大学時代#11「協賛を得て旅へ1 自分にできる事は何か」

 

 最近、叫んでいません。高校卒業以来、思い切り叫ぶ機会が極端に減りました。小中学生の時は野球部だったので、毎日のようにグランドで叫んでいたし、高校生の時は廊下で友達とすれ違うたびに叫び合っていました(女子高生が会話の中でイケメン俳優の名前が出ただけで金切り声を上げるのと同じ現象です。それらには何の意味もありません。ただただ叫ぶのです)。

 

 叫ぶという行為は、自分と地球(大自然)との繋がり(関係性)を確かめる方法のように感じます。私たちは、富士山の山頂に到着したら思い切り叫ぶだろうし、北海道・釧路湿原の中心に一人で立っていたら北の大地に向かって何かしら大声を出したくなるのではないでしょうか。多くの人は満員電車の中で突然叫ぼうとは思わないし、大勢の買い物客が行き交う週末の商店街で大声を出そうとは思わないでしょう。私たちは、日々生活する中で「叫ぶ」という行為を自発的に封印しているのはないでしょうか。僕は、叫ぶことなく静かに生活することによって、どっぷりと社会に溶け込んでいる気がしています。しかし、時には叫ぶという人間としての本来の力を発揮しているような行為を通して、馴染んでいた社会から抜け出し、自分の立っている位置を確認することも必要なのではないかと思います(僕たちは年齢を重ねるにつれて、叫ぶという行為から遠ざかっているのではないでしょうか)。

 

 大学2年生の夏は、たくさん叫びました。豪雨の箱根山では雨に打たれながら怒りをぶつけるようにたくさん叫んだし、鈴鹿山脈の孤独な坂道でも大声をあげました(僕の声が届いたのか、大きなクマさんに遭遇しました)。自転車で旅しながら、あてもなく叫ぶ。とても漠然とした感覚ではあるけれども、当時は「今自分がどこに存在しているのか」をしっかりと把握できていたように思います(近々、久しぶりに叫びたいなと思います)。

 

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*2015年夏・東京~宮崎1500km自転車旅。箱根のてっぺんで大雨の洗礼を受けながら寒さに耐えつつ撮った自撮り写真。表情からも分かる通り、かなりうなだれています。

 

 2015年の夏に「ヨーロッパ・西日本エコツアー」と題して、企業や個人の方々から協賛をいただいて旅に出た事があります。今振り返ると、あの出来事が僕の大学生活の基盤を築いた全ての始まりだったのではないかと思います。

 

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*2015年夏・滋賀県甲賀市柏木小学校。人生初授業。これを機に、これまで20か所以上で授業をさせていただきました。これ以降、最も改善されたのは「丁寧な字で板書する」という点です。

 

 

 では、なぜ「協賛を得て旅に出る」という発想に至ったのか。そして、なぜ協賛を得てまで旅に出ようと思ったのか。いくつかの理由がありました。

 

  • 知らなかった、子供の貧困

 大学1年生も後半に差し掛かった頃、週刊・東洋経済の貧困特集を目にし、ボランティアへの参加を決めました。主に日本における「子供の貧困」問題が取り上げられていたのですが、初めてそのような社会問題が存在している事を知り、驚きました(発展途上国の記事かと思っていたら、先進国・日本の記事でした)。日本社会に貧困問題が存在している事にも驚いたし、自分が生まれ育った国で起きている貧困問題を知らなかった自分の社会問題に対する関心の薄さにも、危機感を覚えました。そこで、記事を読んだだけでは分からないので、ボランティアを通して子供の貧困にはどのような問題があるのかを知ろうと思い、足を運びました。

 

  • 子供食堂ボランティア

 大学1年生の終わり頃から、子供食堂のボランティアに参加するようになりました。子供食堂とは、家庭の事情で食事を十分にとることができていない家庭の子供たちを対象に晩ご飯を提供しみんなで食事をするという活動です。東京都豊島区でNPO法人が活動を行っていたので、ボランティアとして参加するようになりました。

 

  • 当事者にはなれない。自分にできる事は、何か

 子供食堂へやってくる子供たちとコミュニケーションを取る中で、今の自分にできる事は何かを考えるようになりました。そこには、様々な家庭環境の子供たちがやってきていたのですが、僕は子供の貧困における当事者にはなれないと痛感しました。事実として、僕は当事者ではなかったし、事実がそうである以上、彼らに寄り添いたいなんていう軽い言葉は言えないと思いました。ただ、同じ日本社会で過ごしている以上、自分たちが生活を営んでいる社会に存在する問題について考えていかなければいけないと思いました。

 僕自身、たまたま雑誌の特集記事を目にするまでは、貧困問題が日本に存在しているなんて知りもしませんでした。自分の無知さには呆れましたが、何はともあれまずは「知る事」が必要だなと思いました。社会問題でも何でも、まずはそれらが存在しているという事を、私たちひとりひとりが知らないと解決に向けての議論なんてできません。そこで、私たちの社会で起こっている問題について「知る場」を作りたいなと思いました。ですが、僕は日本全国津々浦々にいる単なる大学生の一人です。人を動かすことのできる圧倒的な政治力なんて持っていません。では、今の(当時の)自分にできることは何だったのでしょうか。まず考えたのは、自分の強み(他の多くの大学生とは違う部分)は何かということです。

 

 僕は、12歳から一人旅を始めました。そして、12歳の時からドイツの環境先進都市・フライブルクの車のない街づくり政策や環境政策に関心を持っていました。つまり、「旅」と「ドイツの環境政策」に長く関心を抱いているという部分は、何か行動をする上で自分の強みやテーマになるのではないかと思いました。

 当時、日本全国と海外12か国を自転車で旅していたのですが、これだけでは自分を知らない人たちの興味を引くことができないと思っていました。なぜなら、20歳前後という僕の年代にもなると、すでに100ヵ国近い国を旅した経験を持つ人は普通にいるので、12か国という数字は量的には特に大したものではありません。ただ、小学生の頃から自転車で日本全国を旅していたという点は十分に自分の強みになると思っていたし、社会問題について知る場を作るにあたって(どのように作るのか、当時は全く思いついていませんでした。ただ、「何か行動しなければ!」という思いだけで突っ走っていた気がします)自分ならではの切り口として「自転車一人旅」という経験に対して「ドイツの環境政策」という関心を付加すれば、僕ならではのテーマが出来上がるのではないかと思いました。

 

 子供の貧困問題を目の当たりにし「これではダメだ!」と思い、「何か行動しよう!!」と漠然と思い始めました。当時は、気持ちだけが先行し考えるよりも先に行動していた気がします(僕の人生の大半は考えるよりも行動が先です。単に頭が弱いだけなのかもしれません)。自分の強みとして「自転車一人旅」と「ドイツの環境政策(街づくり政策)」を発見したわけですが、数か月後の夏休みに(「何か行動しよう」と思い立ったのは2015年の5月頃)旅に出て物事を考え、さらに改めてドイツを訪れ環境先進都市・フライブルクの街づくり政策や環境政策について学ぼうと考えました。

 

 では、これらの考えを実行に移すためには何が必要なのでしょうか。僕なりの考えには至ったものの、目の前にはいくつかの障壁が出てきました。特に、費用をどのように準備すればよいのか、とても悩みました。

 

(次回に続く)

ドコモバイクシェア初乗りの感想

 

 チャリンコ乗りの悪い癖なのでしょうか。僕は、出発地点から目的地まで、ある程度の直線距離で移動しないと、とても大きな損をしているような気持ちになってしまいます。距離としては2~3kmしか離れていないのに、電車を使って行こうとすると、最寄り駅の立地の問題で、何度も乗り換えをしなければいけなかったり、遠回りをして目的地の最寄り駅へ向かう必要が出てくる事があります(特に、東京都内ではそのようなケースがとても多い気がします)。短い距離なのに直線距離で目的地へ向かえないケースに遭遇すると、電車は使わずに徒歩で向かいます。多少の時間の犠牲はありますが、徒歩で向かう方が距離的な損はないように思うし、混雑した電車に乗る不快感は得ないので、精神的にもプラスになります。

 

 とはいえ、今の時期は数キロも歩くと汗だくになってしまうので、できるだけ歩きたくありません。昨日、目的地まで3キロ。ただし、電車は使いたくないし徒歩で汗をかきたくもないという状況がありました。そこで、以前から利用しようと思っていたドコモバイクシェアのサービスを使って目的地へ向かう事にしました。

 

  • ドコモバイクシェアとは

 以前「ドコモバイクシェア」という記事で紹介しました。(株)ドコモバイクシェアが、都内6区を中心に行っている自転車レンタルサービスです。都内6区に設置されている計215ヵ所(2017年1月17日現在)のポート(専用の自転車置き場)にある自転車を借りて、移動ができるサービスです。詳しくは、公式HPをご覧ください(http://www.d-bikeshare.com/)。

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上智大学付近にあるポート。ネットでID登録を行い利用します。サイトで利用する自転車の番号を選択すると、番号がメールで送られてくるのでそれをパネルで入力し開錠します。

 

  • 便利なアシスト機能

 初めてサービスを利用し、良かった点はふたつ。簡単な登録と便利なアシスト機能です。僕は、クレジットカード払いを選択したので、ユーザーIDとカード番号の登録をスマホで済ませて利用しました。登録はとても簡単で、この手の登録がややこしいとすぐに放棄してしまう僕のような性格でもスムースに行うことができました。そしてなにより、アシスト機能付き、つまり電動自転車だったという点が、とても便利でした。

 

  • 快適な自転車移動

 初めて、アシスト機能付きの自転車に乗りました。自転車乗りとしての存在意義を問われかねないので、あまり大きな声では言えませんが、僕のロードバイクにも装着しようかと思いました。それくらい、快適でした。

 

  • 「発進」の良さ 

「発進」がとてもスムースでした。交通量の多い都内では、信号待ち後の「発進」をスムースに行えるのは安全面でとても重要です。なぜなら、発進でノロノロしていると左折しようとする車から圧をかけられるし(場合によっては接触してしまいます)、荷物が重いとある一定の速度を保てない発進でフラフラしてしまうので転倒の恐れがあります。ですが、アシスト機能があることによってどんな年代でも、バイクと同様のスムースな発進ができ、車の運転手から睨まれることもなく、また転倒しそうになることもなく、走行できます(そもそも、なぜ自転車に乗るという究極のエコ活動を行っているのに車の運転手に睨まれなければいけないのでしょうか。車優位の日本社会ならではの現象です)。

 

  • 気持ちの良い、移動

 アシスト機能によって、一定の速さを保ちつつ(基本的には約20キロの速さでした)程よい運動量で移動が可能です。この時期、自転車で移動すると汗びっしょりとなってしまい、人と会う約束で目的地へ行ったのに「こんな状態じゃ、もう人になんて会いたくない」となってしまいますが、アシスト機能がついているとせっせと足を動かさなくても前へ進むので、汗だくにならずとっても助かりました(この点は、本当にありがたいと思います)。また、昨日は目的地が皇居周辺にあったため、皇居周辺の緑の中を通って移動できたのは、ちょっとしたサイクリング気分も味わえて心地よかったです。

 

 

 

 目的地まで18分。電車の待ち時間や乗り換え時間を考えると、電車利用時と一緒か少し短い時間で移動できたのではないかと思います。費用も150円で電車よりも安い料金で移動できました。サービスにおいては特に不便に感じる事はありませんでしたが(今後も頻繁に利用したいと思います)、日本においてはサービスの向上以上に、自転車道路整備などの面が必要不可欠なのではないかと思います。自転車に慣れているとはいえ、時速20キロの速さで交通量の多い車道の側道を走るのは少し怖いなと思いました。今後、バイクシェアのサービスが広がっていく中で、自転車交通に対する理解が深まっていき、より快適に走行できる環境が整備されれば良いなと思います。

 

 

 

大学時代#10「アルバイト経歴」

 

 オチはなくても、ツカミが良ければ、ほとんどの会話は円滑に進んでいくと思います。僕のお話には、基本的に劇的に面白いオチはありませんが(平凡なオチすら見当たりません)、人並み以上のツカミはあるのではないかと勝手に思っています。

 

 先日の集団面接でこんな質問がありました。「アルバイトでの成功体験と失敗した事を教えてください」。さて、この質問でのツカミとはなんでしょうか。おそらく、「どんなアルバイトを行ってきたか」が面接官の関心を引く最大のツカミなのではないでしょうか(僕はそのように思いました)。

 

  • 謎のアルバイト・速読塾インストラクター

 成功体験はすぐに見つかりました。僕は、速読塾インストラクターのアルバイトを行っています。速読塾。つまり、活字をより早く読む訓練を行う塾です。新聞の広告などで昼下がりの主婦をモデルとして「1か月ゼロ冊から10冊の読書家に!」などと謳った、世間的に少しばかり胡散臭いアレです(僕がインストラクターを務めている速読塾は、理論に基づいてトレーニングを行っているので決して怪しいヤツではないのですが…)。速読塾の社会的地位や正当性についてはここではさておき、僕はインストラクターになるために研修を受けて1分間に1万字以上を読む事ができるので(日本人の平均は分速500字)、それをネタに「活字情報の処理速度が劇的に早くなりました~」とか「1か月に15冊は読書してます~」などとアピールしました。面接官の反応は、飲食店アルバイトの体験を話している他の学生よりは良かったのではないかと思います。

 

  • 意外と無い、失敗談

 問題は、失敗談です。アルバイトで、学んだ事は多いかもしれないけれど、キャッチーな失敗談はなかなかありません。大学1年生の時、お寿司屋さんのアルバイトで、寿司7貫をオジサンにぶっかけてしまった事があります。食事のぶっかけ事故は、飲食店アルバイトでは最大のミスのひとつなのですが、これでもツカミは弱いと思いました。まず、飲食店アルバイトという時点で、他の学生とネタが被ってしまう可能性が高いです。それに、お寿司を浴びせてしまったという程度では、ぶっかけ事故の中でもネタが弱いからです(親しい先輩は、3度も牛鍋のタレをスーツ男性に頭からぶっかけてしまいとんでもない事態を引き起こしていました。これと比べると、いくらの軍艦巻きやまぐろの握りのぶっかけは可愛らしいくらいです。とても反省しています)。そこで、失敗談よりもツカミを重視しました。

 

  • 究極の肉体労働

 僕のアルバイト経歴の中で、速読塾インストラクター以外にもうひとつ、聞き慣れないものがあります。養豚場の清掃員です。そう、豚さんのお世話係です。高校卒業後の上京前に、地元宮崎で短期間の養豚場清掃員のアルバイトを行った事があります。

 吉祥寺のお洒落なカフェバイト、ルミネのアパレル店員、そして養豚場清掃員。都会の学生たちが柑橘系のフレッシュな香りが漂ってくるような肩書きを並べる中で、これはレアなツカミになったのではないかと思います。

 また、養豚場では私たちの食卓へと運ばれてくる数多くの食用の豚さんたちと1日を共にするので、「命」について考える機会にもなりました(僕の実家ではペットとしてミニブタを飼っているのですが、そのペットのブタと比べて食用の豚たちの目には自らの意志のようなものが薄いように感じました。言葉では形容できないのですが、どこか機械的な目が印象的でした)。

 実際に、そこそこの失敗(いや、とても大きな失敗)をやらかしていたこともあり、ここではツカミと内容だけでなく質問に対するしっかりとしたオチもつける事ができました(おかげでその集団面接は通過しました)。

 

  • アルバイト収入を一人旅へ

 大学生になって、6つのアルバイトを経験しました。ほとんどが飲食店のアルバイトです。理由はただ一つ、まかない付きだからです。「旅費はどうしているの」とよく質問される事があります。実は、僕がするような貧乏旅行なら、アルバイトのまかないで食費を浮かせ(豊富な栄養を摂取し)、毎日学校にお弁当を持参するなどの「徹底的な食費削減」を行えば、アルバイト収入だけで旅に出る事は難しくありません(ただ、日々の生活はかなり質素になります)。

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*インド・バラナシ。中国東方航空で成田→ニューデリー間往復約5万円で行く事ができます。1泊50~200円で宿泊可能なので、1か月滞在しても滞在費は2~3万円で済みます(節約すれば、もっと安くで滞在できるはずです)。

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 *中国・蘇州の宿。中国は、上海や北京などの大都市や観光地を除くと、まだまだ物価の安い国です。地理的に日本から近いので、欧州と比べると航空券も安く、比較的低価格で旅ができると思います。自転車に乗る方は、上海~南京(350km)のサイクリングはオススメです(マスクは持参しましょう)。

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*「マスクは持参しましょう」

 

 

 ですが、1度だけ自分のアルバイト収入だけではどうしても遂行できない、旅計画がありました。2015年の夏の出来事です。その時は「ヨーロッパ・西日本エコツアー」と題して協賛を募り、企業や個人の方々からの支援をいただいて旅に出たわけですが、なぜそのような事を行ったのでしょうか。これは、ここ数年間の自分史を語る上で外す事のできないエピソードであり、僕自身が持つ物事の考え方の基盤を形作ってくれた機会でもあります。次回から数回にわたって、これらの体験について書いていくことにしましょう。

就活シーズン終盤、今後について

 

 なぜ、マイノリティ(少数派)が排除されることのない、寛容な社会が必要なのでしょうか。「そんな社会は理想に過ぎない」と言い放つ方もいると思いますが、僕としては、執拗にマイノリティが敵視され排除されることのない社会で生活したいし、自分自身も少しでも他者に対して寛容な人間になっていきたいなと思います。なぜなら、私たちは誰もが、突然起こる様々な出来事によって「マイノリティになる可能性」を持っているからです。

 私たちは、いつでも自然災害の被災者になり得るし、他者によって引き起こされた交通事故やケアレスミスによって、それまでとは180度異なった生活を余儀なくされる可能性を持っています。僕は、自分に降りかかるかもしれない、ゼロではないそれらの可能性を想像すると、できる限り様々な人たちに配慮の行き届いた社会が創出されれば良いなと思います。

 

 さて、大変です。早くも7月が近づいてきています。日がたつにつれて、大学内のコミュニティでは僕のような内定ゼロの就活生はある種のマイノリティとなっていくのです。一般的に考えると、この時期になっても内定ゼロの就活生は、社会的にとても複雑な位置に立たされているようです(ゼミ合宿の予定を立てる同級生に「配慮」されるのはとても複雑な気持ちになるし、仮に合コンに行ったとしたらたぶんモテません。複雑です)。 

 

  • 昨年より1か月早い選考

 リクルートキャリアによると、2018年春卒業予定の大学生の6月1日時点の就職内定率は61%だそうです(6月9日・日経新聞電子版)。

 

 経団連に加盟する大手企業の選考解禁日は6月1日なので、多くの企業が経団連の方針よりも前倒しで選考を行っているということになります。また、1日の時点で61%なので、6月も後半に差し掛かった現在は、もっと高い数値になっているのではないかと思います。

 

  • 僕の現状

 内定ゼロ、です(6月21日18時現在)。これまで、新聞社3社、旅行会社1社の計4社を受けました。結果としては、新聞社は全滅で、旅行会社は最終選考の結果待ちという状況です。

 

  • これからの事を考えましょう

 6月も後半になり、周囲の就活生が夏の旅行予定などを立て始め、内定ゼロという結果の実感がわいてきます。「あ、内定がない。卒業後はどうなるのだろう」。内定がないというのはつまり、面倒を見てくれる会社に所属するための切符を持ってないということなので、大学卒業後の道筋をどうにか自分で開拓しなければならないということです。あるいは、内定をもらうために何をすればよいのかを考えなければなりません。

 

では、今の僕にはどのような選択肢があるのでしょうか。考えてみましょう。

 

  • いくつかの選択肢

 まず、前提として2018年の3月には大学を卒業する予定です。就活浪人するのであれば、大学に籍を置いたまま既卒ではなく新卒として就活を行う事がより良いとされています。ですが、様々な理由(本当に、様々な理由)から大学は4年で卒業したいなと考えています(今の段階ではこのように考えています)。なので、就活浪人を選択するのであれば、既卒として再び就活を行う事になるでしょう。

 

 次に、夏ごろから秋にかけて一部企業で行われる、秋採用や二次募集にエントリーする手段が挙げられます。

 

 そして、三つ目として、来月以降からウェブメディア等で実務的で中長期的なインターンシップ(就業体験)を行うという選択肢が挙げられます。今の自分の状況を鑑みると、これが最も適切な選択肢なのではないかと思っています。

 

 

 

 就活を始めて1年が経過しました。就活を始めた当初は、僕は誰からも就活を行うだろうとは思われていませんでした(多くの人は「NPOで活動する」や「休学してどこか遠い所へ行く」などといった、立派な固定観念を僕に対して抱いていたようです。困ります)。だからこそ、早い時期から企業説明会へ行きインターンシップに参加し…といった、就活の既定路線にガッチリ乗ったつもりだったのですが、本選考においては結果として何も生み出すことができませんでした。もちろん、インターンシップなど本選考に向けた準備段階で出会った多くの同世代たちからは、これまでにない刺激やモチベーションを与えてもらう事ができたので、内定という結果は伴わなかったけれど、今日に至るまでのプロセスではとても良い時間を送ることができたと思っています。

 

 今日は今後について少し考えてみました。さて、今後はどうなっていくのでしょうか。僕自身も、さっぱりわかりません。ただ、4月初旬に第一志望に落ちて以来、様々な物事が停滞していたので、それぞれを少しずつ前に進めていこうと思います。

 

大学時代#9「自動車学校での異文化交流2」

 

 やんちゃな同世代たちと過ごした10日間は、僕にとってはとても不思議な体験でした。なぜなら、同じ日本人ではあるけれども、僕と彼らの価値観は大きく違っていたからです。それぞれの価値観に優劣があるという事ではありません。事実として、僕と彼らが日常生活において当然のように用いていた生活する上でのルール(物事の価値判断の基準)が、異なっていたのです。

 

 そういった意味で、自動車学校の免許合宿というひとつの枠組みの中では、様々な興味や関心、価値観を持った人たちと一緒に過ごしたことは面白い体験でした。

 

 

  • 彼らと僕

 僕は、大学入学前に宮崎県の自動車学校で免許合宿を行いました。そこでは、福岡県からやってきていた7名のやんちゃな同世代と生活を共にしました。

 

 おそらく、同じ自動車学校に通わなければ、僕は人生の中で金色の髪をツンツンさせた同世代からビッグスクーターに乗るカッコ良さを毎晩のように熱弁される事はなかっただろうし(そもそも僕の通っていた中高はバイク禁止だった)、彼らも自分たちの所属する集団ではビッグスクーターを所有する事に大きな優位性があるという価値観について、キョトンと首をかしげる僕のような同世代と関係性を構築することはなかったと思います(あったとしても、それはとても小さな可能性のように思います)。

 彼らの中で当たり前のルールが僕には伝わらず、僕の中で当たり前と思っていたルールが彼らには伝わらないことが何度もありました。なぜそのような事態が生じているのか、当時の僕には意味不明だったし、彼らにとっても僕とのコミュニケーションはとても奇妙なものに感じただろうと思います。

 

 彼らの所属する社会集団の中には、師弟関係や兄貴制度みたいなルールが存在しているようでした。おそらく、僕が彼らと似たような雰囲気をまとい自動車学校内を闊歩していたなら彼らは自分たちと僕を何らかの方法で格付けし、集団内の序列をつけたのではないかと思います。

 

  • 文化の違い

 当時は、なぜ彼らと僕の間に価値観の違いがあるのだろうかと不思議に思っていましたが、前回の記事でご紹介したP.ブルデューの言葉を用いると生まれ育った環境における「文化資本」の違いが価値観の違いに繋がったのだと思います。

 

  • 清楚な女の子、とは

 ある日、彼らと一緒に合宿所の近所にあるスーパーに行きました(合宿所は四方八方が田んぼで、近所のスーパーはひとつしかありませんでした)。

 

 清楚で可愛らしい女の子が、近所のスーパーで働いていると彼らが騒いでいたので、「片田舎にも橋本環奈や本仮屋ユイカみたいな清楚な女の子がいるのか…」なんて心を躍らせていたのですが、ここでも彼らの「清楚な女の子」という認識と僕のソレには大きな違いがありました。

 

 スーパーへ行くと、噂の清楚な女の子はいませんでした。今日はお休みなのだろうと思っていたのですが、彼らは「いた!いた!」と騒いでいます。彼らの指さす方向を見てみると、そこには控え目に言って、とてもやんちゃそうな同年代の女性店員さんがいました。

 

  • 茶髪は、黒髪

 彼らが「清楚」と呼ぶ女性店員さんは、「茶髪のねーちゃん」でした。女性店員さんを見つけて、ワイワイと騒ぐ彼らを見ながら、とても困惑してしまいました。僕の価値基準と照らし合わせると、明らかに派手な女性店員さんを、彼らは何の疑いもなく清楚だと言っているからです(女性は清楚であるべきだ!なんて、ジェンダー警察に現行犯逮捕されるような意見を主張しているわけではありません。「清楚さ」を判断する価値基準が、文化によって異なっていて絶句するほど驚いたという事をお伝えしたいのです)。

 

 「あの店員さんって、茶髪だよね?」。念のため、彼らに聞いてみました。「は?あれはどう見ても黒髪でしょ!」。金髪をツンツンさせた同世代たちは、僕の質問を笑い飛ばしました。

 

 互いに日本で生まれ育ったにも関わらず、こんなにも異なった価値観を持って生きているらしい。でも、なぜ僕たちの価値観はこんなにも違っているのだろう。まだ、社会学に出会っていない僕にとっては、言葉で説明がつかない価値観の違いは、とても衝撃的で不思議な体験となりました。

 

  • 異文化交流in Japan

 さて、自動車学校での体験を振り返ると、思う事があります。それは、海外に行き外国人とコミュニケーションをとるだけが、異文化交流ではないという事です。むしろ、僕たちが同じ文化と価値観を共有していると思い込んでいる「日本人」との交流こそが、最も驚く異文化を発見する可能性を秘めていると思います。

 

 僕たちは、知らない間に日常生活で多くの時間を費やしている集団の中での価値観を基準としています。例えば、東京で生まれ育った人は、初めて地方に行った時に、都会的な感覚で物事を判断してしまい、1時間以上待ってもやってこない電車にイライラを爆発させるだろうし、宮崎で生まれ育った人は、都会で生活を始めると、宮崎の郊外にあるイオンモールにはジャージで行けるけど(むしろ、いかに宮崎的に“お洒落な”ジャージを着るかがステータスとなっている)、新宿のルミネにはジャージで行くとある種の罰ゲームでしかないという事に気づくのです。

 

 国境を越えなくても、様々な異文化はそこら中に存在しています。地方出身の僕にとっては、都会で生まれ育った人たちが共有している価値観は、十分に異文化だったし、小学校から高校まで学校文化の中で過ごしてきた人にとっては、中学校あたりから学校文化から逸脱を始めたやんちゃな人たちの価値観もまた異文化なのです。

 

 自動車学校でやんちゃな同世代たちと過ごした体験は、日常生活の中でいろんな社会へ飛び出すことの大切さを教えてくれた気がします。海外ばかりに目を向け、自分が普段生活している日本の中の様々な社会には目を向けようとしない「グローバル志向・空洞化人材」になってしまうのは面白くないと、彼らは教えてくれたのかもしれません。

 

大学時代#8「僕のお客様対応について」

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 大学1年生の秋学期が始まった頃(10月頃)、何かしなくちゃいけないと思いました。約2か月間のアメリカ滞在を通して、経験のみから物事を考える自分の価値観について、限界を感じたからです(詳しくは「アメリカ編」の記事をお読みください)。

 たぶん、自分は机に座って頭の中にいろんな事を入れなくてはいけないのだろうなと思いました。言語を知らない赤ちゃんが、言葉で感情を表せないように、仮に豊かな経験があったとしても、社会で起こっている事象の様々な情報や多くの人たちの物事の考え方などを知らなければ、体験を自分の言葉で表すことができないと思いました。そこで、何も知らずに専攻していた社会学に触れてみる事から始めました。

 

  • 体験を言語化する

 「へぇ~、面白いなぁ」と思った社会学理論の中に、「文化資本論」というものがあります(僕の理解度が平均的な社会学科生に過ぎないので、とても表面的な説明ですがご紹介します)。

 フランスの社会学者にピエール・ブルデューというオジサンがいます。彼は、著書『ディスタンクシオン』の中で、階級現象を生産し再生産している要因に「文化資本」があると述べています。

 カイキュウゲンショウ。サイセイサン。ブンカシホン。やれやれ、こんな小難しい事を言われてもさっぱり意味が分かりません。とっても簡単な解釈をすると、つまり「あなたがテストで高得点を取ったのは、あなたの努力や能力ではなく(だけでなく)、その能力や努力をするという習慣を身につけさせた、家庭環境のおかげなのですよ」ということだと思います。

 

 ブルデューは、文化資本を3つに分類しています。それは、知識・教養・趣味などの①「身体化された文化」、書物や絵画などの②「客体化された文化」、学歴や資格などの③「制度化された文化」です。

 例を用いて順番に説明すると、

  1. 親がバイオリンやピアノという音楽趣味を持っていて、子供が幼い頃から音楽に親しみ、小学生になって発表会や演奏会に出演するようになれば、親から子へ音楽趣味が受け継がれた(再生産された)ことになります。
  2. 家に多くの本や絵画作品などがあれば、そこの家の子供は本を読む習慣を身につけたり(これによって様々な能力を手に入れることになります)、絵画作品に触れるという文化的な行為を通して芸術感覚などを育むことができます(可能性の問題で、本の所有がゼロよりも1万冊を所有している家で育つ子供の方が上記の可能性が高くなるというような意味合いです)。
  3. 親が東大なら子も東大、親が医者なら子も医者といった親から子へ学歴や資格(職業)が受け継がれる(再生産される)ことを示しています。

 

 僕の場合を考えてみると、とても分かりやすいと思います。

 

  • 良くも悪くも、親(父)の影響

 さて、このブログを始めた当初は、小学生時代のお話から記事を書き始めました。特に、小中学生の頃のお話の記事を読んでくださった方々から「君はお父さんの影響を大きく受けているね」といった多くのコメントをいただきました。

 

 まるで、僕が父を愛し過ぎて大人になれない困った息子みたいに思われたかもしれませんが、僕自身について説明する上で父の存在が見え隠れしてしまうのは仕方のない事です。なぜなら僕は、父が作った「旅を通して教育する」という揺るぎないルールが存在していた松本家という家庭環境の中で(もはや、家庭という枠を超えていましたが)、「文化的に再生産された息子」だからです。

 

 自転車に乗ることも、旅をすることも、母親の意見を聞かずに長期旅を決定することも(母の日にはちゃんと電話しました)、すべては父から受け継がれた放浪文化(という文化資本)なのです。はじめは、それらの文化体験を強制されていたのですが、ある時から自主的に放浪文化体験を積み上げていくのです。

 

  • 穏やかな接客

 ブルデュー文化資本論を知ると、喜怒哀楽における「怒」の感情の大半は、文化資本のような考え方で許せてしまう気がします。

 

 例えば、飲食店でのアルバイト中に、とてつもない悪態をつくお客様に絡まれてしまうと「あぁ…この方は口説こうとしている女性の前で店員に悪態をついてしまうと、好感度を下げる可能性が上昇するという事を知らないのだろうな。『デート中に店員に悪態(=ネチネチとした独善的な意見を主張すること)はやめておいた方が良い』という文化資本を、これまで生きてきた中のどこかのタイミングで受け継がなかったのだな、なぜだろう。この方の自己物語はどのように変遷してきたのだろう…」と好奇心を膨らませながら、従業員を代表して心からお詫び申し上げることができます(とても冷静になれます)。

 

 つまり、誰かの怒りに対して反省しつつも(怒られたらしっかり反省します)、少し冷静になって対処することができるという事です。

 

 文化資本論の本筋からは外れますが、この考え方は、他者の「怒り」によって僕の中に生まれる「怒り」の量をごくわずか(あるいは、ゼロ)にする手助けをしてくれたし(怒りは争いを際限なく再生産します)、より穏やかに「お客様からの声」を受け取る術を与えてくれたのです。

 

 何かしなくちゃいけないと思い、たまたま専攻していた社会学に触れてみた事は正解だったと思っています。大学1年生の終り頃から、とあるボランティアに参加を始めるのですが、それもいくつかの社会学の考え方を知ったことがキッカケとなった気がします。

 

大学時代#7「自動車学校での異文化交流」

 

 やんちゃな同世代たちと親密な関係になった時期がありました。高校を卒業し、上京するまでの時期に、約20日間の自動車免許合宿に参加しました。自動車学校は宮崎県の中でもより人口の少ない地域にあり、九州内でも特に安い価格で免許合宿を提供している学校でした(周囲は田んぼしかなく、集中的に運転練習を積む免許合宿には適した隔離施設でした)。価格が魅力的であるため、県外からも多くの人が来ていたのですが、福岡県から(特に北九州エリアから)やんちゃな同世代たちも多くやってきていました。

 

 僕は、1人で合宿に参加しました。初日に登校すると、多くの人たちはお友達と参加しているみたいだったので「孤独な合宿期間になるのかな」と思っていたのですが、お昼に食堂へ行くと7人のやんちゃな集団が声をかけてくれました。見かけはとても「やんちゃな感じ」だったのですが、優しさと友情に溢れていた人たちだったので、僕を仲間に入れてくれました(傍から見ると僕はその集団の中で「おつかい役」に見えたのかもしれませんが、僕は何かを命ぜられる事もなく普段通りに生活しました)。

 

 それまでほとんど関わりを持たなかったやんちゃな集団(彼らは、ヤンキーと呼ばれるタイプだと思う)と一緒に、安全第一の自動車免許合宿の日々を送っていったのだけれど、彼らが認識として持っている友人間のルールや物事の見方は、なぜか僕とは違う部分が多くとても不思議な体験でした。

 

 なぜ、彼らと僕の価値判断のようなものに違いが生まれているのか、当時は分からなかったけれど、大学入学後にあの不思議な体験をなんとなく言語化できるようになった気がします。

 

 それでは、やんちゃな彼らと過ごして感じた自動車学校での体験について、書いていきたいと思います。

 

 その前に、ピエール・ブルデューというオジサンについて紹介します。

 

(次回に続く)