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大学時代#8「僕のお客様対応について」

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 大学1年生の秋学期が始まった頃(10月頃)、何かしなくちゃいけないと思いました。約2か月間のアメリカ滞在を通して、経験のみから物事を考える自分の価値観について、限界を感じたからです(詳しくは「アメリカ編」の記事をお読みください)。

 たぶん、自分は机に座って頭の中にいろんな事を入れなくてはいけないのだろうなと思いました。言語を知らない赤ちゃんが、言葉で感情を表せないように、仮に豊かな経験があったとしても、社会で起こっている事象の様々な情報や多くの人たちの物事の考え方などを知らなければ、体験を自分の言葉で表すことができないと思いました。そこで、何も知らずに専攻していた社会学に触れてみる事から始めました。

 

  • 体験を言語化する

 「へぇ~、面白いなぁ」と思った社会学理論の中に、「文化資本論」というものがあります(僕の理解度が平均的な社会学科生に過ぎないので、とても表面的な説明ですがご紹介します)。

 フランスの社会学者にピエール・ブルデューというオジサンがいます。彼は、著書『ディスタンクシオン』の中で、階級現象を生産し再生産している要因に「文化資本」があると述べています。

 カイキュウゲンショウ。サイセイサン。ブンカシホン。やれやれ、こんな小難しい事を言われてもさっぱり意味が分かりません。とっても簡単な解釈をすると、つまり「あなたがテストで高得点を取ったのは、あなたの努力や能力ではなく(だけでなく)、その能力や努力をするという習慣を身につけさせた、家庭環境のおかげなのですよ」ということだと思います。

 

 ブルデューは、文化資本を3つに分類しています。それは、知識・教養・趣味などの①「身体化された文化」、書物や絵画などの②「客体化された文化」、学歴や資格などの③「制度化された文化」です。

 例を用いて順番に説明すると、

  1. 親がバイオリンやピアノという音楽趣味を持っていて、子供が幼い頃から音楽に親しみ、小学生になって発表会や演奏会に出演するようになれば、親から子へ音楽趣味が受け継がれた(再生産された)ことになります。
  2. 家に多くの本や絵画作品などがあれば、そこの家の子供は本を読む習慣を身につけたり(これによって様々な能力を手に入れることになります)、絵画作品に触れるという文化的な行為を通して芸術感覚などを育むことができます(可能性の問題で、本の所有がゼロよりも1万冊を所有している家で育つ子供の方が上記の可能性が高くなるというような意味合いです)。
  3. 親が東大なら子も東大、親が医者なら子も医者といった親から子へ学歴や資格(職業)が受け継がれる(再生産される)ことを示しています。

 

 僕の場合を考えてみると、とても分かりやすいと思います。

 

  • 良くも悪くも、親(父)の影響

 さて、このブログを始めた当初は、小学生時代のお話から記事を書き始めました。特に、小中学生の頃のお話の記事を読んでくださった方々から「君はお父さんの影響を大きく受けているね」といった多くのコメントをいただきました。

 

 まるで、僕が父を愛し過ぎて大人になれない困った息子みたいに思われたかもしれませんが、僕自身について説明する上で父の存在が見え隠れしてしまうのは仕方のない事です。なぜなら僕は、父が作った「旅を通して教育する」という揺るぎないルールが存在していた松本家という家庭環境の中で(もはや、家庭という枠を超えていましたが)、「文化的に再生産された息子」だからです。

 

 自転車に乗ることも、旅をすることも、母親の意見を聞かずに長期旅を決定することも(母の日にはちゃんと電話しました)、すべては父から受け継がれた放浪文化(という文化資本)なのです。はじめは、それらの文化体験を強制されていたのですが、ある時から自主的に放浪文化体験を積み上げていくのです。

 

  • 穏やかな接客

 ブルデュー文化資本論を知ると、喜怒哀楽における「怒」の感情の大半は、文化資本のような考え方で許せてしまう気がします。

 

 例えば、飲食店でのアルバイト中に、とてつもない悪態をつくお客様に絡まれてしまうと「あぁ…この方は口説こうとしている女性の前で店員に悪態をついてしまうと、好感度を下げる可能性が上昇するという事を知らないのだろうな。『デート中に店員に悪態(=ネチネチとした独善的な意見を主張すること)はやめておいた方が良い』という文化資本を、これまで生きてきた中のどこかのタイミングで受け継がなかったのだな、なぜだろう。この方の自己物語はどのように変遷してきたのだろう…」と好奇心を膨らませながら、従業員を代表して心からお詫び申し上げることができます(とても冷静になれます)。

 

 つまり、誰かの怒りに対して反省しつつも(怒られたらしっかり反省します)、少し冷静になって対処することができるという事です。

 

 文化資本論の本筋からは外れますが、この考え方は、他者の「怒り」によって僕の中に生まれる「怒り」の量をごくわずか(あるいは、ゼロ)にする手助けをしてくれたし(怒りは争いを際限なく再生産します)、より穏やかに「お客様からの声」を受け取る術を与えてくれたのです。

 

 何かしなくちゃいけないと思い、たまたま専攻していた社会学に触れてみた事は正解だったと思っています。大学1年生の終り頃から、とあるボランティアに参加を始めるのですが、それもいくつかの社会学の考え方を知ったことがキッカケとなった気がします。

 

大学時代#7「自動車学校での異文化交流」

 

 やんちゃな同世代たちと親密な関係になった時期がありました。高校を卒業し、上京するまでの時期に、約20日間の自動車免許合宿に参加しました。自動車学校は宮崎県の中でもより人口の少ない地域にあり、九州内でも特に安い価格で免許合宿を提供している学校でした(周囲は田んぼしかなく、集中的に運転練習を積む免許合宿には適した隔離施設でした)。価格が魅力的であるため、県外からも多くの人が来ていたのですが、福岡県から(特に北九州エリアから)やんちゃな同世代たちも多くやってきていました。

 

 僕は、1人で合宿に参加しました。初日に登校すると、多くの人たちはお友達と参加しているみたいだったので「孤独な合宿期間になるのかな」と思っていたのですが、お昼に食堂へ行くと7人のやんちゃな集団が声をかけてくれました。見かけはとても「やんちゃな感じ」だったのですが、優しさと友情に溢れていた人たちだったので、僕を仲間に入れてくれました(傍から見ると僕はその集団の中で「おつかい役」に見えたのかもしれませんが、僕は何かを命ぜられる事もなく普段通りに生活しました)。

 

 それまでほとんど関わりを持たなかったやんちゃな集団(彼らは、ヤンキーと呼ばれるタイプだと思う)と一緒に、安全第一の自動車免許合宿の日々を送っていったのだけれど、彼らが認識として持っている友人間のルールや物事の見方は、なぜか僕とは違う部分が多くとても不思議な体験でした。

 

 なぜ、彼らと僕の価値判断のようなものに違いが生まれているのか、当時は分からなかったけれど、大学入学後にあの不思議な体験をなんとなく言語化できるようになった気がします。

 

 それでは、やんちゃな彼らと過ごして感じた自動車学校での体験について、書いていきたいと思います。

 

 その前に、ピエール・ブルデューというオジサンについて紹介します。

 

(次回に続く)

柔軟な考え方

 

 知らない他者に声をかけ、瞬時に仲良くなる能力にたけた友達がいます。世間では、フランクなコミュニケーション能力をひとつの分野に集中的に注ぎ込み、多くの異性と仲良くなる彼のような人を、「ナンパ師」もしくは「ネオン街では話しかけられたくないタイプの人」と呼びます(僕もそう思います)。

 

 僕は、気軽に不特定多数の人たちに声をかけ交友関係を広げていくことのできる彼の能力(彼は、多くの人から無視されても気にしない鋼のハートも持っている)をとても羨ましいなと思っているし、コツコツと地道に声をかけていく彼の野心的な強い意志(それはまるで無人島で生き残るための生命力のような強さです)を尊敬しています。

 彼のような人を見ていると、僕の場合は世間的にポジティブな意味での「ナンパ力」を身につけたいなと日々思っています(彼にとっての「ナンパ力」を世間的にネガティブな意味と言うのは、日本で培った価値観を基準としてナンパ力を判断してしまう、一方的な偏見なのかもしれません)。

 

 僕たちは、日常生活の中でいくつかの(場合によっては、無数の)社会集団の中で生きています。そして、ひとつの社会集団で共有されている価値観(そこに所属している人たちの興味や関心)は基本的には似ています(全くの同じというわけではなく、方向性が似てくるという意味です。例外もあります)。

 

 例えば、仮に僕が朝から晩まで授業のある忙しく勤勉な大学生だとしたら、僕は多くの時間を大学という社会集団の中で過ごすことになります。そして、その社会集団を形作るのはOO大学の大学生という、一定の似た価値観を持った人たちです。多くの大学生は、友達が企業説明会に参加し始めたら「自分も参加しなきゃ」と思うし、内定をもらった先輩がインターンシップには参加すべきと言っていたら「インターンに応募しなきゃ」と思うはずです。

 

 僕は、柔軟な視点から物事を見て考える事ができる人に憧れます(ここでの柔軟さとは、男尊女卑のような極端に固定的な考え方に縛られない価値観のことです)。様々な状況でマイノリティ(少数派)に位置付けられている人たちが、差別や偏見で排除されている状況は改善されるべきだし、自分がマイノリティになってしまう可能性を考えることのできる発想力は必要だと思います。

 

 では、柔軟に物事を考えることができるためには、何が必要なのでしょうか。多くの人(それも、いろんな社会集団で生活している人)に会っておしゃべりをする事は、とても大切なポイントだと思います。

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*2015年夏・ドイツ。電車内で知り合った大学研究員で博識なシーワーさんは、 たくさんの事を「知る」ことの大切さを教えてくれました

 

  • アメリカンなテンション

 2014年の夏に、2か月間アメリカへ行っていました。そこで、内気な少年(僕)は、いわゆるアメリカ的なテンションとフランクさを身につけました。

 今では多くの場面において気軽に声をかけたりしない日本人に戻ってしまいましたが(謙虚さを重んじる日本社会の価値観に組み込まれてしまいました)、帰国した直後は本当に誰にでも声をかけてしまうくらいにフランクになっていました(さぞ、ウザかったことでしょう)。

 そんな時期に、大学キャンパスのベンチに座っていた人(その日は休日だった)に、声をかけた事があります。その法学部の先輩(僕がウザいくらいにフランクでなければ知り合ってなかったであろう人)とはなぜかとても仲良くなり、以降その先輩の紹介で大学という枠を超えて様々な人たちと知り合う事になります(紹介で知り合った一人の理系の大学院生には、2016年の春に宮崎県の中学校で研究発表をしてもらいました)。

 その予期せぬ形で知り合った人たちは、アメリカ旅を経て自分の旅の在り方や経験主義的な物事の考え方に疑問(虚無感)を感じていた僕に、たくさんのアドバイスを与えてくれました。

 

  • 知らない社会へ

 僕が自転車を使って旅をするのも、ある意味、道端で僕を見かけた人たちをナンパしたいからなのかもしれません。

 大きな荷物を荷台に乗せて田舎道を自転車で走っていると、誰かしら声をかけてくれます。広大な農業地帯が広がる北海道の田舎道だったら、軽トラに乗った農家のおじいちゃんがスイカを分けてくれたついでに農家の現状について教えてくれたし、広島城を横目に広島市内を走っていると30年前に欧州を自転車で1周したというレトロな自転車に乗った(そのチャリで1周したらしい)チャリンコ紳士が声をかけてくれました(普段とは違う社会集団の人たちとおしゃべりをすることは、未知の社会を知るきっかけになります)。

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*2016年春インド・コルカタ。路地でカレーを作る陽気なオジサンたち

 

  • ナンパ力を身につけたい

 僕の場合、旅をしていると必然的にフランクな性格になっているようです(特に、海外では誰にでも話しかけます)。しかし、日常生活ではなかなかそうはいきません。同じ授業を履修している学生に声をかけることすら、一世一代の勇気を振り絞るくらいに苦労します。

 旅の時だけでなく、普段の生活でもいろんな人に声をかけおしゃべりをする事ができれば、淡々とした日常生活で大きな発見や刺激的な一コマを生むことができるのではないかと思うのですが、それらのことに躊躇してしまう自分がもどかしくなってしまいます。

 だからこそ、とてつもないナンパ力を武器として日々切磋琢磨しているお友達を見ていると、「僕もナンパ力を身につけなきゃ」と思ってしまいます。

 

 

 ナンパ力が世界を救う、なんていう、まさに軟派な標語で宣言したくありませんが、ナンパ力は様々な社会集団をつなぐ架け橋になるのではないかと思います。

 コーヒー一杯が1000円もするカフェで、隣に座ったオジサンに話しかければ、コーヒー一杯が1000円もするカフェで休憩するような社会集団に所属するオジサンが考えている事を知ることができるし(僕が利用するドトールは一杯220円だ)、帰省した時に実家の近所の小学生たちと話せば、イマドキの小学生の感覚を知ることができる(彼らは『トリビアの泉』や『エンタの神様』なんて知らない)。

 ナンパ力を駆使して手に入れた他者とのコミュニケーションは、僕たちが自分とは異なる社会集団に所属する人たちの考え方や立場を理解する手助けになると思います。それに、新しい価値観を知ることは、自分にとっても物事をより多面的に考える資源になるのではないでしょうか。

 

 久しぶりに会った、ナンパな彼とおしゃべりをしていると、改めて「ナンパ力」の大切さを思い出しました。

 

ドコモ・バイクシェア

 

 都会の人はよく歩く。東京で一人暮らしを始めて4年目になるけれど、宮崎県に住んでいた頃より日々歩く距離が何倍も多くなった気がする(引き換えに、自転車に乗る機会は格段と減った)。

 

 主な移動手段が電車だからであることも、理由のひとつだと思う。自宅から最寄り駅まで歩き、経由駅で乗り換え電車のプラットフォームまで歩き、そして到着駅から学校や勤務先までさらに歩く。それぞれの距離が短ければ良いが、場合によってはとてつもない距離を歩かなければならないこともある。

 

 上京したての頃は、数分単位でやってくる電車に驚いたし(宮崎では1本逃したら次の電車は30分後だ。いや、1時間後かもしれない)、雨の日でもほとんど濡れずに登校できる快適さが便利だと思った(高校まで自転車通学だった。雨の日はいつもずぶ濡れだ)。だけど、時には歩く距離が長く、移動だけで多くの時間が無駄になっていると感じる事も多い(いわゆる山手線の内側のエリアだと、自転車移動の方が電車を利用するより、出発地点から目的地までの所要時間が短い)。

 

 とはいえ、都内には自転車を駐輪する場所はけして多くはない(僕の大学では、キャンパス内への自転車の持ち込みは禁止されている)。だから、いくら自転車移動の方が便利とはいっても、駐輪場を探したり路上に駐輪して取り締まりを受けたりする労力と手間を考えると、結局は電車と徒歩での移動を選択してしまう(時間のロスを考えると、不便な場合も多い)。

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静岡県駿河湾。青空のもとのサイクリングは最高のリフレッシュだ。

 

 骨の髄から自転車マンとして、そんな状況(移動において不便な方を選択しなければならない状況)で生活していると「もっと自転車交通に関する制度が整えば便利になるのに!」と悶々としてしまう。それに、自転車利用(による適度な運動)は健康にも良いしストレス軽減にも繋がるので、歯止めなく高齢化が進み莫大な医療費(年間約40兆円)を生んでいる日本にとって、自転車交通が活用されることは、プラスの面も多いのではないかと思う(世界保健機関欧州事務局によると、定期的な自転車利用は心臓疾患・糖尿病・肥満症などの発症リスクを50%低下させ、がん予防にもなるらしい)。

 

 

 いずれは自転車交通の普及に携わりたいと思っているのですが、そんな自転車マンにとって、とても魅力的な事業を行っている企業がある。携帯電話会社でおなじみのドコモだ。

 

 

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*フランス・ストラスブール。少女が自転車に乗っている道路は歩道ではない、自転車専用道路だ。デンマークやオランダ、ドイツをはじめとする欧州の自転車交通先進国では、僕たちが安全に自転車を利用できるように、自転車道路の整備もしっかりとされている。

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*宮崎県宮崎市。ちなみに、こちらは日本でよく見かける自転車専用レーン(ブルーレーン)である。自転車マン的には、もう少し幅が広く安全が確保されていると、街中を自転車で走り回りたくなる。

 

 

  • ドコモ・バイクシェア

 株式会社ドコモ・バイクシェアは自転車のシェアリング事業を、都内(千代田、中央、港、新宿、文京、江東・大田区など)を中心に全国規模で行っている(自転車のシェアリングエコノミーだ)。少し前から関心があったので、今回は直接連絡をして取り組みについてのお話を聞く機会を作っていただいた(勉強になりました)。基本的な事業内容については、ホームページを参考にしてください(http://www.d-bikeshare.com/)。

 

  • みんな感じている、時間のロス

 ドコモ・バイクシェアは、全国19カ所を拠点としていて、5489台の自転車を設置している。その多くの4210台は都内で利用されている(2017年4月末時点)。

 国内外からたくさんの観光客がやってくる都内だと、観光のために利用される機会も多そうだが、日常の足として利用される機会も多いらしい。時間を余るほどに所有している学生の僕でさえ移動時間のロスを気にするくらいだから、仕事をしている大人たちにとってサイクルシェアを利用することで移動時間が節約できるのはとても便利な事なのだろう(自転車の維持管理費や駐輪場代を考えると、サイクルシェア利用の方が安く、コストパフォーマンスも良い)。

 

  • 社会課題解決というお仕事

 僕は、通信会社のドコモがなぜサイクルシェアの取り組みを始めたのか、ずっと疑問に思っていました。聞いてみると、2008年頃から通信事業以外のことで社会課題解決(ソリューション)事業を行おうという提案があり、環境事業の一環としてサイクルシェア事業を始めたそうです。 

 これはとても大きな発見となりました(いまさら、気づきました)。これまで(1か月前まで)、記事を書くことによってある社会問題についてより多くの人に知ってもらい議論の場を作ることで社会課題解決に携わりたいという理由から、新聞記者という職業にこだわっていました。

 ですが、メディアにこだわらなくてもドコモ・バイクシェアのようにサイクルシェアという直接的な事業として社会課題解決に携わっていくことも、ひとつの選択肢なのではないかと思いました(世紀の大発見です)。僕の場合は、自転車交通の推進・活用や持続可能な街づくり政策(モデルはドイツの環境先進都市)を自分の取り組みの軸にしたいと思っているので、すでにそれらの事業を行っている会社で働くという選択肢は、職を探していく上で考慮すべき重要なポイントなのかもしれません。

 

 

 なにはともあれ、まずは足を運んでみる。唯一の僕の長所が、役に立ちました。今回は、ドコモ・バイクシェアの方からお話を聞くことができ、とても良い学びとなりました(残念ながら、新卒採用は行っていないそうです)。これだけ関心があると言いながら、実はまだドコモ・バイクシェアのサイクルシェアを利用したことがありません(なんて不届きモノなのでしょうか)。近々、皇居周辺で利用してみたいなと思います。どなたか、一緒にサイクリングしませんか?

 

 

読書妄想文

 

 都合の悪いことは忘れた頃にやってきます。国語の先生の「魔のささやき」も、忘れた頃にやってきた覚えがあります。

 

 小学生になってから、高校を卒業するまで、年に2回は国語の先生の一言に杞憂する瞬間がありました。「読書感想文やってきてください」。長期休みの楽しみを思い描く少年の心を打ち砕く、こんなにも破壊力抜群な一言はありません。まるで、身の毛もよだつ「魔のささやき」です(国語の先生、大学受験の時にはとてもお世話になりました。ありがとうございます)。

 

 なぜ読書感想文が嫌いだったのでしょうか。おそらく、文章を読むことが嫌いだった(苦手だった)からだと思います。特に小学生時代は席に着く事自体が苦手で(落ち着きがなく)、そこら中を走り回っていました。僕にとっては、文章を読む行為は我慢大会以外のナニモノでもありませんでした。読むことができないくらいですから、書くことなんてもっとできません(より苦手意識がありました)。だから、まずは本を読まないと書けない読書感想文は、最も苦手な課題で大嫌いでした(目次と最終章の最終段落だけを見て書いた記憶があります。それは感想文ではなく、妄想文です)。 

 

 国語の先生にとって僕の悲惨な文章力と語彙力で書き散らされた読書感想文は、パラ読みする(しっかり読み込まない)作文のひとつだっただろうし、「私の添削の時間を返せ!」と言いたくなる(たぶん、そう言いながら添削していたのではなでしょうか)質の悪さだったと思います。当時は心の底から、読書感想文を長期休暇に潜む悪魔のように嫌っていたわけですが、大学生になってから「書くこと」についての思いは大きく変わりました。

 

 今では、書くことが好きになったし、もっと上手な文章(自分の気持ちが人に伝わる文章)を書くことができるようになりたいなと思っています。

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  • 高校生だった私への手紙

 2018年度の上智大学の大学案内(社会学科のページ)に、「高校生だった私への手紙」というテーマで僕の作文が記載されました。以下、全文(200字くらい)です。

 

高校生だった私への手紙 松本唯人(4年)

『2013年、故郷・宮崎県で迎える18度目の暑い夏、受験勉強に励む君はどのような大学生活を思い描いているだろうか。目の前のことに精一杯で、将来のことは考える余裕もないといった状況だろう。ある意味で「思考停止」の君へ、未来ニュースを送る。上智大学で初めて出会った「社会学」は、僕が思考と行動を開始するキッカケとなった。「当たり前を疑うこと」から出発する社会学に触れ、僕は日々の疑問を確認するためにさまざまな「社会」へ足を運んだ。今では平和と教育をテーマに、日本全国・海外20ヵ国を自転車で旅し、歴史・貧困・環境問題など、体験から学んだ「知ることの大切さ」を、授業を通して中高生に伝える「放浪大学生」となっている。僕は君が想像しているよりずっと好奇心に満ち、充実した日々を過ごしている。「己を知り、己に克て」。僕が君から受け継いだ座右の銘だ。自分を知り、自らの限界を超えることが目標への第一歩。さて、僕を知った君はどう考え行動するだろうか。「思考開始」は、疑問と発見に満ち溢れた魅力的な未来へと君を導くだろう』

 

 

 「○○は知る由もなかった…」なんてお決まりのセリフがありますが、まさにソレです。パンフレットを手に取った受験生は、こんなにも偉そうで先輩風な文章を書いた張本人(僕)が、就職活動で行き詰っているなんて知る由もないでしょう(これを書いた頃の僕は、就活で困った事になるなんて知る由もなかったのだから)。

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  • 文を書く楽しさ

「大学案内に載せる文章を書いてくれませんか」と尋ねられた時は、なぜ自分なのかと疑問に思ったけれど(残念ながら僕は大学が求める優秀なグローバル人材ではない)、パンフレットという上質な紙に自分の文章を載せてもらえる機会なんてめったにないので(初体験だ)、ワクワクしながら楽しく文章を書いた。

 いつごろから書くことを楽しいと思えるようになったかは定かではないけれど、読むことが好きになった頃から「自分の考えや思いを文章にできたら素敵だろうな」と漠然と思い始めたように思う。

 

  • 小説を読み始めた

 去年の夏から、小説を読むようになりました。それまでは、新書や簡単な専門書みたいなものしか読まなかったのですが、ふとしたキッカケで小説を手に取るようになりました。

 以前アルバイトで勤めていたイタリアンのお店で、常連のお客さんに「小説も読んでみるといいよ」と言われ、薦められた作家の薦められた本を読んでみました(最終的にほぼ全作品を読むことになります)。久しぶりに小説を読んでみたのですが(4年ぶりくらいです)、その作家の文体や文章に取り込まれてしまいました(その小説の主人公は、頻繁にビールとウィスキーを飲むのですが、文章に取り込まれすぎて僕もそれらのお酒が飲めるようになってしまいました)。

 

  • 人を動かす文章って、スゴい

 薦められたものを読んで、この上ない感動(小説、実に面白い)が僕の中で生まれたわけですが、よく言えば素直で純粋、普通に考えると危うい単細胞といった感じでしょうか。

 僕は小説を読んでビールやウィスキーを飲めるようになりました(主人公が飲酒する描写があまりにも美味しそうだった)。つまり、僕自身がその文章に動かされたということになります。その時に「文章の力ってすごいな」と、強く思いました(あまりにも単純すぎるかもしれませんが)。そして、その興奮は「こんな文章を書いてみたいな」や「自分の気持ちを文章で伝えることができたら素敵だな」という思いへと変化していきました。

 

 

 さて、つい先日も新聞社の試験で、小論文の出来が悪くて落ちてしまいました(書く練習を行って再チャレンジしてください、と言われました)。いくら書くことが好きでも、書いた文章が上手いとは限らないというわけです(受験生たちも言っています。お前の文章にはカッコが多すぎる!と)。

 

 とはいえ、好きな事を諦めるわけにはいきません(僕は頑固なのです)。どんな職に就くことができるのかは分かりませんが(「就く」のかも分かりません)、いずれは「書くこと」を仕事としてやりたいなと強く思っています。

 

 良い「未来ニュース」は待っていても届きません。自分の気持ちを書き散らしながら、好奇心たっぷりに動き回っていきたいと思います。 

 

大学時代#6アメリカ編「サンフランシスコの格差問題」

 

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 海外旅行をする上で「ビザの取得」ほど、避けて通りたい作業はないと思います。2014年の夏に、アメリカへ短期留学する時も、たくさんの根気を費やしました(「確定申告」よりも負けない気持ちと折れない勇気が必要でした)。

 

 僕の場合、アメリカへ行くことを決断するのが遅かったので学校のプログラムに申し込む事ができず、現地の語学学校とのやり取りやビザ取得はすべて個人で行いました。とっても大変でした(思い出したくありません)。結果として、語学留学プログラムに参加できたわけですが、中でもアメリカのビザ取得にはとても滅入りました(次回は高額であってもエージェントに頼みます。ゼッタイ)。

 

 本当にビザの申請が上手くいかず(手際も悪かったのですが)、出国の3日前にビザが届きました。今振り返ると、本来なら(学校で申し込めば)エージェントが行ってくれる留学の手続きの全てを、自分で行ったことは貴重な体験だったなと思います(達成感はありました)。それに加えて、個人でプログラムに応募して良かったなと思う事がもうひとつあります。それは、出国日と帰国日を自由に決めることができたという点です(航空券も自分で手配するのですから、当然です)。

 

 アメリカ編の後半戦です。カリフォルニア大学デービス校での1か月の短期留学を終え、北米大陸を一人旅しました。

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*サンフランシスコ・ゴールデンゲートブリッジ

 

  • 真夏のアメリカは、寒い

 せっかく渡米したので、短期留学後に北米大陸を放浪しました。サンフランシスコ、ニューヨーク、トロント(カナダ)をフラフラしました(韓国にも寄りました)。

このアメリカ旅(留学中も含め)は、全体を通してとても寒い思いをしました。当時、大学1年生で8月、9月の気温に対して南国・宮崎の基準しか持ちあわあせていなかったので(宮崎では10月中旬ごろまで半袖短パンです)、当然のようにアメリカにも半袖短パンしか持っていきませんでした(カリフォルニアなんて年中常夏のイメージでしょ!)。

 

 ところが、カリフォルニアは8月でも朝晩は冷え(サンフランシスコは日中でも寒い時があった)、暑い日中の室内の冷房温度は肉厚なアメリカ人の基準で決定されているので、痩身の僕(日本人)にはまるで南極のようでした(NY国連本部の皆さま、国民の肥満防止が冷房の過剰な低温使用対策ならびに地球温暖化対策になるのではないでしょうか、と思ってしまいます)。

 

 

  • サンフランシスコで見えた格差

 北米大陸を旅する中で、サンフランシスコで違和感を得ました(僕はサンフランシスコに約1週間しか滞在していません。あくまで、感覚として得た違和感です)。

 

 サンフランシスコの中心部は、ホームレスやアルコール依存者(もしくは、正常な判断のできそうにない人)で溢れていました。想定していたよりも、多くのそういった人たちが街の中心部の至る所にいたので、驚きました。それまで、欧州をはじめとする8か国を旅していたので、ある程度の想定はしていたのですが、想像を超える多さでした。

 一方で、海沿いに行くと綺麗に整備された高所得者向けの高級住宅街や観光客向けのエリアが広がっていて、僕が見る限りでは、まるで社会階層によって「住み分け」が行われているように見え、違和感を得ました(実際はどうかわかりません。僕は、そのように感じました)。この違和感は、純粋な疑問を生みます。「アメリカの社会保障って大丈夫なの?」。

 ある街角では、その日の食べ物さえも満足に手に入れる事ができない人たちがいる。その傍らで、綺麗に整備された海沿いの公園で余暇を楽しみ、好きな時に好きなものを食べる人たちがいる。このような同じ街に存在する大きなギャップ(格差)に、僕の中で「なんか、違和感」という感情が生まれたし、自己責任論の結末を見たような気分になりました(アメリカに長期滞在されていた方は、また別な見方をするのかもしれません)。

 

 ちなみに、ここでの格差とは、サンフランシスコ(アメリカ社会)で目に見える形で存在していた格差(低所得者高所得者の生活の質など)に直面して感じた、それぞれの社会に存在する広い意味での「格差(問題)」をさしています。

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*サンフランシスコはとにかく坂の多い街です。大陸の隆起した場所に街がある、という感じです

 

 

  • 自分に対する違和感

 サンフランシスコを歩き回って得た違和感は、自分に対する違和感へと変わっていきました。もっと具体的に言うと、自分の旅のあり方について疑問に思い始めたのです。

 

  • 経験主義の限界

 12歳から一人旅を始め、「経験第一」を掲げ様々なところへ行きました。ですが、サンフランシスコで格差というものを目にし、経験主義に基づいた自分の旅に限界を感じました。

 

 まず、格差問題に直面し「この状況ってダメでしょ」とは思うものの、何が原因なのか、どんな取り組みを行えば改善されていくのかなどについて全くアイデアが思い浮かびませんでした。

 つまり、それまで新聞や本を読んで様々な情報を得ることや、色んな社会問題について日々情報を取り入れ考えるということをしていなかった(経験さえすれば良いと思っていた)ので、格差という社会問題に経験を通して直面したものの、その先の思考へと繋がらず経験自体が無意味なものとなってしまいました。この点に、自分の旅のあり方の不甲斐なさ(虚無感)を強く感じました。

 

 そして、何のテーマも持たずに、好きな場所へ自由気ままに旅をする自分もまた、サンフランシスコにおける格差問題の(僕たちの社会で生じている諸問題の)傍観者に過ぎず、情けないなと思いました(大学生になっても、何も考えずに旅をするスタイルでいいのか、いやダメなんじゃないか、と疑問に思いました)。

 

  • アウトプットだけでなく、インプットしよう

 アメリカで目に見える格差を感じた体験は、僕が自分自身に問題提起をするきっかけを作ってくれました。それは、社会問題について考える前に、自分自身の物事の考え方を見直す機会となりました。それまで、情報を取り入れるインプットの作業が、とても苦手でしたが、本を読み始めるきっかけにもなりました(本を読むことや様々な事象を知る事が、旅をより豊かな体験に形作ってくれる事に気づきました)。

 

 

 1年後、「平和と教育」をテーマとして旅を行い、一人旅体験を伝える活動を始めることになるのですが、アメリカでの体験が、旅のスタイルをはじめとする自分自身について見つめなおす大きな大きな機会となりました。

 

 

大学時代#5アメリカ編「踊るプロテスタント」

 

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 突然ですが、僕は「10万円の男」です。

 

 有料動画サイトNETFLIX(ネットフリックス)に「100万円の女たち」というオリジナルドラマがあります。売れない小説家の主人公のもとへ、誰が送ったのか分からない招待状を持った5人の女たちがやってきて同居し、生活費として女たちが月100万円を支払うというストーリーです(今や、ネットでドラマや映画が見ることができます。延滞料なんて気にしなくて良いなんて便利です)。つまり、このドラマになぞらえて言うと、僕は「10万円の男」なのです。

 

 なぜか小学校高学年の時から、家計簿をつけています(今では、スマホアプリで家計簿をつけている。電卓を片手にレシートとにらめっこしていた数年前が信じられない)。家計簿によると、大学生になってからの僕の1か月間の生活費(家賃を除く全ての支出)は平均8~10万円です。一人旅を前にすると、超節約モードになるので8万円台で抑えられるし、普通に生活しているとだいたい10万円になります。僕という人間が、10万円の生活費で生きているという事が、どの程度のもので何を意味するのかよくわからないけれど、「自分は1か月に10万円で生活しているんだ」という事実を知っていると、それはひとつの尺度(ものさし)として役に立つ気がします。

 

 先週、久しぶりに高いお買い物をしました。小型ノートパソコン、約5万円。新宿にあるビックカメラのパソコンコーナーでウロウロしながら、5万円の価値について考えてみました。「5万円、月の生活費の半分…。5万円、インド往復の格安航空券も5万円…」。小型PCが5万円で買えるという安さがスゴいのか、インドまで5万円(片道2万5千円)で行けてしまう中国東方航空の努力がスゴいのか分からなくなってしまいましたが(その努力と引き換えに、機内食の「質」は我慢しなければならない)、とにかく、僕にとって5万円は高額であり一挙に使うには、とても思い悩んでしまう金額なのです。

 

 最終的に、5万円を小型PCに投じる魅力がたくさんあったので購入しました。とても悩んで購入したわけですが、自分が「10万円の男」であることを理解した上で、今の自分にとっての5万円の価値をなんとなく考える事ができたのは、長年家計簿をつけて知らないうちにお金に対する「自分の尺度」を手に入れていたからなのかもしれません(今月に限って、僕は「15万円の男」です)。様々な場面において、自分の尺度で物事を考える事はとても大切なことだと思っています(一人旅やマラソン、自転車なども、自分の尺度を見つけるにはとっておきの行為だと思います)。

 

 今日は、アメリカで体験したプロテスタントのミサについてのお話です。

 

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*カリフォルニア・ヨセミテ国立公園。アメリカはなんでもビッグサイズです

 

  • 日曜日のミサ

 アメリカでの滞在が始まり早々に思ったことは、「意外と宗教色の強い国なのだな」ということです(あくまで、僕が滞在した地域や接した人々の文化や価値観を見た上での感想ですが)。

 アメリカの歴史の変遷を考えてみると、キリスト教(特にプロテスタント)が強く根付いていることはなんとなく想像がつきますが、日本で過ごしてきた期間が長い僕にとって(日本人は、多くの人が「自分は無宗教である」と思っている)、日々の生活の中でお祈りやプロテスタンティズム的な(よくわからないけれど、ソレっぽい)文化や生活様式に則って過ごしているアメリカ人たちはとても不思議でした(無宗教の僕たちが行う「いただきます」や「ごちそうさま」はいったい何の行為なのでしょうか)。

 そしてある日曜日の朝に、ホストファミリー(夫婦)にプロテスタントのミサに誘われました。日々彼らと過ごしていて「プロテスタントって何だ?」と思っていた僕には、想定外の嬉しいお誘いでした。まさに、神に感謝、アーメンハレルヤ、です。

 

 

  • 宗教への尺度

 僕は、アメリカのキリスト教プロテスタント)文化や様式に、これといって拒否感を持たなかったのですが、それはキリスト教系の中高に通っていたため、宗教(キリスト教)に対する「自分の尺度」があったからだと思います。

 僕は、カトリック系の中高に通っていました。とはいえ、信者というわけではなく(僕は「無宗教」です)、学校説明会で感じた雰囲気の良さや立地の良さ(家から自転車で5分。ただし、全力疾走)で入学を決めた学校が、たまたまカトリックのミッションスクールだったというわけです。

 6年間、キリスト教的なモノ(定期的なミサとか学校内にあるチャペルとか)に触れて学校生活を送り、宗教に対するニュートラルな感覚を得たと思っています(「へぇ、キリスト教ってこんな感じなんだ。イスラム教はどんな感じなんだろう」といった言葉通りのニュートラルな感覚です)。この経験は海外を旅する時に、宗教という視点から人々の生活や社会を見ることができるという点で、役に立ちました。それに、信仰を持つ海外の人たちとコミュニケーションをとる上では、相手の価値観の根っこの部分を知るという点で役に立ったこともありました。

 そんなわけで、長年キリスト教的なモノ(特に、カトリック)に触れた生活を送ったわけですが、同じキリスト教でもプロテスタントはよく知りません。だからこそ、プロテスタントのミサに参加するというのは、ディズニー愛好家がロサンゼルスのディズニーランドに行くのと同じくらいに、ワクワクする出来事でした。

 

 

  • まるで、ライブ

 コンサート会場のような真新しい教会に入ると、300人の踊るプロテスタントたちを目にしました。

 僕が参加したミサは、まるでライブのようでした。開始と同時に、ステージでバンドが演奏をはじめポップテイストにした聖歌を歌い始めます(これは一般的なのでしょうか?)。会場は起立し、歌いながらその場でダンス(曲によって振付があるらしい)を始めます。それまで、カトリックのミサ(厳かで信仰が深まったが故に眠くなってしまうミサ)にしか参加したことのなかった僕は、そのギャップに唖然としました。

 

 

  • 宗教を知る面白さ

 たった1回だったけれど、プロテスタントのミサへの参加は、貴重な体験だったと思います。同じキリスト教でも、ミサの様式に天と地の差(互いに「天」と「天」なので、この表現は不適切かもしれません)もしくは大きな違い(こっちが適切ですね)があるという事を知れたのは、僕にとっては大きな収穫でした。

 あの驚きや発見は、僕が接したホストファミリーをはじめとするアメリカ人の価値観を理解する上で、彼らの物事の判断基準や行動規範がもしかするとプロテスタンティズム(よく分かりませんが)と関係しているのかもしれないと考える新しい視点となった気がします(この視点は、モロッコやインドでは特に役立ちました)。

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チェコプラハ郊外の教会群での写真。石畳の街並みが好きです

 

 

 僕は、ヨーロッパの街並みや建造物を見る事が好きです。あの空間を歩いていると、落ち着きます。それに、芸術には無頓着ですが、なぜか欧州の芸術作品を見ていると「なんか、美しいな」と思ってしまいます。

 

 この感覚は、僕が生まれた時から潜在的に持っていた感覚なのでしょうか。なぜ僕がこのような感覚(欧州ダイスキ)を得たのかは、様々な要因があると思っていますが、そのひとつは中高の6年間をキリスト教系の学校で過ごした事が挙げられるのではないでしょうか。  

 

 良いとも悪いとも思わず、ただただ中立的にキリスト教的なモノに触れた6年間で、少なからずキリスト教的な価値観を取得した気がします(たぶん、僕は「善きサマリア人」のように、倒れている人がいたら手を差し伸べます。たぶん)。

 

 キリスト教について教えてくださった学校の先生たち(学校には神父さんがいました)にも大きな感謝をしているし、その学校に通わせてくれた親にもとても感謝しています。もちろん、中高生なりの辛い時期を支えてくれた友達にも感謝をしています(感謝の気持ちを持つこともまた、キリスト教的な何かの影響かもしれません)。

 

 にもかかわらず、僕はいつも信仰について質問されるとこう答えます。「僕は、無宗教です」。このように答えると、いつも外国人は困惑します。アメリカのホストファザーは「Oh Jesus.(なんてこった。これだから日本人は)」みたいな表情になりましたし、ドイツ・ミュンヘンの青年は「Why?(ごめん、意味が分からん)」といって本当に困っていました。海外の人たちと接すると、僕にとって宗教や信仰って何だろうといつも考えさせられます(まだ、答えはみつけていません)。

 

 アメリカでのミサ体験は、アメリカ滞在におけるささやかな1コマだったかもしれませんが、「宗教って何だろう?」という素朴な疑問について考え始める大きなキッカケだったと思っています。