの有意義な機会への参加を拒み続けていました。

 

  • 全部がタメになる

 書いていて思いましたが、中高時代は好奇心が失われていたように思います。特に、受験期は「それって受験に関係あるの?」とか生意気な事を常に思っていました。

 今となって、受験科目とは関係のなかった数学や物理、化学などの理系科目を勉強する意味を痛感しています。それに、昨日の記事でも書いた通り、本を読むことだってタメになるし、何かのイベントに参加して普段とは違ったコミュニティの人とおしゃべりをする事だってタメになったでしょう(今の僕は、そう思います)。

 

 

 前々回、中高時代の記事を書いたときに、当時の記憶を引っ張り出しました。その時、大学生になって好奇心が爆発した(自分では好奇心旺盛な方だと思っていますが、どうでしょう?)のは、中高時代に様々な事の内側に引きこもり過ぎた生活をしていた事が原因なのではないかと、ふと思いました。つまり、良くも悪くも、中高時代に無意識に「何かに囚われて過ごしている感」(当時は気づいていませんでしたが)を感じていた体験が、結果として自ら行動していくような主体性(カッコよく言うと)みたいなものを生む要因になったのではないかと思います。

 

 そのような結果を生んだきっかけが思い浮かびました。それは、大学1年生の時の、いくつかの体験にあるように思います。

 

人のギャップ

 男の子は女の子のギャップに弱い。たまたま目にした、女子中高生向けの女性誌に、そんな風に書かれていた(なぜ僕は、女子中高生向けの雑誌をたまたま目にしたのだろう)。おそらく、それは「ギャップ萌え」といわれる現象だと思う。普段、学校では活発な女の子が、私生活ではとてもガーリーな服(どんな服?)を着ていると、男の子は胸キュン♪するらしい(女性誌風に表現すると)。とても大雑把に解釈すると、僕たちは人間なのだから、普段は知らない他者の一面を目にすると、何かしらのトキメキ(興味が湧く事)があるという事なのではないだろうか。言われてみると、そういった現象はしばしば存在する。

 

 書類では伝えきれない部分を伝える事が、面接では大切らしい。少し前に、多くの面接を経験した友人が言っていた。彼女の助言を素直に受け入れ(その素直さが長所でもある)、書類では伝えきれない部分について考えてみようと思う。

 

 まず、書類で伝わる部分とは何だろうか。僕の書類(ES、履歴書)には、一人旅や自転車、マラソンといった、脳内が経験主義信仰と筋肉でパンパンに膨れ上がっていそうな言葉がズラリと並んでいる。それらを読むと、おそらくアウトドアな人物像(良い意味で捉えると)が思い浮かぶのではないかと思う(あくまで自分の推測だけれど)。つまり、書類ではアウトドア風な雰囲気が伝わる(と思う)のだから、面接ではそういった部分以外についても語らなければいけない(語る事を求められる状況が、いつか訪れるかもしれない)。

 とても単純に考えると、アウトドアではない部分(机に座って何か考え事をしますよ、みたいな部分)を準備しなければいけない。さて、僕にはインドア的な要素があるのだろうか。ひとつだけ思い当たるフシがある(今のところは)。

 

 それは、読書好きという部分だと思う。ちょっとしたきっかけがあって、大学1年生の夏が終わろうとする頃から本を読み始めた(本が読めるようになった)。なので、中高時代までの僕を知っている人は、僕が読書好きであるという事は、とても信じられないと思う(中高時代までは、全く読まなかったし、1ページも読めなかった)。

 

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*先月読んだ本。大学生には(中でも、僕には)たくさんの時間がある。

 

 

 しかし、読書が趣味です!と声高々に言ってしまうと、読書を趣味とするホンモノの人たちに冷たい視線を送られてしまいそうなので(趣味にホンモノもニセモノもないのだけれど、読書を趣味と言うには、純文学作品を片っ端から読んでいないと図書館のヌシ的な誰かに怒られそうな気がする)、「毎日、文字を眺める事が幸せ」や「デートの最中でも、本を手に取りたい」(こんな男には捕まりたくない)というくらいの緩い意味で「読書が好き」という一面も持っているという事を主張していきたいと思う。

 

 ちなみに、読書が好きな理由は、足を止めてじっくり物事を考える事によって知らない事を学べる(一人旅に味付けをしてくれる)からで、その部分に魅力を感じているのだ。

 

中高時代1

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*今朝のランニング風景

 

 組織で活動した話も必要らしい。就職活動は、会社という組織に入るための活動なのだから、自分が組織の中ではどのような役割を担えるのかを自覚し説明できるように準備する事は、ごく当たり前の共通認識なのかもしれません。

 昨日、中高時代の友達に会いました。彼は、多くの面接をクリアし、すでに内々定をもらっていたので、面接の体験談をいくつか尋ねました(僕はまだ2回しか面接を受けた事がありません。そして、2連敗です)。これまでの経験を基に、彼がくれたアドバイスは、組織で活動した話はしっかり準備しておいた方が良いとの事でした。

 アタタタタ…。GW初日にも関わらず、頭が痛くなるようなお話でした(誕生日が近いですが、それどころではありません)。4月上旬に、面接で落ちてしまった時に面接官に言われた一言は「あなたは組織に入らない方が良いんじゃない?」でした。サクッと落された面接の状況が、フラッシュバックしてきます(なぜか、よく覚えています)。

 僕の履歴書には、面接官もびっくりするほどに、組織で活動したお話は登場しません(むしろ、一人・個人といった素敵な言葉が並んでいます)。もちろん、大学時代はサークルや部活には所属したことはありません(だって、お金がかかるんだもん!)。困っちゃいました。御年22歳を迎えるオジサンは、大学以前の昔話を思い出すしかありません。では、気合いを入れて記憶をたどっていきましょう。

 

 

 今日は、中高時代のお話です。

 

  • どんな中高生だったのか

 絵にかいたような、模範少年でした。と、言いたいところですが、こんな事を言っていたら当時のお友達(先生たちまでも)が暴動を起こしかねないので、これから時間をかけて説明していきます。

 どんな中高生だったのでしょうか。おそらく、クラスに一人か二人はいる「騒がしい男子生徒」の一味だったと思います。今思い返すと、クラスメイトに多大な迷惑をかけて過ごしてきたのだろうと思います(たぶん、読書好きの女子生徒にとっては、悪魔のような存在だったでしょう)。

 

  • どんな集団に所属したのか

 そんな僕ですが、主にふたつの集団(面接官的に言うと組織)に所属していました。野球部と生徒会です。中学時代は野球部で高校時代は帰宅部、生徒会は中学3年から高校2年まで所属していました。

 

 

  • どんな役割を担えるのか

 では、それらの集団の中ではどんな役割だったのでしょうか。結論から言うと、野球部では主将、生徒会では中学3年~高校2年まで3年間生徒会長を務めていました(信頼があったとか職務をこなせていたかは別として、結果としてそのような役職でした)。

 どうやら、中高時代はしっかりと集団に所属し、仲間と連帯感(共同体意識)を持って行動していたようです(次はしっかりと面接官にお伝えしたいと思います)。並べられた文字だけを見ると、「野球部・主将」「生徒会・会長」と、使えそうなネタではありますが、内容としては特に豪語できるものではありません。野球部は県大会には進んだものの特に強豪チームではなかったし(バレー部が強くルックスが粒ぞろいだったので、汗と土まみれの僕らが勝利しても女子生徒は全く見向きもしませんでした)、生徒会も特にこれといった取り組みは行っていませんでした(メンバーが揃わない朝の挨拶運動と熱心なキャップ集めくらいでした)。

 ですが、面接ではなんとかして集団での活躍をアピールしなければなりません(友達は皆、中高時代の体験を語っているようです)。僕はどんな活躍ができるのでしょうか(役割を担えるのでしょうか)。

 

  • 色んな人とお話ができる

 僕には、リーダーシップがあります!…と言ってしまうと、活発にリーダーを担ってきた人たちにとても申し訳ないので、ここでは「まとめ役に向いている」や「集団の中で人と人とを繋ぐ媒介者としての対話力がある」という風に表現する事にします。

 僕には、どんな人とでも対話できる力があるのではないでしょうか。ここでも、小学生時代の旅の経験が生きているのだと思います。そして、誰とでも気兼ねなく話す事ができる(僕の側が嫌われている場合は、また別の話になりますが)という点が、所属していた集団で「まとめ役」や「調整(仲介)役」といったポジションに向いていたのだと思います(当時の同級生がどう思っていたのかは分かりません。教えてください)。

 

 

 

 嬉しい事に、僕にも集団での体験があったようです。これで、次に面接で問い詰められた時に、余裕を持って発言できるかもしれません。

 中高時代の記憶をたどっていると、集団体験だけでなく、どんな中高生だったのかという点で、今(大学入学後)とは違う自分がいたような気がします。何が違ったのでしょうか。もう少しだけ、薄れかけている当時の記憶をたどっていきましょう。